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【小説】推しグル解散するってよ②

『ちぃ、飲もう』
 
短文のメッセージ。ちぃという呼称。相手は真紀しかいなかった。
千晶は間髪入れずに「今すぐ行きます」と同じく短文で送った。
 
 森永真紀。千晶のオタク友達、いわゆる“オタ友”であり、幼馴染でもある。
千晶の八歳上の三十八歳。歳こそ離れているが、実家は徒歩二分ほど。千晶が幼稚園児の頃から可愛がってくれている。
現在は都会から少し離れたマンションに一人暮らしで、千晶と同じくGAPの二十年来の大ファン。推しのメンバーはリーダーの大二郎で、彼のためなら全国津々浦々、海外のツアーにも行くほどの強火(熱狂的なファンを表すオタク用語)である。十八歳で大二郎に出会い、大二郎のために生きていて、千晶同様、GAPの活動や言動がすべての原動力だった。
 千晶の職場から真紀の現在の家までは電車で十分程度、乗り換えもなくすぐに辿り着ける。最寄り駅に到着すると、真紀はロータリーに車を停めて待っていてくれた。真紀は大手自動車メーカーに勤務しており、乗っている車もおのずと自社メーカーの車だった。
 綺麗に磨かれた真紀の美しいシルバーメタリックのセダンが千晶を待っていた。窓越しに見える真紀はまっすぐ前だけを向いて運転席に腰を下ろしていた。腰を下ろしているという言い方が一番正しいように千晶は感じた。ちゃんと座っていない、魂がそこにない、ただ、運転をするためにそこに腰を下ろすしかなくて居るだけ、という感じ。千晶はこんこん、と二回窓を叩いた。真紀はハッとその音に気付いて真紀の方へ目をやった。
「お迎えありがとうございます。」
 千晶は車のドアを開けて真紀に言った。いえいえ、と真紀は答えた。
「飲むつもりだから帰りは歩きで駅まで帰ってもらうけど。」
真紀が言うと、千晶は了解っすと言葉少なに答えた。車内ではGAPの楽曲がデビュー時のものから最新曲までランダムで爆音で流れていた。
千晶がしっかりと真紀の顔を覗き込むと、明らかに泣いて泣いて泣き過ぎた様子で、目が腫れていた。
「え、待って、真紀ちゃん顔面お岩さんなんだけど。」
千晶が少し笑うと、お前もな、と真紀が返した。
お互いの目が腫れていた。千晶は社内や電車では泣かないようにしていたが、ふいに駅のトイレに入った瞬間ボロボロと涙が出てきたのを抑えきれなかった。
パンパンに腫れた目をお互いに指さして笑って、それからは急に黙って車に揺られた。
「真紀ちゃん泣かせにかかってる?」
「うん、泣かせにかかってる。真紀アンド千晶思い出リストだからコレ」
車内で流れる曲が、千晶と真紀のライブの想い出に沿った曲ばかりで千晶は嫌でも涙腺を緩ませた。もう十分に泣いたのに、と千晶は泣きながら笑う。それはGAPがミリオンセールスを達成した名曲でもなければ、全国民が知っている往年の名曲でもない、ファンしか知らない、ファンだけが名曲だと思っているコアな曲ばかりのリストだった。それがまた千晶の涙腺を刺激した。
千晶は助手席で、解散か、解散って何?、解散とか知らんし、などと延々と呟いていた。真紀にはそれが聞こえてこそいたが、それに触れずに家まで安全運転した。
「とうちゃーく。」
「運転ありがとうございまーす。」
 真紀は“いいマンション”に住んでいる。長い付き合いの仲でも聞いたことはないが、家賃はそれはそれは高いのだろうと安アパートに住む千晶も予想していた。
耳が詰まりそうなエレベーターに揺られ、高層階の真紀の部屋へと招き入れられた。
この部屋には何度も来た。もっと言えば、互いが実家にいる頃からお互いの部屋を行き来していた。目的はいつもGAPだった。一緒にDVD、いや、当時はVHSのライブビデオを見たり、ライブ前には応援ボードを作ったりしていた。真紀がこんな“いいマンション”に住み始めてからも関係性は変わらなかった。景観の美しいマンションの一室にはミスマッチな、応援ボードを作るためのカッターナイフや蛍光色の発砲スチロール板、画用紙が部屋の隅に雑然と置いてあった。
「ビールとハーブティーがあります。」
真紀が千晶に問う。千晶は間髪入れずにビールで!と叫んだ。
千晶は真紀のテレビ下の引き出しに手を伸ばした。歴代のGAPのVHS、DVD、そしてブルーレイディスクが並んでいる。未だぼんやりと現実を受け入れていない頭でそれらをいくらか手に取る。彼らが生きてきた過程の中でメディアはどんどん進化していったのだなと、勝手に実感した。
真紀がキッチンから、とりあえずさっき生ハムとチーズ買ってきたからつまみそれでいい?と聞いている。千晶は返事をしたのかしていないのかわからないくらいの無意識で、OK、と答えた。
千晶の向かい側に座ると、皿に盛った生ハムとチーズ、それからグラスとビールを1本ずつテーブルに置いた。
「二本目以降は冷蔵庫のやつ勝手に飲んでいいよ。」
「ありがとう。」
真紀はプシュ、と気持ちの良い音を立ててビールのプルトップを開けた。千晶も触れていたGAPの作品をいったん床に置いて、ビールを手にした。
「乾杯・・・じゃ、ないよね。」
真紀が言うと、とりあえずおつかれさまで良いんじゃない、と千晶が返した。
「そだね、おつかれ、一旦。」
雑についだ泡だらけのビールのグラスを軽くコン、と合わせた。
 泣き過ぎると人間の目は熱を持つことを知った。昼間に見た例のお知らせ以降、目が熱い。目頭が熱いなんて表現があるが、もはや目の全体が熱い。
千晶と真紀は思い思いにコレ見よう!とGAPの作品群を手にして、テレビ画面に映した。千晶が小学生で真紀が高校生の頃のGAP、お互いの人生の一番つらい時のGAP、それから、転機となった年のGAP……など、互いに思い入れのある年のライブ映像を見ては、あの時の大二郎の髪型が可愛かっただの、この時のリョウタは一番美しかっただの、ゴチャゴチャとしゃべり倒した。準備された生ハムは二人の記憶の無い間に口の中に消え、チーズはもったいぶって5ミリ程度に切りながらチビチビと食べた。
 しゃべり倒して、食べ倒した後にはひたすら二人の涙が待っていた。真紀は持っていたハンカチでは足りず、途中からバスタオルを握って映像を見ていた。
 
