【小説】推しグル解散するってよ⑪
** NEXTSTAGE **
千晶がどんなに仕事に奔走しようと、真紀がどれだけ仕事で結果を出そうと、24時間が過ぎるのを遅らせる能力を得ることはできなかった。わかっていたが、苦しかった。
美しく新緑に輝いていた木の葉が紅く華やかに変わった姿を見ても、これを来年見る時にはもうGAPの存在は無いのかと落ち込む二人だった。
とにかく、仕事を頑張り続ける千晶を上司は褒めたが、千晶は一人で空回りしているような気持ちだった。
さあ私たちも次のステージに行かなきゃね、と息巻いて、動揺を隠して笑って、大丈夫だと、生きていけると、踏ん張って。
カレンダーはどう抗っても、10月のページをめくらなければならなかった。
かつて、あんなにも楽しみだったライブの日が来ることが怖かった。
もはや彼らに怒りのような抑えきれない気持ちを抱く瞬間すらあって、自分自身に困る日々も何度か迎えた。
ファンの気持ちを知ってか知らずか、エンタメ雑誌の表紙のほとんどがGAPで彩られた。おいおい、新曲が大して話題にもならなかったあの頃や、新人がデビューして老中扱いされたあの頃にもこんな風に表紙にしてくれたってよかったのにと笑いながら心で泣いた。心で泣きながら千晶は雑誌の数々を価格も見ずにレジに通した。
千晶は、その全てをマイバッグに入れたらどれだけの重さになるかを計算もせずに買ったので、バッグははちきれそうだった。
「お、重い・・・。」
ネット通販で買えばいいのに、と自分でもわかっていながら本屋に推しが並んだ姿につられて気が付けば全て手に取っていた。
近所の本屋から家までの間、バッグが限界を迎えて破れた。
ザザザ、と漫画のように音をたてて買った雑誌が道に落ちた。
慌てて千晶が拾っていると、大丈夫ですか、と複数の女性の声が聞こえる。
道に流れた雑誌のいくつかを拾ってくれた女性たちはこちらを見て、え、と声を出した。
「待って、どす子じゃない?」
千晶が顔を上げると、見知った顔が並んでいた。その、呼ばれたあだ名で、特段仲が良かった友人ではないことがわかる。
「あ、あれ、えっと・・・・。」
パッと名前が出てこなかったが、“あの時”修の周辺にいた女子たちの内の誰かだった。
彼女たちに良い印象は抱いていなかった、が、だからって名前を憶えていない自分もいい根性してんなと、客観的に思った。
「私だよ、アリサ!で、こっちが美穂。懐かしー、ってかどす子まだGAP好きなの?ウケるんだけど!」
アリサと名乗る女が千晶の返事を一言も聴くことなく一方的に喋り続け、そして一方的に笑った。
ああ、そうなの、ウケるでしょ、と千晶は愛想笑いをしながら、彼女の目を見ずに雑誌を拾った。拾ってくれた数冊を受け取ろうとすると、アリサとやらは、解散するんでしょー残念だねえウチラ世代だもんねーとはしゃいでいるようにも見える声で言った。
「そ、・・・そうそう!解散するの!それで慌てて雑誌買いあさってるんだ!!」
千晶は“癖”になっている自虐のような声色で答えた。
「そっかそっかあ。てか同窓会とかないか知らない?ウチら集まりたいけど声かけてくれる人いなくてさー。」
アリサとやらにとってGAPの解散などどうでもよいことだ。千晶にしたって知りもしないバンドが解散するだとか、海外の俳優が引退するだとか聞いたところでへえそうなんだとしか言えない。
それが誰かにとって大切だとしても。だから恨むような気持にはならなかった。けれど、勝手に傷ついた。
同窓会のことは知らないなあと、ヘラヘラと薄い笑いを返した。
「私に同窓会の案内来てたら、二人にも来てるでしょー!」
「確かに、言えてるわ!どす子が知っててうちらが知らないわけないか!」
アリサとやらは、悪気なく、おそらく本当に悪気なく、千晶の言葉に納得していた。
破れた袋をどうしよもなくハンドバッグに詰めて、大量に買った雑誌を重ねて手で持って、拾ってくれてありがとう、じゃあ機会があったらまた、とニコリとした。
二人は、気をつけてよー!と笑いながら、駅の方へと去っていった。
そうそうこういう感じだったな。修の周辺にいた人たちって、と思い出す。
思い出しながら、いつまでこんな記憶に引きずられて生きていくのだろうと自分自身に苛立った。
彼女らに苛立ったところで自分は進歩しない。
仕事で評価されて、リーダーのような立場にも立たせてもらえているじゃないか、正社員になれないのは能力だけの問題ではない。この手の業界あるあるだし、仕方ないじゃないか。
自分が何が何でも劣っている人間だと思うには時が経ち過ぎた、もう十分に自分に自信を持つ材料はそろっている。
いつまで、バカにされた過去を武器にして、敵でもない修をほんのりと呪って、生きていくのか。
