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母から「わかる」って言われたの初めてかも知れない

先日、実家に本や書類を取りに行った。
実家の最寄り駅には電車に乗って1時間ほどで着く。
引っ越すときは荷物をあまり持たなかったため、あとになって必要になるものが思いのほかたくさんあり、なんだかんだで2ヶ月に1回くらいは帰っている。
ただ、帰るというよりも「寄る」程度で、滞在するのは1時間くらいだ。
必要なものをカバンに入れ、テーブルにあるパンやお菓子を食べたら出発する。

僕がまだ実家に住んでいたとき、特に家を出るまでの半年くらいは、両親とあまり仲が良くなかった。
ほとんど話さなかったし、話すたびになぜか苛立ってしまうことが多かった。
遅めの思春期みたいなものだろうか。
これは実家を出て距離を置くことで解決されたように思う。
だから、いまは父とも母とも普通に話せている、とも思う。

実家に寄ったその日は、父はおらず母だけがいた。
例によって、まず必要なものを探す。
目当てのものが見つかると、リビングでひと休みする。
洗い物をしていた母もなんとなく近くに座る。
「仕事はやってるの」
「お金は大丈夫なの」
「ちゃんと食べてるの」
「料理はしてるの」
とまあ、実家に帰った人の多くが聞かれることについて、僕はカレーパンを食べながら、それなりに答える。

「そろそろ出ようかな」と僕が言ったとき、テーブルにあったチョコパイを持っていきなと言われたが、その日は気温が高かったので断った。
「冷蔵庫あるんでしょ」
「あるけど普段は電源入れてない。冷蔵庫の音がけっこう気になるんだよね、部屋がせまいから」
「ああ、わかる」
「なのでここで食べます」
ということでチョコパイも食べた。
充分に休憩し、忘れ物がないか確かめて僕は出発した。

◆ ◆ ◆

それから数日後のある朝、職場近くの牛丼屋で料理を待っているときに、ふと母との会話を思い出した。
そういえば、母から「わかる」って言われたの、あれが初めてかも知れない。
いや、さすがにそれは大げさか。
だけど、少なくとも「『わかる』と言われた」と意識したのは初めてだった。
そのとき話していたのは「冷蔵庫の音はけっこう気になる」という、生活におけるほんのささいな内容だ。
意地悪な表現をすれば、それほど小さな物事ですら、僕と母は同じ地平に立っていなかったということなのかも知れない。
距離感が適切になったからなのか、多少なりとも僕に生活感が出てきたからなのか、細かいところはよくわからないが、そこにはたしかに共感があったのだ。

母は専業主婦として兄弟4人を育ててきた。
長い長いその日々の一端に、少しだけ触れたような気がする。
傲慢だろうか。

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