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【小説】推しグル解散するってよ⑬

 人生で最後のGAPのコンサートがやってきた。
社会人のファンに合わせて夕方からの開催にしてくれたものの、平日だったので休みのとれなかった真紀は午後休をもらった。
ああ、果てしなく続くと思っていたその温かい日々はこんな風に呆気なく終わってしまうのかと、これまでの20年を振り返っては複雑な思いで千晶は一人で会場へ向かった。
朝はとんでもなく早く目が覚めてしまってギリギリまでどちらを着ようかと迷っていた二つのワンピースを何度も鏡の前で合わせてはため息をついて、だけどやっぱりライブ前の高揚感を抑えられはしなくて。
気休め程度の顔のマッサージをして、そうそう前日のパックのおかげでファンデーションのノリはとても良かったりなんかして。
そういうコンディションの良さもまた、女性ホルモンがいっぱい出てるのかと、この二十年間、仲間内、何度も語った話題だった。
 福岡公演でグッズは全て買ったので、今日一日休みが取れた千晶は昼過ぎからやってくる真紀を待ちがてら、会場付近で戯れるファン達をぼんやりと見ていた。
千晶がファンになりたての頃はまだ小学生で、会場もお姉さんだらけだった。
時代的にまだまだメイクゴテゴテのギャルなんかもいて、近づきがたいファンもいたな、ふふ、と笑う。
でも、そんな見た目だけれどアイドル雑誌のリョウタの切り抜きをくれたり、快く友達になってくれるような良い人もいたな、なんて思い出す。
仲良くなった人とはみんながみんな、未だに友達なわけではない。
なんとなく、なんとなく離れていった。
たとえばメンバーに熱愛が出た瞬間にファンを辞めていった友達もいたし、自身の就職だ結婚だなんだとプライベートな事情で疎遠になっていった友達もいた。
勝手にみんなファンを完全に辞めたと思い込んでいるけれど、もしかしたらどこかで出戻って今もこの同じ会場にいたら笑えるな、と考える。
でも、そんなことももうわからない。
自分も歳をとった。
友達も歳をとった。
 いますれ違ってももう気づけないかもしれないな、いや、やっぱり目が合えば気づくのかなあと考える。
わかんないな、と結局は何の答えもでないまま、ただ会場付近で戯れるファン達を見つめる千晶だった。
メンバーたちはもうおじさんになりつつあるのに、不思議なことに十代らしきファンなんかもいて、若いグループもいっぱいいるのになあ、なんて思った。
若いグループもいるのになあ、いるけどさあ、でも、あなたたちがいいんだよね、やっぱり。
 結局出る答えはそれで、それ以外の答えはなくて、ただ、会場に貼りだされたGAPの大きなポスターに語り掛ける。
ああ、とんでもなく好きになっちゃったよ、あなたたちを、と。
 若いファン達の隙間に三十代、四十代、いや、それ以上のお姉さん方が若い頃に戻ったような笑顔で写真を撮りあっている。
今風のおしゃれな写真の構図なんてわからないから、ただ、ピースをして、仲間たちと笑い合ってる。
でもそれでいい。
それがいい。
 みんな会場に来れば、少女に戻ってバカげたことで大笑いして、バカげたことで涙を流して、日常生活がどんなものであろうと、それがしんどい何らかの事情があろうと、ここでは最高に笑い合える。
 私たちもう、同じ会場に、こんな風に笑いあって集うことなんてなくなるのかな、知りもしない人たちの顔を見ながら心の中で呟く。
そんなことを考えながら麦茶のペットボトルに口をつけると、駅の方面からバタバタと自分めがけて走ってくるOLが見えた。
「ちぃ、ちーさん!ちーさま!千晶ちゃん!!」
あらゆるバリエーションで自分の名前を呼びながら、傍から見れば美人なそのOLはそんな自分の容姿を自覚することなく明らかに仕事のオフィスカジュアルのまま走ってきた。
「真紀ちゃーーーん!!!」
こちらもその威力に答えるように大きく手を振った。
乱暴にたどり着いた真紀はゼエゼエと息を切らしては、千晶の肩に手を置いた。
「真紀ちゃん、間に合ってよかった!」
千晶が言うと、真紀は満面の笑みで答えた。
「うん、後輩とね、しっかり引継ぎできて。ちゃんと、頼れたよ。私、後輩を。」
真紀の事情は知らないけれど、何でも完璧に出来た真紀が人を頼れたと笑顔で話すことはきっと意味があることなのだろうと、千晶はじわりと伝わるその温度に心を寄せてそっか、と同じく笑顔で返した。
「写真でも撮っとく?」
「撮るかあ。」
二人は二十年前から大して変わりもしないポーズで写真を撮った。
写真の構図が下手過ぎて、これが会場なのかどこなのか、何もわからないようなどうにもならない写真。
地面が写りすぎて、排水の溝がしっかり写っていたりなんかして、だけれどせっせと作ったボードを写して、自分たちの顔を写して。
 
