バーナデット ママは行方不明

不幸の原因は自主的な抑圧だ

 主人公は、建築家の女。若いころ、天才と言われていたが、結婚して家事と育児に明け暮れている。隣家と喧嘩もしていて、友人づきあいもない。話し相手は夫と娘だけ。夫はマイクロソフトで働き、金銭的には余裕がある。娘は高校に合格し、お祝いに南極旅行をせがむ。

女は長い船旅で知らない人と顔を合わせるのが嫌で乗り気でない。が、夫と娘で南極に行き、その間うつ治療を、という提案を受け、自宅を飛び出していく。夫と娘は女を探すのに必死で、出発予定日が来ても家にいたが、女は飛行機に乗っていた。

夫と娘はあわてて南極に向かい、女を探し続ける。その間に女は、研究者と知り合い、南極点の基地建て替えの話を聞く。そして自分が設計すると思いを固め、勝手にボートに乗り込んで基地に行き、設計にこぎつける。

 前半はアメリカの家、後半は南極。アメリカでのストーリーは、とにかく主人公の女がわがままで、なにかというと文句ばかり言っているので、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。南極に行ってからは、人付き合いが嫌いなはずなのに、たまたま知り合った研究者と打ち解け、基地の職員とも積極的に交渉する。その我意に率直で強引な姿は、前半のアメリカの自宅での姿から、この人ならさもありなんと思えた。

 南極に行ってから、女はがぜん元気になる。それまでの隣家や夫に不満をぶちまけてばかりの姿からは想像できないほど、前向きに生産的な行動に出る。

 他者への文句は、何かを生み出しにくい。不満が発明のもとにはなるが、それがただ文句を言って終わるか、何かに貢献できるものを生み出せるかの違いは、自分がやりたいことであるかどうかだ。

この女は、結婚してから設計の仕事をしてなかった。夫が忙しく家事を自分が担当しなければならなかったこともあるし、何より、才能が認められた建築が、理解しない者によって取り壊されたことがトラウマになっていた。

 きっかけがあればいいのだろう。次に踏み出せば、忙しくて、過去を振り返る時間は少なくなる。過去は苦だ。貴重な限られた人生を、過去に浪費しないためには、忙しくすることだ。それには新しい仕事に取り掛かるのが一番いい。とはいえ、人間、特に弱っている時には、なかなか新しいことに踏み出せるものではない。

この映画の主人公は、たまたま娘が優秀で、なおかつ母親同様の強引さを持ち合わせていた。それで南極旅行という、非日常がもたらされ、新しい仕事に取り組むことができた。

 自分が新しい一歩を踏み出せない時は、他人に頼るのがいいかもしれない。というか、そうするしかないだろう。自分ひとりで事態を打開しようとして、ずっとできないでいたから苦を抱えている。だったら、他人の力を借りればいい。それが自分のためであり、苦しむ姿を見せられ心地よくない日々を送らされる家族のためでもある。

 歴史学の教授に、仕事は断らないこと、と教えられたことがある。あまり得意でない仕事を頼まれ、忙しかったこともあって断ったことがある。いま思えば、無理してもやってみればよかったと思う。得意でないことだけに、引き受けていれば勉強せざるを得なくなって、その後の視野が広がったはずだ。金銭的なことはもちろんだが、自分の成長という意味でも、他人からの働き掛けは大事にすべきだと思う。

 人には、生まれながらにして、というか、生まれてからの環境によって、もしかしたら、この世に生まれる前からの魂の次元でか、求めるものがある。無意識に自分の求めるものに向けて行動しているのだけれど、成長するにつれて、周りに合わせるようになる。本当にしたいことがあるのに、社会や周りの人の指向に沿って行動し、それに気づきもしないでいてしまう。

元気に生きられないはずだ。子どもの頃は学業とか部活とかに振り回され、社会人になってからは付き合いで自分を犠牲にするのが、いまの日本だ。

 後半の、南極の海で女がカヤックに乗っているシーンがよかった。音楽もよくて、広い氷の山と海の光景に、こんなところを体験したら、日常の細かなことを忘れて、生きる上で大事なことを思い出せるのではないかと思えた。

このシーンから後の女主人公は本当に溌溂としている。見ていて気持ちがいい。こんな顔で誰もが生きられたら、世の中はきっともっと楽しい。人より上にいきたいとか、誰かに評価されたいとかでなくて、自分が何をしたいのか、落ち着いて自分の中の思い込みの膜をはがしていって、子どもの頃のように素直に生きられれば、自分も充実するし、周りの人も楽しくなる。他人の力を素直に借りて、自分に正直に生きることが、自分のためでも、世の中のためでもある。


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