コロナに関して。(データと向き合っていくこと)

久しぶりにして建築と関係ないが、これを書き留めておくことに意味があると考えたので書いておこうと思う。今回は具体的にウイルスがどうといった話は置いておいてそのデータとの向き合い方について考えようと思う。

目次
1.前提
 COVID-19について
 日本国政府の対策の中心的目的
2.データとの付き合い方
 データの信用度
 統計としての扱い
 統計的データからの判断
3.浮き彫りになった問題

1.前提

COVID‐19(新型コロナウイルス)について
・2019年、武漢で初確認されたことを皮切りに2020年3月現在、主に東アジア、ヨーロッパ、アメリカ、イランを中心に大流行しているウイルス。
・各国の調査によりいくつかの医学的指摘がなされている。
 ・SARS-CoV(SARS、重症急性呼吸器症候群)の近縁であることの指摘。(日本感染症学会)
 ・主に飛沫感染(咳やくしゃみで飛び散る飛沫を吸い込むことで起こる感染)、接触感染が認められており、空気感染は起きていないと考えられている。
 ・感染力が事例によって異なるという特徴を持つ。
 ・発熱や呼吸器症状が1週間前後という比較的長い期間継続する。
 ・治療は対症療法が中心。(以上四点 厚生労働省)

日本国政府の対策の中心的目的(厚生労働省)
・感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。
・重傷者の発生を最小限に久留るべく万全を尽くす。
・社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。


2.データとの付き合い方

データの信用度
 まず今回登場する医学的なデータのような観測、実験データには必ず誤ったデータが含まれることを注意しなければならない。医学的検査では偽陽性や偽陰性と呼ばれる誤った判定を出してしまうことがありうるということである。
 この誤差がどれほどの影響があるかは簡単な計算をもって検証できる。

条件として検査の感度(陽性に対する精度)、特異度(陰性に対する精度)えお設定し、これらの条件から陽性とされた人のうち実際には感染していない人の割合を計算してみる(インフルエンザ迅速検査で感度62%、特異度98%であるとされる。(Caroline Chartrand 氏ら))。

条件:感度、特異度ともに90%とする。
   有病率を30%とする。(わかりやすさのため患者数を5000と仮定する)
   (これらのデータは一切事実に基づかない仮定です

無題

このように比較的高い精度を持つと仮定してもこれだけの誤差が生じる。

統計としての扱い
 
日本の検査件数の少なさは再三指摘されている。これについて何らかの判断をすることは知識が十分でないと考えるため避けるが、少なくともそのデータの統計的扱いが正しいのか?については検証しうるであろう。
 今回は詳しい統計学の話をするのではなく、その統計は何の役に立つのか?について考えてみようと思う。

 まず前提として統計的に数値を扱ううえでそのデータがどのような要素と関連があるのかを考えなくてはならないことを確認しておく。例えばある国で死亡率が高く、ある国では低いという状況があったとする。このデータだけをもって死亡率の低い国がよい医療を提供していると判断してはならない。そこにはまだ他の要因が隠れていないだろうか?それに対しての答えの一つは検査数となるだろう。ほかにも感染の拡大している年齢、性別、場所、感染者の生活習慣、感染者の重症度など様々な要因が関連してくる。これらを総合的に判断しなければそのデータを統計的に扱った意味がない。

 次に日本のデータについて検証する。
 日本の検査体制は「疑わしい人が実際にCOVID-19であるのか」を確かめるためにあると考えてよい。この考え方がベースにあるから風邪らしき症状が出たら即検査とはならない。
 この姿勢自体がよいかどうかの判断は各自がすべきであるが、何が分かるかについて考えておくことは大事であると考える。

 この検査方法をもって日本国内全体の感染者の把握を確かな精度をもって行うことは難しい。どこかで気付かれないうちに感染が起こっている可能性も否定はできない。一方でこのウイルスの性質をつかむことはある程度できる。実際に重症もしくは強く疑われる人を検査することによってどのような場所で感染が発生し、そこに共通する要素が何かをつかむことはできる。ある意味でこの状況を最短経路で解決に導くのには十分な検査といえるのではないか。

統計的データからの判断
 ここが最も大事な段階であろう。
このような性質をきちんとデータから分析したうえで判断することに意味がある。

 先程の章の冒頭の日本の検査母数の小ささを例に考えてみよう。
 今、WHOからは検査に次ぐ検査を求められている。これを鵜呑みにするのは簡単だが、本当にそれがいいのかを考えるのが賢い市民であろう。
 今回、重要な論点を検査をすることで何ができるのか考えることとする。基本的に人間というのは数が減ったら安心できるものである。(それによって警戒を解いてしまうのはよくないが)この意味では検査件数を増やすことには意味があるように感じる。一方で国が目指しているのはまず解決することである。その意味では検査数はこの数で充分ともいえる。検査件数を増やすことでコストや手間が増えることはもちろん、無用なリスクや不安を引き起こす可能性もある。この意味では現在の検査でも大きな問題はないように感じられる。

 もちろん、この点について正確に論ずればより多く考えなければならない点はある。今回はこのように表面だけで論ずるのではなくデータに基づき、それに対して正しい扱いを知ることで論点がクリアになることが分かればよい。


3.浮き彫りになった問題

 それぞれの人がこのウイルスについて考えなければならないこと、判断しなければならないことが多くなっている。そのうえで数字と向き合うことは避けることができない
 多くの人は20%がどれほどの数字なのかすらわからない。そんな中でどれくらいの割合かという話を通り過ぎてそのデータをどうとってどう扱うかを考えることはかなり大変なことであるが、それをしなければ真に論理的に話すことはできない。
 ここで書いていることは確率論、統計学の触りにすら達していない内容ばかりだが、現実世界と向き合う科学として大きな地位を占めるこれらの話は必ず学ばなければならないことである。もし読んでくださっている人がいるならその学びとモチベーションの一助となれば幸いである。
 今回避けた、具体的な内容について論理的な話が一般にできるような世の中になることを願って。


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