映画を観に行こう(愛にイナズマ)


今月の17日に推しが本を出す。

頭にあったのは中身に何が書かれているかというより、発売記念の対面イベントが存在することであった。程よいタウンの仙台に来てくれるわけではないのだが、名前入りのサイン本販売会があるという。考えただけで卒倒しそうな神イベントだ。企画した人は偉い。
一点物のサイン本を入手できることはもちろん嬉しい。「無人島に1つだけ持っていくなら何を持っていきますか」の解答筆頭候補になるレベルだ。しかしそれ以上にこのイベントに隠された魅力がある。推しにゼロ距離で「会える」こと。テレビの中の存在が実態として眼前に顕現するとき、興奮と緊張で生を実感できるだろう。新幹線代など全く惜しくない、まさに黄金体験。進むべき道を切り開くのは「推し」だッ!

少し問題にすべきなのが、自分の中で推しが「未知」として構築されている点だ。平たく言うと理想の存在として、通常であれば話せばわかる人となりを他の感情で補強している。この部分と実態が離れれば離れるほどショックは大きくなり、幻滅という言葉が顔を覗かせる。推しに限ったことではなく、サイトでの評判が良い飲食店や書店売り上げランキング上位のものと相対したときに、自分の中で「そうでもねえわ!」と思うとがっかりした気になる。が、これは自分で向き合ってみて得られる感想だ。どこの馬の骨だか分からない人間の考えなど参考程度にすればいいのに、息苦しそうな人が多すぎる。さて、今回の場合会うことによる「こんな人だとは思わなかった」的な幻滅は天地がひっくり返っても絶対にないと断言できるため、問題はその先にある。推しが「既知」の領域に入ってしまうのだ。知りすぎることによる無関心。一方的にこちら側で作り上げたあまりに神聖な像と実態が重なった時、相手の全てを閲覧したと錯覚してしまい、敬意と興味を欠くことを恐れている。

その溝を少しでも未然に埋めておくため、主演映画の『愛にイナズマ』を観に行った。ネタバレをしない範囲で感想を書こうと思っていたのだが、この時点で800字を超えている。大半の皆様は携帯で読んでくれていると思うので、これ以上はスクロールを止めてしまうだろう。面白い画像も無く長ったらしい文章は飽き飽きしてしまうため。別に時短文化にやいのやいの言うつもりはないし、「タイパ」も好きな人は頑張ればいいと思う。映画のスタッフロール中に立つ人はあっち行け。

余談だが、先行している2つの記事の閲覧数が合わせて100回を超えていた。
この国、娯楽なさすぎだろう。皆で無人島に行こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?