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『Fire and Ice』 Robert Frost

Some say the world will end in fire,
Some say in ice.
From what I’ve tasted of desire
I hold with those who favor fire.
But if it had to perish twice,
I think I know enough of hate
To say that for destruction ice
Is also great
And would suffice.

Harper's, 1920.

誰かは言う、世界は炎に包まれて終わると
誰かは言う、氷にだと
口にした欲望の味からすると
私は炎と言う者たちの肩を持つ
しかしもし、世界が二度滅びるなら
憎悪のこともよく知っている
破壊し尽くすためには氷もまた
ぴったりで、そして充分であると
言えるほどには

有明十八 訳

世界の2つの終わり

約100年前の田園詩人によって書かれたこの詩は、地球の終わりについての天文学的な見地から着想を得たと言われている。

太陽が爆発して地球を灰にするか
深宇宙でゆっくりと凍ってしまうか

FireをDesireと、IceをHateの象徴として、「人間が世界を滅ぼすなら」という視点で鮮やかに対比させた。

この詩が発表された1920年とは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代。人間の欲望と憎悪が、肌で感じられるほど近くにある時代だったに違いない。

平易な単語で書かれた9行の短い詩は、万物の根源的な法則のような響きをもち、時代をこえ国境をこえて人々に広く示唆を与えてきた。

『不都合な真実』の著者アル・ゴアがノーベル平和賞を受賞した際にこの詩を引用したのも、欲しがることではなく与え合うことを、憎むことではなく思いやることを、私たちは学ばなければならないと伝えたかったからだろう。

しかしこの詩は、単に人間の醜い二つの面を描いたものなのだろうか?

構造の美しさ

例えばこの詩を、Butからはじまる5行目を中心に
扇状に広がる構造で組まれているととらえてみる。

前後2行がそれぞれFireとIceについて書かれている。

とすると、最後2行の great と suffice は、( ice についてのように見えるけれども) 最初の2行同様、fire と ice 両方について言っている言葉ではないかと考えることができる。

なぜわざわざ7行目をセンテンスの途中で止め、
最後の2行を切り出したのだろう?

フロストが、欲望でも憎悪でもない「もうひとつの世界の終わり」
のことを思っていたのではないかと考えてしまう。

それは「無関心」という終わり。

もうひとつの終わり

思えば、欲望も憎悪も、世界を滅ぼすほど激しさを増すのは相手があってこそだ。人と人が関わることは、まるで燃える星と星とが衝突するようなもの。

そんな灼熱の世界の外にあるのは、無関心という深宇宙。
もうひとつの、さみしい世界の終わり。

テクノロジーの発達とパンデミックを経験した私たちにとっては、
その孤独は実感を伴って感じられるものとなった。

星の光が消え去った宇宙をぽつんとひとり見上げたとき、この詩は、小さい頃のアルバムに挟まっていた、胸を締め付ける写真となっているのだろうか。

それとも私たちは、懐かしさすら忘れてしまうのだろうか。

greatには「大きい」という以外に「すばらしい」という意味が、sufficeには「充分である」という他に「満足する(させる)」という意味がある。

作者は、そんな真に冷え切った世界の終わりと比べて、言いたかったのかもしれない。

fireで滅びる最後も、iceで滅びる最後も、弱く愚かな私たちが共に生きた証として、“great” であり、”suffice” であると。

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