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親の顔色を見ながら就職活動したあの日

こんにちは、ひなです。

さっき今日初めてnoteを開いたんですが、ハートを押してくれた方が想像以上にいてビックリしてます。まだ慣れてないですが、楽しんで続けたいです。

私は、今は専業主婦として生きています。2年前まではシステムエンジニアとして働いてました。

初めての就職は、7年前でした。今の時代のことはよく分からないですが、当時は大学3年の11月ぐらいから就職活動がスタートしていました。

唐突ですが、私は母の顔色を伺いながら生きていた人間です。(今は違うと思いたいのですが…)

就職先は当然、母が納得するような職種でなければいけないと勝手に思い込んでいました。

母が納得する職業…なんだろう…。実は納得する職業なんて教えてくれなかったんですね…。「どこに就職して欲しい?」なんて聞いたら、「あなたの好きにしなさい」と言われますから…。

じゃぁ、好きなところにすれば良いじゃない!

て声が聞こえてきそうですが…実はそうでもなくて…。何も考えずに好きなところに就職すると「何でそんなところに…」と言われるのは分かっていたんです。

つまり、就職活動=(イコール)母の納得する就職先を当てて、かつ内定を得るゲームでした。

母の納得する就職先…。ヒントは日常に転がってました。なぜなら、母はしきりに公務員の良さを語っていたので…。

公務員を目指して勉強し始めたのは大学3年から。ただ、全くうまくいかなかったですね…。当然といえば当然ですね。公務員になりたいと思ったことは無かったのですから。

当時の自分は、

公務員にならないと母に認めて貰えない

公務員にならなきゃ

しか考えられなくなっていました。

結果はですね…当然ですが公務員試験全落ちでした。


気付いたら大学4年生の夏でした。内定は0。

まぁ、当時は就職氷河期ということもあって、大学4年生の夏で内定を貰ってる友達はほぼゼロに等しかったのでそんなに焦ってはなかったのですが…。

それから色々あって、結局小さなIT企業に就職することになったんですね。

当然、母親からは文句を言われましたよ。想像通り「何でそんなところに…」でした。

実は、30歳の今になっても未だに母から認められない苦しみが残ってはいるんだけども…

私はね、結果自分のやりたいことを選んで就職をした人ではあると思うんです(一応システムエンジニアは子供の時の将来の夢の1つだった)

でも、当時の自分からしてみれば、それは、公務員試験全落ちを経験しないと出来なかったんです。落ちなきゃ勇気が出なかった。誰かに文句を言われても良いや、もうどうなっても良いや、自分の好きにやろう、て思えなかった。

実はその後、もっと辛い地獄は待ってるんですけどね、就職先は残念ながらブラック企業で、脱出して転職するもうつ状態になって退職、そして転職してまた再度うつ状態へ(それは、またの機会に話すとして)

この記事を読んでる人の中に、もしも私と同じように親の顔色を見ながら人生の決断をしようとしてる人がいたらね、なんて言おうかな…。

私は難しかったよ。親に抗って生きていくなんて、そう簡単なことじゃなかった。

「自分の好きに生きた方が良いよ」、なんて友達から散々言われていたけど、私はね、そんな事より母からどう思われているのかの方が大事だったの、当時はね。

偉そうなことなんて言えないけど、一生懸命その時の精一杯を生きていれば、どこかで良い方向に変わるきっかけが来るんじゃないかと思うんです。私は、それが公務員試験全落ちだったのかな、て今なら思えます。

あなたの人生はどうなるのかな?あるいはどうだったんだろう。


今は苦しいのかもしれない。自分の中にこうならなければいけない、と思う気持ちが強くあって、それに縛られて息ができていないのかもしれない。

でもね、それでも大丈夫なはずなんですよね。

今自分の出来ることを精一杯やっている。それをやっていれば、どこかで良い変化を起こすきっかけはやってくるはず。信じられないと思うし、信じなくても大丈夫。

きっとあなたも私も大丈夫。

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