ずばらしい建築を考える

すばらしい建築とは何なのだろうか。


建築の世界にいると名作と呼ばれる建築に必ず出会う。
その時に私は自分より建築を学んだ人に必ずこう聞くようにしている。

「この建築はほかの建築と比べてどこがすばらしいのでしょうか?」

大概、「こういった体験が心地よい」といった類の感想が聞かれる。
それ自体はとても真っ当な評価の仕方であると思うし、私自身も建築は体験を最優先すべきだと考えている。

しかし、だ。
建築という多くの人の体験に関わるものが、大きなお金を動かすものが
建築を批評する、またそれを担当する一部の人間の主観だけで優劣をつけられてよいのだろうか?
もう少し多様な捉え方があるのではないか?


別に批評をしている人たちの考えが間違っていると言っているわけではない。ただ、批評家(何なら徒弟関係の強い建築界は著名な建築家たちの多くは似た感覚を持っていると考えている。)の評価が絶対視されるような今の状況が宗教のようで少し気持ち悪い。

主観的な感覚であることは間違いないのだが、それをもっと客観的に評価できないものだろうか?


それができたとき、もしかしたら批評家たちの考えが大正解である可能性もある。別にそれでもいい。
ただ単に主観的だからと言ってそれを論理的、定性的に批評することをあきらめる今の考えが気に入らないのだ!


こんなことを考えながら、先が見えないまま模索し続けている。
私自身の考えの記録として書いている側面も持ちながら、一方で様々な人の意見を聞いてみたいという考えもあったりする。
是非意見を聞かせていただけるとありがたい。

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