パシャリ、なのか
ピロリロリン、なのか
カシャ、なのか
無音、なのか
時代で変わっていったカメラも、シャッター音も。
全部、愛せる。
愛せるなあと、口に出さずに心でただ、笑う。
千晶も、真紀も。
 
 会場に入ってチケットを発券する。
数年前なら既に座席のわかったチケットが届いて、ライブの日までにどんな心持で向かえばいいか心得ていけたのに。
今じゃ当日発券で、会場に入った瞬間に座席がわかるという仕組みだ。
二人が最後に与えられた座席は、特別、見やすい席というわけではなかった。
天井に近い、随分と後方の席だった。
けれど、もうこれで最後。
GAPと会えるのはこれで最後。
どんな席でも文句は無かった。
こんな席でボードを掲げたところでメンバーには届かないだろう、けれど、もはやそんなことすら良かった。
ただ、今、彼らが客席を見た中の一つに自分のボードがぼんやりと視界に入っていたら。
あなたたちを応援し続けた人間がここにいるよ、と、ただ伝わっていたら。
それだけでよかった。
 
「聴いてください、僕らのデビュー曲、『ネバギバ!』」
ライブの中盤、リーダーの大二郎が放つその声と共に二十年間聞きなれたタイトルが流れる。
この、割とダサめのタイトルの通り、デビュー曲の歌詞はどんな困難にも負けない!頑張るぞ!なんていう単純なもので若い頃は大して心に刺さることはなかった。
メロディも随分とシンプルなもので、彼らの歌唱力に合わせてもらった音域の狭い楽曲。
この曲を音楽的観点で批評されたなら、大した評価にはならないのだろう。
けれど、大切だった。
千晶と真紀にとって、そしてきっと、他のファン達にとってもとてつもなく大切な曲だった。
 
 
 僕なら何でもできると思ってた
 だけど現実は甘くない
 くじけそうになった時は
 未来の自分想像しよう
 
 いつかの僕が僕に言う
 その先に明るい道が待っていると
 すべて切り開いてくのは
 そう、僕しかいない
 
 
なんて単純な歌詞なのだろう。
これを十代の若いアイドルが歌っていたあの頃、千晶も真紀も若くて、よくある歌詞~!なんて笑っていた。
けれど、自分が困難にぶつかるたびに、こんな“単純な”歌詞が何度も自分を救った。
四人のユニゾンがこの歌詞に声を乗せるだけで不思議と勇気が出た。
元気が出た。
こんな恥ずかしいこと、友人にも伝えづらいがそれでも、そうだった。
単純な歌詞でも、場合によっては大した意味も持たない言葉の並びであっても、彼らの声で歌われることで心にグッと響くことなんて何度もあった。
 世の中にはもっと優れた曲が溢れている。私たちはいつまでこんな単純な歌に心救われ続けるのだろう。
そんなことを思ってもなお、やっぱり今日も千晶と真紀はこの歌詞に胸をさされるのだった。
 ライブ中、いつも通りの高揚感と、それから、もう二度と彼らが全員揃った姿を生で、この目で見ることはないのかという寂しさでせめぎあっていた。
ファンを寂しくさせるようなさよならの演出も、いつも通りの楽しい演出も、全てがこの先の二人の人生の宝物になりそうだった。いや、なるだろうと確信していた。
もしかしたらもう二度とこんな、ペンライトの美しい光の海を見つめることはないかもしれない。
メンバーの笑顔を目に焼き付けながら、ファンの笑顔やらペンライトの美しさやら、煌びやかな照明の演出…あらゆる光景を記憶に残したいと思った。
 