ダサいけれど、払拭しきることができず、ただ重いばかりの雑誌を手にして千晶は帰路につこうとしていた。
「お、重っも・・・・・。」
歩道のベンチに雑誌をドスっとおいて、休憩をしながら帰った。これ帰って全部読めるかな、読む勇気ないかもなあなんて考えながら。
ひと休憩して、さあ立ち上がろうとした時、
「ねえ。」
ついさっき聞いたような、聞いていないような女性の声が聞こえた。
顔を上げるとさっきの、あまりしゃべっていない方の美穂とやらが少し走ってきた様子で千晶の前に立っていた。
美穂とやら、と呼んでは失礼なのだが本当に覚えていなかった。修の取り巻きとしか見ていなかった女子生徒、の30歳くらいになった顔(ひどい覚え方だと我ながら思う)。
「な、なに。」
千晶は思わず警戒に近い声色を出した。美穂、は自分のエコバッグを千晶に向けて渡した。もともと千晶が持っていたそれよりも頑丈そうなバッグだった。
「え、なに?」
「その雑誌、そんだけ持って帰るの大変でしょ。入れなよ。」
美穂、は戸惑う千晶の手を無理に引っ張ってバッグを渡した。
「え、でもっ・・・・。」
「どす子、何冊買ってんの、もう。ほら入れてあげるから。せっかくの可愛いバッグが壊れちゃうよ。」
美穂、は受け取らない千晶を見かねて自らエコバッグを広げて雑誌を詰めた。いや、えっと、え、なに、と千晶が言うと美穂、はため息に近い深呼吸をして千晶を見た。
「私はどす子が今でもGAP好きなこと、笑わないよ、別に。」
え、なに、急に、と千晶は相変わらず戸惑ったままだった。そもそもこの子の苗字なんだったっけ、と考え込んでしまうほどだった。でもまあ自分も未だにどす子って呼ばれてんだから思い出せなくたってまあいいかなんて薄情なことを想いながらも、とりあえずバッグに雑誌を詰めてくれたことをありがとう、と伝えた。
「やっぱオタクってめちゃくちゃ買うんだね、推し?の雑誌とかさあ。」
美穂、が言う。
「う、うん、まあ。」
さっきのアリサ、とやらと同じテンションで話されているのかとなんとなく警戒してしまって美穂、に返事とも言えないほどの返事をする。
「好きなんだね、ホントに。あの頃からずっと。」
美穂、が千晶の目を見て言った。
目を見られてふと気づく。
あの、悪夢、に出てきた数人の女子の中の一人だった。修と仲が良いのかと問うてきた内の一人。反射的に一瞬息が止まった。息が止まって、それからハアっと大げさな呼吸をしてしまった。
あれから15年以上経っている。今更何かを言われるわけでもないだろうに、妙に心臓がどきどきと波打って怖くなった。
もう三十路だよ私、何怖がってんのバカじゃないの。自分ではわかっているけれど、人生の大きなトラウマを残した彼女らをいつもどこかで恐れていて、恨んでいて、その恨みつらみが心の武器にすらなっていて、だから目の前に彼女を置いた時に止まらない鼓動が怖かった。
それに気づいているのかいないのか、美穂はひとつ息をついて、千晶の座っていたベンチに座った。
ねえ、飲む?と鞄からコンビニで買えるような安いパックのカフェオレを差し出した。私も飲むからさ、と同じものをもう一つ鞄から出して千晶に見せた。千晶は言われるがまま差し出されたカフェオレを受け取った。とりあえず口からこぼれるありがとう、に想いも何もこもっておらず、失礼ながら、何だろうこの時間は、と考えていた。
美穂はカフェオレにストローを指して吸い込んだ。千晶も同じようにしてカフェオレを飲んだ。
「美穂ちゃん。」
千晶は恐る恐る名を呼んだ。美穂ちゃんと呼んでいたっけ?苗字で呼んでいたっけ?でも苗字覚えてないから呼べないし、と頭でぐるぐる考えながら、美穂ちゃんと呼んだ。
「ん?」
美穂が特に怪訝な顔を見せなかったので、この呼び方で合っていたのかなと安堵する。
「何で戻ってきたの、ここに。」
「駅までアリサ送ってって、私の家はこっちだから戻ってきたんだけど。」
美穂は駅とは反対方向を指さして言った。アリサ、を駅まで送る最中に千晶と遭遇したらしい。そうなんだ、と千晶はカフェオレを吸いながら言う。
美穂は中学時代、他の女生徒よりも大人っぽく、綺麗な目鼻立ちで男子からも人気があった(と思う)。
そして今も、変わらぬ美人ぶりとスタイルの良さで千晶は委縮しそうだった。
考えてみれば真紀も同じように容姿は美しいのだが、止まらない早口のオタク語りや激しい推しへの愛により、委縮することはなかった。
美穂はちゅー、っとストローでカフェオレを吸い、千晶を見た。
「どす子、そのまま雑誌抱えて帰ろうとしてたから大変だろうと思って。」
「ああ、心配してくれてありがとう。」
心配してくれたのか、ちょっとバカにされてんのかな、なんてまた卑下した考え方が頭をよぎって、ダメだダメだと思う。