 千晶は、長く誰かを応援することとは何なのだろうかと、人生で何度も考えたことがあった。
学生時代の友人に会えば、「まだGAP応援してんの?なつかしい!」と毎度も言われた。20年も活動していれば全盛期と言われる時期とそれを過ぎた時期というのはおのずと訪れる。友人たちにとってGAPはもはや青春時代に流行っていたアイドルグループで、懐かしい思い出なのかもしれないが、千晶にとって彼らはずっと輝き続けていた。
人間を追いかけていくことは変化を見続けることだ。
千晶が小学生の頃はリョウタも高校生だったし、千晶が20歳になればリョウタは25歳。
成長と共に髪型が変わり、体形が変わり、言動が変わっていく様も見てきた。その変化のたびに喜んだり、時に落ち込んだり、時に勝手に怒ったり、オタクは忙しかった。
20年の歳月、オタクは常に忙しかったのだ。
そんな変化に一喜一憂しているうちに20年の歳月が経ってしまっていた。
 
「なんかさあ、泣き過ぎて目が痛いというか熱い。」
いくらか映像を見ていると真紀が言った。千晶は、私も、と答えた。
「昔の映像見てるとさあ、解散することなんて忘れちゃうよね。」
「このままずっと活動してると思ってたもんなあ。」
ため息と涙が同時に出る。
ちまちまと食べていたチーズがそろそろ無くなるかという時、真紀の家の玄関からゴソゴソと音がした。鍵を開けるような音だ。真紀に同居人はいない。同棲しているような話は聞いたことがないし、かといって友人とのルームシェアの話も出たことはなかった。

へ続く

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