フェイブルマン

外国の宗教事情は分からん

 コンピュータ技術者の父は几帳面で律儀。元ピアニストの母は情にもろく感覚的。オープニングすぐのシーンで、息子に映画の良さを語るのに、父は1秒24枚の画が動くと説明し、母は感動すると話す。堅物の父がやっかいな人に思えるが、その実、母が不倫していて、まじめな父の人のよさが際立つ。

 スピルバーグの自伝的作品と聞いて見たが、不倫、信仰、の2テーマが強く残った。

 母親の不倫の相手は、夫の友人で、それだけでもダメな人だが、夫が栄転する時に、親友も一緒に転職できなくて平気なの、と夫を責める。善人を装いながら、実は性欲のまま自分本位に動いているという、底抜けな女だ。この母親は、息子を苦しめていることに悩んでいるから、つい同情してしまうが、母親の後悔は、息子を苦しめたことにあって、自分の欲を抑えられなかったことではない。

親の不倫に気づいた息子は苦悶する。悪事が悪いのは、誰かを苦しめるからだ。不倫した当の二人が何かしらの不幸になるのは自業自得だからいいが、関係ない家族が、特に子供が悲しい思いをさせられるのは、とてつもなく悲惨だ。一時の欲望がどれだけの苦悩を人に与えるのか、考えてから一歩踏み出せと言いたくなるが、こんなことをする人はそこまで頭の巡らない人だ。というか、考えられないような状況にある人が悪事に走ってしまうというおことだ。

 アリゾナはユダヤ教徒の多い土地なのだろうか。日本にいると、そんなアメリカの常識が分からないから、作品の意図がきちんと理解できていないのだろうと思う。つきあった女が熱心なキリスト教徒で、部屋の壁にアイドルの写真とキリストの写真が一緒に貼ってあるのも、奇異に見えるが、日本でもごくまれに熱心な新宗教の信者がいるから、まだ分からないでもない。でも、転校先でいじめられるのに、キリスト殺しと言われるのは、不勉強な日本人にとっては、なんじゃそれは?だ。

日本に無理やり当てはめて仏教で考えたら、提婆達多の子孫め、という罵りになるのかもしれないが、そんなセリフ、たいがいの人には伝わらない。日本では、統一教会にしろ創価学会にしろ、浄土真宗でも日蓮宗でも、とにかく宗教について語ることは日常でほぼない。語ってはいけないことのような空気がある。何かの信者であると明かすのは、好きな人を言うよりも秘密にしたいし、もし告白されたとしても戸惑うしかない。

 もう一つ分からないのがスカウトだ。主人公が映画を撮っているシーンでも、上映するところでも、みんな軍服みたいな制服を着ている。ボーイスカウトの服のように見えるけれども、これも知識がないから分からない。ボーイスカウトというのは、キャンプとか野外活動をする子どもの楽しい会、くらいの認識でしかなかったが、やはりこれも宗教が絡むそうだ。日本でもお寺が運営主体になってたりするが、さほど信仰が強調されるわけではない。地域の世話好きなおじさんがやってるという印象だけど、アメリカではどうなのか。この主人公がスカウトに熱心だったのか、アリゾナの子どものつながりはスカウトが中心なのか。アメリカの常識を知らないから、スカウトを出すことでどんな意味を持たせようとしたのか、分からない。

 主人公が撮った高校行事の記録映画で、2人から反発を食らう。2人ともいじめグループの一員だが、1人はカッコ悪いところを撮られたからと、しごく当たり前な反応で怒る。もう1人はいじめのリーダー格で、かっこいいところが撮られている。それをこの人は、あんなかっこよすぎるヒーローなんてありえない、といって怒る。人によっては喜ぶところだが、この人は嫌味に感じた。番長のような男が実は劣等感を抱けるくらいの人間だった。

 どんなにきっちり映画を撮っても、どれだけ緻密にコンテを描いて、画の細部にまで気を配っても、観る人によって受け止め方はまちまちだ。作者の思いが全員に十全に伝わるなんてありえない。この映画もいろんな賞を受けたりノミネートされたりしたみたいだけど、実際のところ、大御所のスピルバーグにゴマをすろうとしただけの人がどれだけいたかは分からない。掛け値なしで票を入れた人もいただろうが、そうでない人がいたっておかしくないし、大御所になったらそういう目で見られるのも仕方ないことだ。

 ラストのジョン・フォードに会いに行く時、父親が世話してくれていて、やっぱりあの母親じゃないんだと思わせられた。なんにしても、最後で主人公が希望を持って行ったから良かった。音楽がジョン・ウイリアムズで、ラストシーンからエンドロールの音楽を耳にしているだけでも、いい心地にさせてもらえた。

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