ありのままの自分って?
我が家は、保護猫の「預かりボランティア」というのをやっています。
地域のシェルターさんと繋がっていて、なかなか里親さんが見つからなかったりすると、シェルターも満員になってしまい、溢れてしまった子たちなどを一時的に預かったりするものです。
我が家へ、来る子、来る子、みんな可愛くて、毎回「うちの子」にしてしまおうかと思うくらい、本当にどの子も愛らしい。
昨日、3ヶ月ほど預かっていた猫ちゃんの「人馴れトレーニング」が終了し、シェルターに送りに行きました。
そのついでに、この夏、我が家で預かっていた「くろすけ」という猫が、まだ里親さんと出会えず「ご縁待ち」をしていたので、久しぶりに会ってきました。
シェルターの部屋に入って「くろちゃん」っと、声をかけました。
しかし、私のことはすっかり忘れてて、シャーシャー威嚇。「なんだコイツ!?」とばかりに、部屋の隅からキョロキョロ。
我が家で預かっていた時は、超絶甘えん坊くん。
心許した人にしか甘えられない「小心者」なのですが、そこがまた可愛い子でした。案の定、シェルターの方にはおもいっきり甘えてるそうです。
そんな怯えた様子のくろすけを見てる私に「ぜひ、私をもらって下さい!」とばかりにアピールをしてくる猫ちゃんたちが寄ってきました。
はじめて会う自分に警戒心もなく、お顔をスリスリ。勝手にお膝にものってきて、話かけると「ニャン♪」とお返事もしてくれます。
「くろすけも、ちょっとは頑張らないと、見てもらえないぞー!」と、懐っこい子と比較してしまって思わず言ってしまったのですね。
そうしたら、そのシェルターの方が、言ったのです。
「くろすけ君はそのままでいいの。今のままのくろすけ君を「あぁ可愛い」って言ってくれる ”運命の出会い” があるから」って。
私、この言葉にふと、考えさせられました。
「もっと勉強できないと」とか、「もっと運動できないと」とか、学校ってそういう空気感だから、みんなそんな風に育っていくではないですか。
時には、親が自分に望む姿が見えたりすることもあって、「ありのままの自分でいる」って、いつしかわからなくなってしまいますよね。
でも、本当は「くろすけ」のような姿が自然で、本来正しい「動物」の生き方なんだと思うんです。
誰かにとって都合が良い「規格内商品」みたいになるのではなく、そのままの自分を無理には変えようとせず、ありのままの自分を好きだと言ってくれる人との出会いを大切にする。人生それで良いのではないかと。
もちろん人を傷つけることはいけないですが、「ネガティブよりポジティブが良い」みたいな、知らない間に身体に沁み込んでる、固定概念みたいなものってやっぱり「生き方」を曇らせる一つです。
「友達100人できるかな~♪」なんて歌もありますが、人生、おばあちゃんになっても何でも話せるような「親友」が1人でもいたら、きっと素晴らしいもの。
仕事でもよく「自分のことを嫌いな人でなく、自分のことを好きな人を見て、その人が喜ぶことをしなさい」と、アドバイスを頂くことが多いです。「ありのままの自分=本来の自分」として生きて、それを好いてくれる人と多くの時間を過ごしたいものですね。
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