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些細

 「有澤さんってB型なのにめちゃくちゃ細かい時あるよね」
今の職場で先輩に言われまくっている言葉だ。ちなみに先輩はA型なのに結構大雑把で、お互いにこだわる部分が違いすぎて相互補完をするいい関係である。
 私がよく細かいと言われる部分を列挙してみる。


・タオル、台拭きをかけるときにまっすぐになってないと嫌。シワが付いたままかかっているのも嫌
・ファイル立てなどデスク上のものがの角度が斜めになっていると嫌
・ラベリングされていないファイルが存在するのが嫌
・自分のテリトリーにひとの荷物がなんの断りもなく侵入しているのが嫌
・トイレの蓋を閉める、シンクや洗面台周りの水を拭き取る、書類を日付順に並べる、などというルールが守られていないのが嫌

 前半は公共の場所限定なので、ひとのデスクがどれだけ散らかっていようが気にしない。それに自分でも「まぁ自分がやりたいだけだからな……細かいと言われるのも仕方がないな……」と黙って片付けるのだが、最後の一つ「ルールがあるのに守っていない人が嫌」は私が細かいと言われる筋合いはない。と思っている。

 ルールや法や約束は守るためにあると思っている。(そこにマナーをあえて含めないのは、マナーは結構勝手で打算的に誰かの都合だけで作られたものが多いからだ)
 ルールも法も約束も、みんなが気持ちよく過ごせるために決められている。「そんなことないルールや法があるが?」というなら、それはみんなで決めなおす必要がある。時代の流れだったり、今まで前例のなかったルール外の事が起きたりするとルール自体がその場にそぐわなくなってくる。学校や接客時の頭髪や服装の規定、夫婦別姓の問題はそれに当たるのだと思う。社内の些細なルールも、みんなが守ればみんなが気持ちよく過ごせたり、効率よく仕事ができるから決められているのに、何故守らないのだろうと純粋に疑問に思う。

 割と蔑ろにされるのは「約束」だ。こう言うと「固い」「重い」「考えすぎ」と言われる。お察しの通り、私は割と約束を守る方だ。待ち合わせの時間、イベント関係の資料の提出期限、やるといったことはやる、できないことは最初から断る。些細なことでも人とした約束は、ある種の契約で、信用問題だ。だから私はできるだけ約束は守る。
 もちろん、私もすべての約束を守れているわけではない。誰にも迷惑をかけずに生きているわけでもない。めちゃくちゃミスもするし、物覚えが悪いので何度も同じことを聞くし、頭が悪いのでみんなが理解できていることが理解できない。理解できないときは「すみません、わからなかったのでもう一度教えてください」と言う。一応、自分でできる努力はしているつもりだ。

 先日「なんでみんなそんなに遅刻するんだ。事情があるのは仕方ないけどなんで毎回そうなんだ。私はみんなの時間を大切にしたいと思って遅刻しないようにしているのに。あなたと約束したからそれを守ろうとしているのに。私の時間は大切にしてくれないのか。いいよそれならもう!!私もひとの時間大事にしねぇから!」とTwitterでキレ散らかした。昔からずっと思っていたのだが、ここ数年あまりにも遅刻され率が高く、我慢できなかった。今はもう全く怒ってもいないし「まぁそこまで大事(だいじ・おおごと)に思ってないんでしょうよみんなは(拗ね)」ぐらいのものなのであまり気にしないでほしいのだが(いや、多少は気にしてほしいのだが)、本当にあまりみんな気にしていないらしい。

 私は親が厳しかったというほどではないが、きちんとしているようなのだと思う。ありがとうごめんなさいはまっさきに言う。約束は守る。家族や友だちでもお金の貸し借りはしない。いただきますごちそうさまを言う。公共の場は整理整頓をする。私がよく言われる「細かいね」は親(特に母親)の教育の賜物だ。私の細かさを茶化されたり、否定されると母親まで否定された気になる。おそらく、そこまで深い意味はないのだろう。遅刻も、期限を守らないのも、責任の所在も、みんなが考えていなさすぎなのではなく、私が重く考えすぎなのだ。正直、そう思わないともう生きていけない。私がミスをしてもリカバリーできたらいいと思っているように、そもそもそこまで気にしなくていいんだと思う。そうでないというなら教えてください。細かいことが気になってしまうので、理由も知りたいんです笑

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