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環境保全についての一考察 手法編

SNSを眺めていると、実に様々な考えを持って多くの人が保全に取り組んでいる。共感、賛同できるものもあれば、それは悪手なのでは、と思うものもある。

そういった様々な活動を眺めるなかで、私はどのように考え、何をやっているか、ということを今日は記してみたい。


目標をどこに置くか。

何よりもまずはこの点だと考えている。おそらく私の場合は最終的な到達点は「豊かな生物多様性と共存する未来」というものだろう。ただこの目標だと、途方もなく大きくて何をしたらいいのか分からない。

もう少し具体的な内容を付け加えよう。

「有明海とそれを取り巻く淡水域の再生」だ。ここでは私のメインフィールドが有明海なので、この場所をメインに話を進めさせてもらう。

先程の抽象的な「豊かな生物多様性と共存する未来」という目標に、場所を付け加えることでかなりやりたいことが見えるようになってきた。目標の規模が小さくなったようにも思えるが、これでも一人の人間が取り組むには圧倒的に大き過ぎる問題だということを忘れてはいけない。

大き過ぎると、具体的に何をしたらいいのか分からなくなる。これでも大きな目標だけれど、とりあえず理想をここと定めて話を進める。


問題の細分化

次に取り組むべきは、問題の細分化だ。手法の細分化でもいい。

有明海周辺の抱える問題だと、環境改変による生息地の消失、河川流量の減少、過度な漁業、大規模な改変による海流の変化、温暖化に伴う問題、外来種etc……と、実に様々な問題を抱えている。

有明海再生という目的のために解決しないといけない要素はこれだけあるのだ。個々の問題の解決法というのは全くの別物で、個別に対処していく必要がある。全て一足飛びに解決出来る素晴らしい方法があればそれが一番だが、残念ながらそれは見当たらない。


三つの要素

そしてそれらの問題を解決する上で、大きく3つの要素が関わってくると考えている。

1.直面する課題、現場の保全活動

2.社会と生物多様性の接点、生態系サービスの可視化

3.保全するための仕組み作り

この3点だ。個別に考えれば多くは1つ目の現場の保全活動になりそうだが、関わる地域社会の理解や持続的な保全のためには2つ目の生態系サービスの可視化が必要になる。理解が得られなければ、そもそも保全は成功しない。
そしてそれを進める中で必然的に行政とも関わることになるが、熱心な職員が移動になって取り組みが立ち消えたり、引き継ぎのミスで保全が反故にされることもある。それが仕組みの問題だ。

この三つの要素を考えつつ、個別の問題の解決に取り組むこと。それが重要だと考えている。


具体例

ということで、私がどのように保全活動に関わってきたのかを振り返りながら考えていきたい。

2017年 飯江川塩性湿地 保全運動

2019年 ブラジルチドメグサ防除活動

2020年~ 生物多様性×日本酒 の取り組み

他にもやながわ有明海水族館館長やセボシタビラの保全活動、湿地帯造成など色々やってきたが、とりあえずこの3点をメインに上記のことを踏まえながら振り返りたい。



飯江川塩性湿地の問題は1-3の問題が深く絡み合っていた。
改修工事に伴う船着き場建設で非常に重要な干潟が失われるというものだった。
1つ目の現場の保全活動では、10ヶ月を費やして生物の調査を行ったり、観察会を開いて理解を呼びかけたり、工事関係者や行政に働きかけたりと色々やった。この点ではある程度の成功を収めたと考えている。
その結果、9月には再検討となり、最終的には一部干潟を残すことになった。

しかし、2と3で失敗した。
対岸の漁業者の強い要望で保全区として残されるはずだった場所も撤去された。これは行政内の引き継ぎの不備も関係している。

2の「生物多様性と社会の接点」という点において理解が得られず、それが3の「仕組みの問題」まで巻き込んでしまった形だ。


元々の干潟はほぼ失われてしまったものの、福岡県の働きかけのおかげで干潟が再生しやすい施工が行われ、まだ周辺に生き残ってくれているのならいつの日かあの場所に多様な生き物が戻ってくるかもしれない。

失われたものはあまりにも大きかったが、諸要素が上手く回らなかった教訓になった。


対してブラジルチドメグサ防除は上手くいった好例だと思う。詳しくは、以前書いた記事を読んで頂きたい。

2の要素、生物多様性と社会の接点、生態系サービスの可視化が広く理解して貰えたことが決定的だった。

初期は数名で始めた防除作業だったが、それがマスメディアやSNSで注目されるようになってくると、今度は行政も問題意識を持って取り組んでくれるようになってきた。


ブラジルチドメグサが増えすぎることによって水路の機能障害や水害の助長など様々な問題が発生する。水路の水草という地味で無視されがちな問題だったが、小さくても良いから活動を始め、そこから展開し、そして最終的には行政も巻き込んでの保全策に転じる。

高良川で根絶できたのも良かった。実地の活動で「初期に抑え込めば根絶も可能」という実例が示せたことで、より防除の重要性が示せたのだ。

飯江川塩性湿地の件は干潟が無くなることによるマイナスを伝えきれなかったが、ブラジルチドメグサの場合はこの外来種を根絶することで得られるプラスをよく理解して貰えた。

