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建築家の職能について

建築士は3年に一度の定期講習を受けなければなりません。

最新の法改正や建築の状況等を学ぶ場となりますが、一日中部屋に缶詰にされ、体力のいる1日になります。70才を超える建築士の方も同じ土俵で気の毒に思うこともあります。

先日その定期講習を受講してきました。

小難しい法律や、新たな言葉の羅列、建築士という職業の責任の重みでクラクラしそうな頭と分厚いテキストを前に正直嫌気もさすこともありますが、そんなテキストの「職能倫理と職能」の項の中に前川國男さんの言葉を引用したコラムが1ページだけ差し込まれていました。

少し長いですが、建築家という職業に関して夢を持てる文章でしたので以下抜粋します。

職能については、今から50年以上も前のメッセージではあるが、現在の状況に照らしても決して古びていない内容を持つと思われる建築家前川國男の「不易(ずっと変わらないもの)」に係る「呼び掛け」を最後に引用したい。前川國男は当時の建築界について
「これほど精神の自由を失った状況でどうして自由な立場における決断といった建築家本来の職能が可能でしょうか。-中略-なるほど建築家だって変わる面もあるかもしれません。しかし、建築家である限りにおいて変わらぬ面だってあるはずではありませんか。時代が変われば人間も変わる事も事実です。しかし人間が人間である限りにおいて変わらぬ面だってなければなりません。人間における不易なもの、そして建築家において不易なもの、それを守り続ける意気地がなくて、どうして人間に生まれ建築家を志した効がありますか。」
と述べている。こうした正論に聞くものは誰しも頭を垂れざるをえないであろう。
前川國男は、建築家は精神の自由を持つ職業、すなわち近代の初頭以来、知的職能人の意味を持ち、また本来は非職業的な職業人であると捉え、こうした職能人にとっては、あらゆるものの束縛を受けない自由人としての決断が仕事の基本であって、こうした立場が結果的に職能人としての精神の自由をもたらす、としたのである。さらに、建築家は、弁護士や医師と同じく、人に頼まれた仕事であっても、「自由な精神のもとで公共の福祉に奉仕するという本来の職能を果たす」という性格が内在することによって、初めて職能人は社会的な自由職業としての地位と尊敬を与えられていたことを決して忘れてはならない。そのためには建築界全体が、こうした精神の自由を基盤とする倫理観による連帯意識のもとで、失われた本来の「職能人としての意識」とプライドを取り戻すべきである、と改めて訴えたのである。
前川國男が目指したものはまさに職能人としての建築家であろう。これは仮に前川の言う「建築家」を「建築士」と置き換えたとしても、そのまま当てはまる、すなわち、そのことの価値や意義を理解する人々に支えられた倫理的人間として、社会における人々の健康、安全、福祉を実現する建築家としてあり続けることに他ならないのではないか。

この1ページを挿入してくれた建築技術教育普及センターに感謝。

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建築家|Archlife主宰|株式会社西和人一級建築士事務所|金沢科学技術大学校非常勤講師|日本建築士会連合会青年委員会|Hp:https://archlife.jp|Insta:https://www.instagram.com/kazutonishi_architects/

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