 本編の最後の曲が終わり、メンバー一人一人が挨拶をしていく。
汗っかきの大二郎は泣きそうに震える声を抑えながら、けれど流れる汗は抑えられずにびしょびしょになって話す。
ユキトは大二郎に反して、最後までサラサラの肌を見せつけていた。デビュー当時から全く泣き顔を見せたことのない彼の瞳から涙が見えたことに驚きと悲しさと、それから不思議な喜びのようなものが入り混じって千晶と真紀を含むファン達は何とも言えない切ない気持ちを持った。
トモヤはソロ活動で培ったトーク力で、泣くのをこらえて流暢に挨拶した。大丈夫、みんな大丈夫、とファンとメンバーとそして自分に言い聞かせるように、これから離れてもきっと大丈夫だよと伝えた。
そして、千晶の推しのリョウタ。
ある意味、リョウタ発信の解散だ。自分が泣いては元も子もない、と我慢しているのだろう。最初から最後までいつもの公演と変わらず笑顔を振りまいていた。
今日は来てくれてありがとう、とデビュー当時から変わらないキラキラと笑顔で口を開ける。幼かったあの頃と同じ煌めいた瞳と、歳を追うごとに深くなっていく人間としてのコシのようなものが相まって唯一無二の魅力になっている、と千晶は感じていた。
「俺が子供だった頃から応援してくれてる人も、最近俺を知ってくれた人も、全員が俺の支えでした。…っていつも通り、かっこつけて言いたいんだけど、やっぱり難しいね、今日は。」
リョウタの口元はぷるぷると震えており、言葉を放てばすぐに泣き声になってしまいそうなのを誤魔化そうと何度も俯いたり、天井を仰いだり。
そんな姿を見ているだけでもう、千晶は涙が止まらなくなり、けれど嗚咽してしまえば周囲のお客さんの迷惑になると思い、タオルで口を塞いでどうにか耐える。
「ずっと…ここ数年…イチ人間としての自分の人生と、アイドルの“リョウタ”としての人生について考えてました。俺も人間だから何も考えずに街を歩きたいとか、個室の無い立ち飲み屋で飲みてえとか思ったりもしました。だって妹と歩いてただけで週刊誌に撮られたからね!家族とも歩けねえのかよってなったよあの時は。」
少しヤンチャなリョウタの口調にファンは鼻をすすりながら笑っていた。
「でも、自分の人生の為にアイドルの人生を捨てるのであれば、じゃあこれまで俺を支えてきてくれたみんなの存在って無かったことになるの?って自問自答したりしました。そんなことないって思うけどそれを決めるのは俺じゃなくてみんななのかな、とか色んなことを考えました。…あー、なんかまとまってなくてごめんなさい。これからもう、みんなが望むアイドルのリョウタは現れないかもしれません。でも、いまここにいるみんなも、ここに来れなかったみんなも…もしみんながいてくれなかったら、今ここでこんな綺麗な衣装着させてもらって綺麗な照明当ててもらえて、そういう俺はここに存在できてなかったです。俺をアイドルでいさせてくれてありがとう。俺をキラキラした世界にいさせてくれてありがとう。二十年前はかっこつけた決め台詞みたいに言ってた言葉を今は、心から、本心で言いたいと思います。」
リョウタはスゥーっと一つ深呼吸した。
「俺は、みんなのことが大好きです。二十年間ありがとうございました、GAPのリョウタでした!」
千晶も真紀もこのあたりから記憶はなかった。
頭が痛くなるくらい泣いていて、もう周囲も嗚咽の応酬だったので千晶も口を塞いでいたタオルをとって、思う存分泣いた。
 その後はたしかアンコールで往年の名曲を歌っていた。ファンでない人が聴いても知っている有名な名曲を。歌いながら華やかな銀テープが座席に舞い、ファン達がそれを見上げていた。
そんなファンの瞳さえもキラキラとしていて、千晶も真紀も、心からこの時間を「幸せ」だと感じた。
GAPを好きになってからずっと、喜怒哀楽そのすべてが彼らの前にあって、ことあるごとに笑って泣いて、喜んで楽しんで、悲しんで、怒った。
青春に期限が無いのなら、今日この日までずっと青春だったのかもしれない。
まだまだ続いてほしいけれどそうもいかない、きっと、思っている以上にそうもいかないのだろう。
それに気づいていたから、千晶も真紀もこの時間を思いっきり楽しんだ、楽しんで、泣けるだけ泣いた、笑えるだけ笑った。
 千晶はリョウタを、真紀は大二郎を、見つめながらただただこの先の自分の人生も幸せでい続けるよと誓った。
 さよなら、と大好きを何度も交互に口から放っては、涙と嗚咽と笑顔とわけのわからない自分ですら収集の付かない感情を全て会場内に解き放って、二人は最後のGAPのコンサートを終えた。
 
 千晶と真紀はその後、アフターと称して最寄りの飲み屋で散々飲み明かして、泣いて笑って、人生で一番つらい日でもあり、そして幸せでもあるその日を終えた。


に続く

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