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中国人に愛される日本映画の名作5選!その魅力と背景を解説

現在は、中国人も日本のメディアコンテンツをすぐに見ることができるような時代。しかし、メディアも今ほど多様化していなかった時代においては、日本映画こそが日本文化はもちろん日本人を知ることができる貴重なメディアだったのです。

その中で、日中国交正常化した70年代までに、中国人から意外に共感を呼んだ映画作品も数多く存在していたのですが、ここではランキング形式で、人気となった背景などを含めて詳しく紹介しましょう。

中国人に愛される懐かしの日本映画

1.君よ憤怒の河を渉れ(中国題:追捕(zhuībǔ))

1976年公開の日中合作映画。文化大革命の後に公開された初めての外国映画と言うことで、その反響はすさまじく、当時の中国人の大部分が見たと言われる驚くべき映画です。

特に高倉健演じる主人公は、目に見えない政治的な圧力を背景に濡れ衣を着せられ、追われる身となるストーリー。この直接的な描写は、文化大革命で全く同じ経験をした中国人観客にとって、大変ショッキングなものであったとされます。自分と同じ境遇の主人公をスクリーンで見つめ続けるという状況は、当時の多くの中国人にとって特別なものであったのでしょう。

https://jfdb.jp/より

1978年に日中国交正常化がなされた後、1979年に中国で公開され、この映画の影響により、主演の高倉健は中国で最も有名な日本人俳優とまで言われるようになりました。

2.七人の侍(中国題:七武士(qīwǔshì))

黒澤明監督の不朽の名作。1950年代に撮影されたと思えないほどの息をのむほどの臨場感ある絵作りや、この時代としては大変珍しいスピード感のある躍動的な演出に、多くの中国人は大いに引きつけられたのです。

https://jfdb.jp/より

この映画から、日本人にとっての「侍」の位置づけや定義を認識した中国人は常に多く、日本人全体に対する侍イメージを知らず知らずのうちに心の中に植え付けた人も多かったと言われます。

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3.座頭市(中国題:盲剑客(mángjiànkè))

ブルース・リー(中国語:李小龙(lǐxiǎolóng))という大スターの登場により、70年代に中国人だけでなく外国人にも爆発的に人気が上がり出した香港映画。実は、香港映画では、日本では主に1960年代に多くの作品が生み出された勝新太郎主演の「座頭市シリーズ」でのアクションが多く参考にされていました。

https://jfdb.jp/より

座頭市の映画は、当時香港映画で活躍していたジミー・ウォング(中国語:王羽(wángyǔ))が共演した異色の作品があるほどで、それほど香港の映画人から注目を集められていた映画シリーズなのです。また、ブルース・リー自身も座頭市の時代劇殺陣を特に好んでいましたが、彼の死後にこのことが中国人にも知れ渡ったことから、この映画が中国でより有名になっていきます。

4.砂の器(中国題:砂之器(shāzhīqì))

作家・松本清張原作の有名な作品です。日本では1974年に公開されましたが、それまであまり取り上げられることがなかった「ハンセン病」を扱った作品であり、病気に起因する肉親との別れや生きることの皮肉さを描いた傑作です。

70年代の中国は、まだまだ閉鎖的な時代背景が存在し、貧困などが根強く残っていた時代でもあったことから、作品の主人公である子供が父親のハンセン病発症を機に成人後も数奇な運命をたどる描写に対し、多くの中国人が感情移入しながら自分自身を重ね合わせていたとされます。

https://tv.apple.com/ より

また、当時の日本の美しい田園風景なども交えたノスタルジックな作風は、多くの中国人の日本に対する思いをより強いものにしたようです。

5.人間の証明(中国題:人证(rénzhèng))

1977年公開の日米合作映画。作家・森村誠一原作で、戦後混乱下で2人の主要キャスト(刑事と犯人)と被害者である黒人男性、そしてアメリカ人刑事が抱えたそれぞれの因縁を鍵に現代ドラマが展開されます。

https://eiga.com/  より

それぞれのキャストが、戦後の因縁を基に人生を突然翻弄されてしまい、現代になってもそのトラウマや、悲しい運命から逃れられなかった人間たちのストーリーは、戦争で同じ経験をしてきた多くの中国人の胸を大きく打ったのです。

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古い日本映画が中国人を魅了した背景

卓越した撮影技術と演出

多くの中国人の観客を魅了したのは、当時の日本映画におけるロケーション撮影でのダイナミックな描写でした。これは、時代劇で培われたハイレベルな撮影技術や演出技法によるもので、当時の日本映画の人気の大きな要素だったのです。

また、中国人にも馴染み深い香港映画でも多くの映画人が日本映画の撮影技術を高く評価していたとされ、日本人の映画監督や撮影技師が1960年代に入って香港に招聘されていましたが、意外に多くの香港作品の制作に関わっていたのは知られていません。

https://minority-hero.com/  より

特に、ブルース・リーは最晩年に特定の日本人の撮影技師と非常に良い関係を築き、自身の映画にも登用していましたが、当時は、日本人撮影技師は中国語名でクレジットされていたことから、日本人が撮影に関わっていたことは中国人の観客にはあまり知られていなかったのですが、1980年代以降はそれが広く知られるようになったと言われています。

娯楽性と社会性の巧みな融合

日本映画を評価する中国人において、もう1つの評価基準と呼べるものは、社会問題をテーマにしていても娯楽的な要素を巧みに散りばめている点です。

https://www.bs11.jp/より

例えば、日本の古い喜劇映画には、非常に切実な社会的テーマが隠されていたり、作品によっては大変哲学的なものをかみ砕いて脚本に取り入れていたりと、異なる要素の融合が実現されていることで作品に独特の面白みを与えています。これは、中国人にとって大変斬新な部分であったのです。

まとめ

映画は元々フィクションであり、日本映画で描かれている日本人が実際の日本人を代表する姿であるとは限りません。しかし、1970~80年代までは社会における映画の影響力が強い時期であったことから、中国人にとって、当時の日本映画から見られる日本人の姿はとにかく鮮烈なものでした。

実際、一定年齢層の中国人の場合、スクリーンで見た日本人に対する印象を当時のままに現在まで焼き付けている方もおり、日本人の想像以上に、当時の日本映画が中国人にとっていかに大きな存在であったかが分かります。