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#2-1 スポーツがくれたもの

これまで私は小中高を通して、テニス、サッカー、バドミントンをやってきました。大学生になった今でも、定期的に体を動かしています。スポーツを通じて、私は様々なものを得ることができたので、そのことについて書いていきます。

本題に入る前にどんな流れでそれぞれのスポーツを始めたのかをざっくり。

小学校1、2年生のとき、年子の兄の幼馴染がテニスをやっていたので、兄と一緒にテニスを習い始めたのがスポーツとの出会いです。2年ほど通ったのち、今度はその人がサッカークラブに入ったため、同じ流れでテニスを辞めてサッカーを始めました。そのまま中学のサッカー部に入りましたが、限界を感じたり、飽きたりしたため、高校では新たにバドミントン部に入部しました。
そして大学に入ってからは、たまにフットサルをしたり、スポッチャにいったりといった感じです。(スポーツに加え、アウトドアもやるようになりました。)


様々なスポーツを経験してきましたが、スポーツはたくさんのものをくれました。取り組んでいたときは意識していませんでしたが、今振り返って整理すると、スポーツがくれたものを大きく4つにまとめることができました。

①人間関係や理不尽さの理解
②PDCAを回す経験
③メンバーとの共通の体験
④体を作る

それぞれについて私の経験を交えながら、書いていきます。


人間関係や理不尽さの理解

小学校低学年でテニススクールに通っていたときの話です。
そんな小さいときですから、敬語なんて知りませんでした。実際にコーチにも友達のような言葉を使って話していました。

ある練習日それまで同様タメ口であるコーチに話しかけると、「誰に向かってしゃべってるんだ!」と私は怒られました。以前にそのことで怒られたことがなかったので、その日の練習はまったく意識が別のところにあったことは今でも覚えています。

中学に上がり、サッカー部では顧問の先生にあいさつを叩き込まれました。そこまで親しくない間柄でもあいさつをする習慣はこのときに身についたのだと思います。最高学年時には部長をやり、人の上に立つ経験をしました。

スポーツというものがなければ、もっと敬語を学ぶのが遅かったかもしれないし、未だにあいさつができない人になっていたかもしれません。またリーダーを任せされる経験をもっともっと遅くからしていた可能性があります。


スポーツをする中で理不尽なこともたくさん経験しました。
メンバーが遅刻すると連帯責任という理由で怒られたり、練習の報告をしなかったために走らされたり。

大学生になった今考えても、なぜそうさせられたのか理由はわかりません。理不尽だったなと今でも思います。でも社会に出たらそんなことばかりです。

仮に理不尽のない世界で育ってきて、大学卒業して初めて理不尽なことにぶち当たったら、きっと乗り越えられません。そのための予行練習だったと思えば、笑い話にできます。実際に私は、少しは理不尽なことでも気にせずにできるようになりました。


PDCAを回す経験

私がPDCAを回す経験をちゃんとしたのもスポーツが最初でした。
バドミントンを高校でやっていて、2年生ぐらいでフォームに悩んでいました。一度悪い癖がついてしまい、顧問に何度指摘されても直らないのです。そこで私はスマホで自分の打球フォームを撮影し、客観的に見てうまくいくまで修正することにしました。顧問や先輩にアドバイスをもらいながら、撮影、確認、改善を繰り返していました。

この実行、確認、改善というサイクルは日常生活にも使えますが、学生生活でこれを学ぶ機会はそう多くありません。スポーツや勉強ほどわかりやすいものはなく、ましては特にPDCAというものを意識することなく体験しているという意味では貴重な機会であると思います。

人生の中で私達はほんとうに色々な経験をしていくことになります。
その際にPDCAを回すことは、とても大切なことです。なぜなら過去の学びや失敗を次に生かしてくことが重要だからです。(人生が100年ともなればなおさら)
やったまま放置しておく場合としっかりと反省をして次に生かした場合とはでは長期的に見れば、その差は一目瞭然です。まったく違う人生がまっているでしょう。どっちの人生がいいかはその人自身ですが、私は間違いなく後者を選びたいです。


共通の体験

いきなりですが、他人と共通の体験をもつことは非常に大切なことです。
だってどうしたって誰かと協力して生きていくしかないのですから。

しかしながら日常生活では、他人と共通の経験を得ることってなかなか難しいと思います。
だから学校はそれを半強制的に作ろうと、文化祭をやったり、体育祭をやったりと色々なイベントを考える。
でもそんな意図されたものよりも、よっほスポーツの方がその経験が得られやすい。

今でも地元に帰って遊ぶのは、一緒にサッカークラブに通っていたメンバーがほとんどです。
当たり前のように思われるかもしれませんが、たまたま気の合うメンバーが10人も集まっていたわけがないし、一緒に過ごした時間がもっと長い人はいくらでもいます。

彼らと今でも関係が深いのは、単純に一緒に過ごす時間が長かったというよりかは、共通の経験を有しているという意識を皆が持っているかということだと思います。(しかも楽しいだけじゃない経験を)

私がスポーツやアウトドアを続ける理由はこれが大きいです。
別に意識をしているわけじゃないけど、一緒にスポーツをするとそれまで以上に仲良くなるのを無意識に知っているからだと。(単純に汗をかくのが好きなのもあるけど)


体を作る

最後に一番シンプルなやつ。
私はガタイがいい方ではないですが、ある程度のことをこなす肉体や体力は、スポーツを通じて作られてました。怪我も何度もしてきたけど、やっていないよりもずっと強くなりました。いっぱい運動するからいっぱい食べるし、いっぱい寝る。
これからは100年を生きる上で、しっかりとした体を若いうちに作っておくことは勉強とかよりもよっほど大事な気がします。なぜなら体はすべての土台だからです。人生を作る資本です。資本があるとないのとでは、それ以降の成長がまったく違うものになります。

体力をつけることは若いうちだけできることではありませんが、基本的な肉体が出来上がるのは高校生ぐらいまでですし、働き始めると体を動かす時間の確保や意識を保つのが困難になってきます。
したがって若いうちからしっかりとした体を作っていおくことは大変意義のあることだと思います。


まとめ

これまで数え切れないぐらいの時間をスポーツに注いできました。振り返ってみて、スポーツがくれたものはスポーツ以外でも得ることはできたかもしれません。

しかし私はスポーツを通して、体を動かすことの楽しさも知ったし、何よりも誰かと深くつながることができました。

それだけで私にとっては非常に大きな価値であるし、かけがえのないものです。これからも私はスポーツを続けていくだろうと思います。


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