また仕組みの点でも、国交省、福岡県、久留米市、市民が個別に把握していた情報の共有も試みられた。一重にこれは市職員の尽力のおかげだ。感謝してもしきれない。

活動は最初は1人でも始めるしかない。
しかし、やってる間に仲間が増えたり、こうやって地域や行政にも理解されて展開していくことがある。これはとても大切なことだ。
もちろん働きかけを怠ってはいけないが、重要なのは理解してもらうという点だと考える。1人で始めて、そのまま独り善がりになってしまっては「1人で届く範囲」でしか状況を変えられない。
それどころか悪い印象を持たれてしまって逆の反応を引き起こしてしまうかもしれない。

どうやって関わる地域や自治体に理解して貰うかが重要だ。

これは「協力して欲しい」というわけではなくて「容認してもらう」ということでもある。


その点では現在取り組んでいる「生物多様性×日本酒」の活動が分かりやすい。

昨年秋から私は鳥取県の酒造会社で働いている。と言っても、最初はただのアルバイトだった。

ここまで有明海で活動してきて、なぜ突然鳥取県の酒造会社なのかというと、この酒造会社が酒米を生産している環境が非常に良好だということに気が付いたからだ。

諸々の経緯はいずれ記事にしようと思うが、とりあえず去年の冬頃までにはこの環境の良さに気が付いた。そこから今年の春にかけて生物相の調査を行った。



こういう調査に関しても、やはり人が関わる集落の里山という環境。集落の集まりに顔を出したり、仕事帰りに竹林の整備を手伝ったりして集落の人達と仲良くなることが大切だ。

そうしているうちに、カエルを探しに里山をうろうろしていても不審がられなくなってくる。

それどころか、雑談の中から「ボッカがいた」とか「イモリならその水路におるぞ」とかいう情報が入ってくるようになる。

何気ない日常のなかに大切な話が埋もれているし、そういう心掛けが「何がwin-winの関係なのか」を考える上で重要なのだ。


そうやってこの里山の情報を集めていると、本当にこの場所が良好な環境であることが分かってきた。

現在約30種の水生生物が酒米田周辺に生息していることが確認できた。その中にはサンインサンショウウオやコガタノゲンゴロウなどの絶滅危惧種も含まれている。

正しく「生物多様性と共存した酒米田」だったのだ。そしてさらに凄いのはそのことに誰も気付いていなかったことだ。意図せずこの環境を維持して、偶然今まで良好な環境が保たれていた。

これは上記に掲げた「生態系サービスの可視化」がまさに当てはまる。せっかくこれだけ良好な環境があるにも関わらず、可視化できていなかった。何とも勿体ない。

移住し、働きつつ「生態系サービスの可視化」、ここではさらに踏み込んだ「生態系サービスの産業化」が出来ないかと模索していた。

部外者ではなく社員として準備を進め、先日ついに社内でプレゼンを行わせて頂いた。
残念ながらサンショウウオのラベル化といったことは出来なかったものの、生物多様性の活用は非常に評価され積極的に取り入れ発信していくことになった。

企業にとってもこれらの生き物がいることが、良いイメージに繋がるということを理解して頂けたのだ。この半年間は十分な結果に繋がった。

そしてこういう事例は有明海の水田環境を考える上でもプラスになり得る。筑後川周辺にも酒蔵は多いし、冬季の麦作はビールの原料にも利用されている。買うことが保全に繋がる嗜好品という可能性は活かしていきたい。



もちろんこの場所にも問題はあって、笹薮の伐採をしないとあと5年もしたら里山の花々は飲まれてしまうだろう。
イノシシに埋められたサンショウウオの産卵地の整備も必要だ。

今回は2ありきの1という珍しい例になった。


飯江川塩性湿地の場合は、実地は上手くいったもののその先でつまづいた。

ブラジルチドメグサの場合は、実地を材料に、理解と仕組みに発展させていった。

生物多様性×日本酒の場合は、価値を可視化するために、実地で補っていった。

まさにケースバイケースなのだ。どのようなアプローチが良いのか、それは問題ごとに変わってくる。私が上記したことはその一例に過ぎないが、何か問題に取り組む時の参考になればと思う。

例えば、地球規模の大きな問題に対して私は有効な解決手段を持ち合わせていない。大き過ぎてどうしたら良いのか分からないのだ。
だが地元のスケールで考えてみたら手掛かりは転がっている。地元企業に「気候変動への取り組みは評価されますよ!」と働きかけてみるのも良いかもしれない。
それ自体もなかなかに難しい課題かもしれないけれど、社会を変えよう!といきなりそこに挑むよりは現実味があるし、そういう要素の集合体が社会なのだ。

曖昧な「社会」という存在。だって、他分野の人達からしたら私だって「働きかける社会」側の人だ。環境の視点から見た時に見える世間と、芸術の視点から見た時の世間は当然ながら別物のように。

何かに取り組む時に、まずは取り組む問題、対象、手法を明確化していくというのも大切だと思う。そういう小さな問題の解決なくして、大きく混沌とした問題の解決は非常に困難だろう。

ひとつ成し遂げれたら、次はもう少し大きな問題に取り組んでみてもいい。
そうして紐解いていくうちに、何か妙案が思いつくかもしれない。

私はまだかなり絡まった状態だけれど、ひとつひとつ紐解いていこうと思ってる。

まぁ、こんなところで私の環境保全に関する一考察は終わろうと思う。読んで頂きありがとうございました。

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