シェルブールの雨傘

 全編、歌ってる。

 ミュージカルはなんで歌うかというと、歌うのが最も適した表現方法だからだと、なんかのテレビで誰かが言ってた。確かに、歌うと、愛の言葉の訴求力が高まる。と同時に、粗筋が気にならなくなる。

 主人公の女は、自動車修理工と恋仲になる。が、彼は戦争に行ってしまい、ほかの男と結婚して、働いていた母親の傘屋も閉じる。帰国した男は、ほかの女と結婚する。

 粗筋は、たいしたことない。よくある悲恋もの。というか、みんなが歌ってるんで、ストーリーを追おうという気が、すぐになくなる。恋愛ものだから、難しいテーマはない。どこにでもある恋愛の悲しみが、音楽で表現されている。

 こういうのだ。こういうのこそおもしろい。考えることなく、音楽を楽しむ。ミュージカルの本質がある。その中で、底抜けに明るいか、暗い話か、というところで好みが分かれる。この作品は深刻な作りだから、好みでなかった。そういう雰囲気にひたりたくなる、元気な時に見たい。

 すべてのセリフが、歌うという形は斬新だった。ミュージカルは、普通に話してるところに突然歌いだすから、なんなんだ? となる。この作品は、最初から最後まで、全員が歌ってる。そんな世界は、さしあたってありえない。が、そういう世界なんだろうと思えてしまう。そうなるともう、リアリティなんて言い出すのは野暮で、なんだってありの世界になる。あとはもう、音楽が心地いいかどうかだけの勝負だ。そこでこの作品は、勝つに決まってる名曲を持っていた。思惑通りかそれ以上に、世界中でレコードが売れた。この映画は名画として不動の地位を獲得した。

 映画の中で、音楽は一つの要素として重視されているが、映画の良しあし、少なくとも素朴な観後感の8割は、音楽で決まるように思う。名画には必ず名曲がある。

 ストーリーはもちろん、画の作りよりも、音楽の方が人の心に大きく響く。人は、まず視覚に意識が行くが、その実、意識の奥のところでは音に大きな影響を受けている。気が付きにくいだけにやっかいだが、目で見る情報より、耳から入る音が、大きく心に響いている。

 この作品は、あらすじはよくある悲恋もので、これといった特異性はない。映像に際立った技術も見られない。それで50年たった今も、だれもがタイトルを知ってるくらいの存在として輝いている。それはひとえに、音楽が素晴らしかったからだ。

 映画のできは、音楽にかかっている。


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