思いながらも長年しみついた卑屈が顔を出す。
「マジ、何年ぶりだろうね。」
美穂が思いにふけったように、そして少し笑った声で言う。
ああ、多分15年くらいは経ってるのかな、千晶が答えると、そっかあ~そんな経つのかなあと美穂が笑った。
「GAPってたまに売れるじゃん?」
長年、GAPを最前線として見ている千晶にとっては何とも言えない言葉だったが、美穂から出たその言葉に、思い当たるヒット曲を頭で浮かべながら、うん、と頷く。
GAPは出す曲出す曲売れるグループではなかったため、彼女の言う「たまに売れる」は的を得ていた。
「そのたびに、どす子のこと思い出してたんだよね。中学卒業してからもずっと。」
美穂は笑うわけでもなく、バカにするでもなく、ただ、そういった思い出がある、という事実を伝えるようにそっと呟く。
「ああ、そうなんだ。」
千晶の反応を気にせず美穂が続ける。
「私って、一応…その何て言うか…1軍?みたいなグループにいたでしょ?」
美穂はどこか自虐的にすら見える表情を浮かべて言った。
千晶はそれを否定する材料もないので、うん、と頷く。
「でもさ、アリサみたいに目立つ方でもないし、私って結構無理してたんだよね。中学生の頃。わかる?」
美穂に言われて、そうなのかな?とも思ったが、責められた記憶もあるし、と、どうにもこうにも返答に困る千晶だった。
それを見兼ねてか美穂はわかんなくてもいいんだけど~と語尾をだらしなく伸ばしながら笑った。
「私から見たらどす子ってすごくずるく見えちゃって。なんか、上手く言えないんだけどさ、私みたいに頑張って派手なグループにも入ってないのに修くんと仲良くてさ・・・それでひどいこと、多分、言っちゃったことあるよね、あたし、どす子に。」
千晶は、
“どす子なのに”修くんと仲が良かったことってやっぱり、周囲からしたらしんどかったんだろうなあと、どこか優しい気持ちになって、それから、少しだけ傷ついた。
「中学の頃のことなんてどす子だって忘れてるかもしれないけどさ、たまに思い出すんだよね。悪いことしたなって。」
「うん…。」
「あの時、私無理してたなあって。私が無理して頑張ってアリサたちとつるんでるのに、どす子はそのまんまの自分で生きててさ、なんか妬ましかったんだろうなって。ありのままでいられて、好きなものを好きだって素直に言えてる姿が羨ましかったんだろうなって。」
「そうなんだ・・・・。」
「15年も経って、今更こんなこと言うのも変かもしれないけど、あの時もし傷つけてたんだったらごめん。」
美穂のストローに、ちゅう、とカフェオレが上がる。
千晶は美穂の顔を見ることができずにその茶色い物体を見ていた。
時が経ったから許す、のか、これほど時が経っても悪夢を見るほどの想いが自分にもあるから一生許さないのか。
人の心は単純じゃない。
千晶は、いつものようにヘラヘラするのも何だか違う気がして、うん、とだけ頷いて自分もカフェオレを吸い上げた。
いいよ、とは言わなかったけれど、許さないとも言わなかった。
「美穂ちゃん、このエコバッグ、どうすればいい?」
「また新しいの買えばいいから、あげるよ。」
美穂が言ったが、
「あー……美穂ちゃん、この辺っていつも通るの?」
「え、あ、うん。」
「じゃあ、また会おう。その時返すから。」
千晶はそう、返した。
“どす子”なんかが“美穂ちゃん”を誘うなんておかしいかなあとか、笑われるかなあとか、いつまでも中学生のこころが迷うけれど、そんな自分を追い出して、千晶は言った。
美穂は、わかった、とうなずいた。
その顔は、優しく見えた。
「あ、あのさ、GAPがね、年内ぎりぎりまで活動するからテレビで見かけたら見てみて。」
「・・・わかった。そのたびにどす子……じゃなくて、千晶ちゃんのこと思い出すよ。」
美穂が心をこちらに向けてくれた感覚がして、千晶も恥ずべきと思わず、笑われることを恐れず、思ったことを話せた。
「カフェオレごちそうさま。」
「・・・うん、また。」
「またね。」
「……美穂ちゃん。」
「うん?」
「……ありがとう。」
雑誌を詰めたバッグを重そうに持ち上げて、千晶は美穂に背を向けて歩いた。
NEXTSTAGEというものが、なんなのかわからない。
千晶もそのステージへ向かわなければならないのか。
それすらもわからない。
けれど、ほんの少しだけ、前へ進めたような気がした。
GAPにとっては、なんら関係のない、イチ一般市民のささやかな出来事であったが。
千晶のバッグはとても重かったが、足取りは先ほどよりも軽くなっていた。
⑫に続く
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