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【小説】推しグル解散するってよ⑨

 大二郎に惹かれた理由はたぶん、顔だった。初めはただそれだけだった。
高い鼻に純日本人とは思えないくっきりとした目元、色白の肌。好きになった当初の大二郎は少しぶっきらぼうで、バラエティ番組に出演すれば態度が悪いとインターネットの掲示板に書かれたタイプのアイドルだった。そんな彼が、メンバー同士だとたくさん笑い、はしゃぎ、さりげないやさしさを見せる度に「私だけは大二郎の良さを知っている」なんて喜んでいたものだった。
 いつの間にか大二郎も大人になり、ぶっきらぼうだった姿はどんどんと角がとれ、柔らかくなった。テレビドラマに出演すれば話題となり、演技の賞も受賞するようになった。それを、彼が遠い世界に行ってしまうと嘆くファンもいたが、真紀は彼が誇らしかった。どんどん遠くなってくれて構わないと思った。知らない世界を見せてほしいと、いつも新しい姿を見せてほしいと願った。
 彼が頑張るたびに、自分も頑張った。
コンサートツアーのファン同士の打ち上げで、酔っぱらいながら誰かが言った言葉を思い出す。
ファンって推しに似るよね、と。
 それはまさしく真紀を指しているようだった。しっかり者で、優しい、けれどあまり本音は周囲に見せなくて、黙々とやるべき仕事をこなす。
本当に信頼を置ける仲間の前でだけは、号泣する姿もハチャメチャにはしゃぐ姿も見せる。大二郎に似ちゃったなあと真紀は嬉しくも悩ましく、友人同士で笑みを浮かべて語っていた。
 自分だけが年長者のGAP内で大二郎が一人、悩みを抱え込んでいる姿を“赤の他人”のくせに勝手に心配していた。“赤の他人”のくせに一緒に悩んでいた。
大二郎本人からすれば鬱陶しいかもしれない熱い手紙を五枚も書き綴ったこともあった。
 
 
 
 真紀は自分の受け持つ営業や顧客のデータを軽くマニュアルとしてまとめた。
そのマニュアルを読めば、自分が休んだ日でも後輩たちが仕事を進められるようにと。
マニュアルのデータを添付して、上司に有休申請を出した。
 
 大二郎はメンバーの前で泣いただろうか。
自分がしっかり出来なかった時のモヤモヤを話しただろうか。
自分が完璧に出来ない情けなさを吐き出しただろうか。
他のメンバーは、僕たちを信じてくれていいと大二郎に笑っただろうか。
 何も知らない。
画面やステージ上で放たれる美しさと儚さ以外のそれを、自分は何も知らない。
20年も見ていたのに。
 誰かが大二郎を責めただろうか、大二郎が誰かを責めただろうか。
ステージ上で笑う彼らを見ていたあの日も、裏では泣いていたのかもしれない。殴り合ったのかもしれない。
でも、何も知らない。
 けれど、彼らも私たちのことを何一つ知らない。
ステージ上から見えるファンたちが、人生のあらゆるシーンで泣いていることも、笑っていることも、彼らは何も知らない。
彼らの言葉で、音楽で、ただ佇んでいる姿で、愛を勇気を希望をもらっていたこともきっと知らない。
 私たちはお互いに何も知らない。
何も知らない中で、信頼していた。彼らが素敵なパフォーマンスをしてくれると信じて、私たちがそれについていくと信じていた。
たかが、アイドルとファン。信頼関係なんてあるわけないのかもしれない。ライブ中に目が合ったという発言すら、勘違いだと一般人には言われる。
私たちはそれをほんの少し自覚しながらもやりすごすことが正しい在り方だと思っていた。
自分たちが彼らの全てを支えているわけじゃない、彼らの周囲にいる仲間や家族が支えてきたのだと思う。
あまり考えたくはないが、そこに恋人の存在があった時もあっただろう。
20年の歳月の中でならそれもそれだ。
嫌々ながらもそういった情報も受け流してきた。
その上で、ライブ会場で感じる、彼らと自分たちを繋ぐ見えない糸が確実にあることは信じていた。
 ファンに見せてくれているものは彼らの生きざまのほんの一部分でも構わない。けれどその一部分だけはちゃんと支えていたい。
 
 真紀は今日の業務を終えてパソコンを閉じた。お先に失礼します、と残っている他の社員に声をかけて、それから、ビール買って帰ろう、と心で呟いた。
 
 
 会社から最寄り駅までは騒がしい繁華街を越えて10分ほどだ。
真夏の繁華街は他の季節よりも熱く、まぶしかった。
必死に男性客に声をかけるキャバクラのキャッチや、通り過ぎる女性に見境なく声をかけるホスト風の男がフラフラと歩く。
皆が皆、能天気に生きてはいない、きっと。
明るく見えても、心の中にはとんでもない喪失を抱えている人もいるのかもしれない。
 そんな人たちから見れば、「推しグループが解散する」ことなんて、屁よりも軽い出来事なのかもしれないなと汗ばむ脇を抑えて歩く。
「おねえさん!」
 20代前半のホスト風の男に声をかけられる。この街では慣れっこだ。
大二郎よりも若く、肌が艶々だった。
 けれど、君じゃない。君じゃないのだ。
 真紀はその声を無視し、ヒールの音を強く立てて駅まで早足で歩いた。
とっととストッキングを脱ぎたいくらいには、足元は蒸れていて、それを笑って許せるほどには真紀は残念ながら大人ではなかった。
 
 GAP解散まであと4ヶ月。
 
に続く

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