【中国】万里の長城(趙北長城)
場所:呼和浩特(フフホト)市回民区西烏素図村、内モンゴル自治区
時代:紀元前403年~紀元前222年
万里の長城は、言うまでもなく中国最大の観光名所だと思います。現在残っている長城の総延長は約6,200kmにもおよび、紀元前5世紀の春秋戦国時代から16世紀の明の時代まで、実に2千年以上にわたって建設されてきたものです。北京を訪れる観光旅行者にとって万里の長城は欠かせない場所のひとつですが、有名な八達嶺や慕田峪、司馬台といった北京近郊の長城はほとんどが15~16世紀の明代に建設されたもので、教科書で習った秦の始皇帝が造った長城ではありません。
秦始皇帝の長城など明代以前の古い時代の長城は、土を突き固めて積み上げていく版築という工法で造られた土壁でできており、明代の煉瓦で築かれた長城と違って風雨による浸食が著しく、また開発や地元民による建材略奪といった破壊行為により、残っているものは限られています。現存する古代の長城は、主に甘粛省や陝西省、内モンゴル自治区といった中国北西部に多くありますが、低い土壁のため脆く崩れやすく、明代の長城のように雄大な景観でもないため観光資源になりにくく、そのため修復もままならず、地元の開発によって年々失われつつあるそうです。しかし近年は有名観光地の八達嶺長城などでも、観光客によるゴミ問題や何千万人もの人が歩くことで深刻なダメージを受けているようです。
このようにすでに消失してしまった古い長城も含めると、実際の総延長は2万km(地球半周分)を超えると言われています。北京近郊の観光地として訪れることができる八達嶺などの長城は、長城の高さや幅が平均で約8m、6mと大きく、実際に訪れた司馬台や黄花城の見晴らしの良いところでは、急峻な山を越えて遙か彼方まで続いていることに圧倒されます。
北京を訪れたのは、ちょうど中国の学校が夏休みに入ってまもなくのころだったので、観光地はどこも子供連れの家族旅行者であふれかえっていたときでした。北京から近くて気軽に電車で行ける最も有名な八達嶺長城は、超満員であろうことはわかっていたので、司馬台と黄花城へ行きました。司馬台長城は、古北水鎮という中国の美しい古都の街並みを再現した景勝地とセットになった個人ツアーで、また黄花城は銀山塔林(2024年8月4日付記事)とセットになった個人ツアーで行きました。八達嶺より少し遠くて、車がないと行くことが難しいこれらの長城では観光客は少なく、存分に景観を楽しむことができました。
万里の長城のイメージにそぐわないけど、行ってみたかった古代の長城のひとつが、内モンゴル自治区フフホト市郊外に残っている「趙北長城」遺跡でした。北京からフフホト市までは、2022年北京オリンピックのときに整備された中国ご自慢の高速鉄道に乗って行きます。北京北駅から2時間半くらいで到着するので、東京から大阪へ行く感じでしょうか。フフホトは内モンゴル自治区の省都ですが、他の中国の地方都市と変わらないと思います。ただ市内の建物の看板には漢字とモンゴル文字が併記されているので、ここがモンゴル民族の土地だということがわかります。市内には地下鉄が通っているのとバス網が使えるので、市内の移動は便利でした。
趙北長城へ行く方法はタクシーが最も早いと思いますが、折角ですから高徳地図アプリの指示に従ってバスに乗って行ってみました。運賃は驚くほど安いので、間違えても乗換があっても大丈夫です。ただし地元民のようなキャッシュレスでの支払い方法がわからなかったので、小銭の準備は必要です。
趙北長城遺跡は市の北の町外れにあり、バスの終点で降りて、そこから徒歩で数百メートルくらいのところにある村の小高い丘の上にありました。知らない人が見たら全くただの土の山に見えますが、隣にある石碑の説明によると、戦国時代の趙国の武霊王のころに建造した長城の烽火台跡だそうです。
烽火台は膨大な長さの長城の拠点ごとに建設され、烽火で急を知らせるための設備でした。版築による建造のため、すでに長城のほとんどの壁面が崩落したり埋没したりして原形をとどめておらず、かろうじて崩れた烽火台が残っていました。この長城は中国最古の長城にひとつで、秦始皇帝の長城より古いものなので、なかなか珍しいのではないかと思います。
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