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シェアハウスの隣人

シェアハウスに住んでいる。個室は4畳半、水回りはすべて共有。
住人たちとの交流はなく、すれ違ったら軽くあいさつをする程度だ。

僕の部屋は角部屋だから「隣人」は一人。その隣人はほぼ毎日、誰かと電話していた。
4畳半というせまさなので、小声でも「何か話している」というのがはっきりわかる。

◆ ◆ ◆

隣人の話し声は入居初日から聞こえた。日本語ではなく、おそらくタイとかマレーシアとか、そのあたりの言葉だった。
隣人の帰りは遅いので、だいたい23時か0時くらいから電話を始めて、数時間話すこともある。
あるとき僕が明け方まで仕事をしていたとき、朝の4時すぎまで話し声が聞こえることさえあった。
その日はさすがに「壁ドン」をさせてもらった。
またあるときはオンラインゲームをしながら、一緒にプレイしているであろう人と電話をしている。
ゲームが白熱すると、話すスピードも速くなる。
何かを指示するような言葉を連呼したりする。
初日こそ「困ったな」と思ったが、3日もすればそれほど気にならなくなった。

毎日のように電話する隣人を、いつも話し相手がいる隣人を、良いなと思うときもあった。

◆ ◆ ◆

隣人は料理も毎日のようにする。
なにせ小さなシェアハウスなので、キッチンを使用する音もよく聞こえるのだ。
いつも帰りの遅い隣人は、深夜0時とか1時とかから料理を始める。
共有の赤いフライパンを使って炒めものを作ることが多い。
電話しながら料理をすることもよくある。
深夜なので、少しうるさく感じることもあった。

隣人はシェアハウス向きではないと思う。
というか、はっきり言ってしまえばマナーが悪い。
だけど、そういう自由さもうらやましいな、と時々思ったりもした。

◆ ◆ ◆

ちょうど一ヶ月くらい前、珍しく隣人が配達物を受け取り(インターホンの音も聞こえる)、ダンボールを開けたり何かを移動したりする音がした。
それから数日経つと、隣から人の動く音が全くしないことに気づいた。当然、話し声も聞こえてこない。

隣人はハウスを出ていったようだ。
嬉しくも悲しくもない。ただ、いなくなったなあ、と思うだけだ。
だけど、ほんの一部であるにしても、たしかにこのせまいシェアハウスで生活を共有していたという実感がある。

隣人がどこに行ったのかなど知る由もないが、今日も誰かと電話をしているのだろう。
もしかしたら、電話の主のもとに行ったのかも知れない。
そんなことを考えていると、ある日管理会社から住人宛にメールが入った。
「共有キッチンのフライパンを使った方は元の場所に戻してください」

それから約一ヶ月、赤いフライパンはいまだ帰ってきていない。

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