ビリギャル

がんばった奴に結果が出るとうれしい

 好きなことだけしてればいいという親のもとに育った娘が、大学までの一貫私立校に入り、好き放題してたら停学処分になり、ほかの大学を受験することにする。塾に入り、どうせやるならと、慶応を目指す。

 他人事ではない。この娘は高2の夏休みに塾に入ったから、受験まで1年半。自分は高3の夏から勉強を始めて、浪人して東大に入ったから、やはり1年半。さすがに小4レベルの学力ではなかったが、地方の公立校で、成績は下位。最下位とは言わないまでも、下の上、ひいき目に見ても中の下といったところだった。

高校に入ってからマンガばかり読んで、勉強は授業に出ている時だけ。そういえば化学のテストで赤点を取って、先生に感情的に怒られたことがあった。その先生の授業が教科書を読むだけで、おもしろい解説もしないから、授業中に小説を読んでいたら怒られたりしていて、そんなこともあって化学への嫌悪感が芽生えたように思う。

風邪かなにかで学校を休んだ日に、数学の授業が新しい単元に入って、なんという記号だったか、Sを細長くしたようなやつの意味が分からなくて、いったん躓くと、そこから授業を聞いても理解できなくなって、一つ分かろうとするとこれまで以上に努力が必要で、多少は勉強しようとしたものの、やっぱり本を読むばかりで日を暮らし、ほかの教科の成績も下がっていった。

当時の学校は学力か部活か、そんなものだけで人を判断していた。今のようにその子の得意を伸ばそうというのでなく、劣っているところを人並にする教育だった。目上の人、先生や先輩には絶対服従で、授業中に内職してるのが見つかったら教科書とかで叩かれるのが当たり前だった。そうえいえばチョーク投げというのが普通に行われていた。黒板消しをぶつけられて、白い粉が舞い上がるのを教室中で笑うなんていう日常だった。

 高3になって、東大を受けると言ったら、誰も本気にしなかった。当然と言えば当然だ。その頃の模試の成績がどうだったか、よく覚えていない。それくらい成績に無頓着だった。夏くらいから本気で勉強を始めた。受験勉強以外何もしないことにした。マンガ本はしまった。テレビもやめた。親に無理を言ってジャパンタイムスをとってもらった。食事中に辞書を引きながら英字新聞を読み、トイレに英単語の紙を貼った。

問題集をしていると、できないことばかりで、できるところまでやっておこうとすると、朝になった。朝7時まで勉強して、7時半に起きて学校に行く生活になった。親に起こしてくれと頼むが、起きられるわけがなかった。布団で寝るとゆっくり寝てしまうので、床で寝ることにした。それでも起きられないので、起きざるを得ないように台所で寝た。難関大模試を受けたら、偏差値が42だった。まだまだ臥薪嘗胆が足りないと思った。

それでも共通テストの足切りは免れた。それだけで周りは驚いた。無理のないことではあるが、自分はこれからだと思った。半年足らずでマークシートのレベルにはなんとか達したのだから、ラストスパートで二次試験をクリアしてやると思った。が、無論そんなに甘いものではなく、落ちた。

 東大以外は受けていなかったから、その日から予備校を目指した。地元を離れ京都の予備校に行った。初めのうちこそ規則正しく予備校と寮を往復し、12時前に寝た。日曜にお寺とかを回って、寮に帰って日本史辞典の項目をノートに書き写すのが娯楽だった。

予習復習をして小テストのできなかったところをやっていると、12時に寝られない日が次第に出てきた。夏を過ぎると模試の回数も増え、予習復習をしきれずに予備校に行く日もあった。きちんとできてないと不安が生じるが、限られた時間でできるだけのことをするしかなかった。模試の判定がEからD、Cへと上がり、時に小テストの成績上位者として名前が張り出されるのが、かろうじて支えになっていた。

年末に予備校の3者面談があった。久ぶりに母親に会った。予備校に入って以来、連絡は手紙ですることにしていた。英作文の練習のため英語で手紙を書いていた。面談で予備校職員は、東大以外を受けるよう勧めた。模試判定が最高でBしか取れてなかったので当然だ。が、自分は東大を受けると言い放った。これまでの1年で偏差値42から60まで上がったのだから、あと2か月でまだ上げられるという思いがあった。ビリギャルの先生も、最後の2か月が勝負だと言った。今も最後の頑張りにクリスマスも正月もないという受験生がいるだろう。

 合格発表は本郷の東大まで見に行った。上野駅で降りて、ちょうど開園記念日で入場無料だった動物園を通って行く時、不安につぶれそうで、これだけやって落ちたらあきらめがつくと自分に言い聞かせていた。そしてキャンパスで番号が張り出された時、数字をたどっていくと、あった。自分の番号があった。思わず喜びの声を上げたのだろう。なんか屈強な男たちに周りを囲まれ、掲示板の前から移動させられた。何も分からない新入生を拉致する誘拐犯かと不安に襲われながら、抗いきれずにいると、ワッショイワッショイと胴上げしてくれた。ウワーってなってて、その時の記憶はおぼろげだが、たぶんアメフト部だったと思う。

 ビリギャルの合格発表はパソコンだった。掲示板の前でお祭り騒ぎをする感動がないのは寂しいけど、合格の喜びは自分と変わらなかったと思う。周りがみんな落ちると思ってて、唯一合格を信じている自分も半信半疑。そんな自分の心が折れないようにするには、何か考えることがないようにすることだ。自分は、意識のある時間は全て知識の吸収にかけた。1年余だからなんとか体ももったし、予備校の寮に入れて周りがみんな頑張っていたから気持ちが保てた。

 自分の場合は合格したから、受験勉強しかしなかった1年半が充実した時間だったと思えるのだと、以前は思っていた。でも時がたって、あの受験勉強にだけ集中していた時間は楽しい時だったと思えるようになった。当事者でいた時は、なんでこんなことをしなくちゃならないのか、こんなもので人の価値を決める社会なんてクソくらえだ、と腹が立ち、勉強の合間に壁を殴っていた。

でも、坐禅している姿が仏と言われるように、無心で何かに取り組んでいる時は、最高の時間を過ごしている。合格だろうがどうだろうが、本気で取り組むことが尊い。やってる時は、結果が出なければ無駄な時間だと思うだろう。でも結果なんて幸せの要因の一つに過ぎない。幸せの本質は、努力している時にある。ビリギャルが希望を持て、人生を変えられたのは、大学に合格したからではあるけれども、そんなのは理由のきれっぱしに過ぎず、何よりも、努力することの楽しさ、尊さを知ることができたのが最大の要因だ。

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