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#2-2 社会におけるスポーツの意義

前回個人的にスポーツがくれたものについて書きましたが、それを発展させて社会におけるスポーツの意義について、私見を述べます。

今回は社会的側面と経済的側面の2つの側面から考えてみました。(何かを論じるときは一つの基準だけでは見えてこないものもあり、最低でも2つ以上の観点から物事をみるようにしています。)


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私見をまとめると以上のようになります。
以下で具体例交えたりしながら、詳しく書いていきます。


社会的効果

1つ目は社会的な観点からスポーツの意義を論じます。

自分自身のスポーツ経験の中で、スポーツには個人的な快楽を超えて、人々を惹き付ける何かがあると感じていました。

その正体が何かを突き詰められたのは、プロサッカーリーグの試合を観戦しているときでした。私は実家の近くにあるチームを応援していて、その日チームは終盤まで一点ビハインドの状況でした。なんとか相手ゴールの直前までボールを運ぶことができ、固唾を呑んで見ていました。そして終了直前になって、ゴールが決まり同点に追いついたのです。普段感情が表に出にくい私が、自然と立ち上がって「ウォー!!」と叫びました。

その瞬間、全く知らない周りの人たちと一つになりました。(気がしただけですが)
私はその時に思いました、スポーツが人々を惹き付ける何かとは、「一体感」だと。

私は喜怒哀楽が薄く、共感しにくかったりや感情的にならないタイプです。
なので普段オリンピックとかをテレビで見ていても、サッカーの試合で感じたものを感じたことがありませんし、あの時までは正直スポーツを見る楽しさをしりませんでした。が、今ではスポーツバーやパブリックビューイングに参加している人たちの気持ちがわからなくはなくなりました。

◇メリット

集団でしか生きていけない人間にとっては、この一体感というものは非常に大切なものです。スポーツ以外でこの一体感を作り出そうと思ったら、血の繋がりだったり、一つの組織に属していたりする必要があります。

しかしながら、これらの条件は比較的小規模に限定されていて、地域や国の単位でこれは成立しえません。そういった意味でもスポーツはかなり唯一無二な存在なのではないかと思うのです。例えばオリンピックは国同士で戦いますから、国に一体感をもたらすのです。

スポーツは、大規模な範囲の人々に対して損得の関係なしに、集団意識を芽生えさせる非常に効果的な手段なのです。
まさにこれがスポーツが政治的に使われる要因なのだと思います。

◇デメリット

ここで同時期的に注意をしなくてはならないことがあります。
それは同じ集団にいると認識した相手に関しては、プラスの感情を創出しますが、反対に敵対する組織に対しては、マイナスの感情を創出します。
一体感と疎外感はセットなのです。

スポーツでもよく差別問題などが話題になります。これは基本的にスポーツに対する無関心層よりも、敵対するチームや組織の関係者によるものが多いのではないかと思います。

このことはスポーツをする誰しもが気をつけなければいけないことです。スポーツは溝を作る手段なのではなく、溝を埋める手段だということを常に意識しておくことが重要です。


経済的効果

2つ目の観点として、経済的な側面から見てみます。

単純にスポーツは支出を減らし、収入を増やすということです。
(厳密に言うとこれは短期的には当てはまり、長期的には当てはまらない)

◇メリット

スポーツビジネスというものはものすごく多いです。みなさんの周りにも溢れていると思います。
 ex)プロスポーツチーム、アパレル、e-スポーツ...

時代が変わっても、産業自体は廃れることなくコンスタントにどんどんと新しいビジネスができている気がします。

スポーツビジネスの経済規模がどれくらいかはわかりませんが、きっとものすごく大きいものでしょう。超トップアスリートは数十億円稼いでいるのですから。メジャーなスポーツであれば、国民全員が体育などを通して経験しているのですから。

またスポーツをすることによって医療費の削減に繋がります。当たり前ですが、健康的な人が多ければ多いほど医療費が小さく済みます。適度なスポーツによる健康増進は誰しもが認めることだと思います。

かえって怪我による医療費の増大はもちろん多少ありますが、スポーツをすることによるその他の人の健康水準の向上とをトータルで見れば、黒字となるはずです。

◇デメリット

スポーツビジネスや医療費といった比較的短期的な時間軸とは異なる長期的な時間軸でみると経済的側面のデメリットが見えてきます。
10代の頃にスポーツをすることによって、将来や人生について考える時間を削いでしまうのです。私も含め小中高を通して莫大な時間をスポーツに注いできました。

その時間を他のために使っていたら、もっと早くに就きたい仕事が見つかっていたかもしれませんし、視野が広がっていたかもしれません。

いつの時代も小さな頃の夢は圧倒的にスポーツ選手と答えることが多いです。それは当たり前で子どもたちが具体的に想像がつく職業が親の職業とスポーツ選手ぐらいしかないからです。
もしその時から他の世界も見れていたら、子供の時から多様な世界を夢見ていたかもしれません。子どもたちだってみんあがみんなスポーツ選手になれないことぐらいわかっているのです。

そういった子供時代を過ごしていけば、「大学までずっとスポーツしかしてこなかった」みたいな人の数を減らすことができるのです。(大学の部活をやっている人の中には結構多いです。)

スポーツに全力で取り組むことを否定しているわけではありません。一つのことしかやらず社会に出て、使えない人材になってしまうことに危機感を感じているのです。もちろんスポーツから非常にたくさんの学びを得ている人もいることは認めますが、そういう人ばかりではないと思います。

その人たちが社会出る前に仕事や人生について考える時間を確保することができれば、社会全体としてもっと発展していくのではないかと思います。
なぜなら裏を返せば、一つのことに全力で打ち込んだ経験というものは強力な武器となるからです。そこで培った体力や根性といったものほど、汎用的な能力はないのです。


まとめ

今回は社会におけるスポーツの意義というものを、社会的な側面と経済的な側面から考えてみました。

私個人としては、デメリットを考慮してもスポーツの意義は十分にあると考えています。スポーツがもたらす一体感というものは、ほとんど代わりが効かないものですし、経済的な効果に関しては誰もが認めるところであると思います。

あとはデメリットに対して、政治レベルから個人レベルまでしっかりと対策をとっていくことが可能であれば、スポーツは人類にとって相当素晴らしい発明になりうるかもしれません。

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