読書感想文(124)カフカ『変身』(高橋義孝訳)

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

カフカ『変身』を読むのは2回目で、初めて読んだのは約一年前でした。
今回読もうと思ったのは、友人が突然この作品に関して質問をくれたからです。
近いうちに会いましょうということになったので、せっかくだし再読することにしました。

ちなみに前回の感想文はこちらです。

感想

まず気になったのは、主人公が元々懸命に働いていたのは、父の商売が失敗したからであり、家族の為であるということです。

両親というものがあればこそこうやって我慢もしているんだが、親でもいなかったなら、もうとっくのむかしに辞表を出しているところなんだ。
(中略)
将来この社長に両親の借金を払いきってしまえるだけの金がまとまったら――まだ、五、六年先のことになるだろうが――そうしたら俺は断然やってやるぞ。

P8

家族から疎まれる主人公の以前の立場がよくわかります。
虫になってからも、共存しようとしたり身を案じたりする母や妹の態度からも、虫になる前は大事な存在であったことがわかります。

次に、妹の行動で行間が読めない部分がありました。

右手の部屋では妹がすすり泣きし始める。
 妹はなぜほかの人たちのところへ行かないのだろう。きっといましがた起きたばかりで、まだ着物を着はじめてもいないのであろう。それからまたなぜ泣くのか。おれが起きないで、支配人を部屋に入れないから泣くのか。おれの首がとびそうだから泣くのか。おれが首になってしまえば社長がまた例の古いおどし文句をくりかえして両親をぎゅうぎゅう言わせるだろうと心配して泣くのか。
(中略)
「すぐ錠前屋を呼んできてくれ」そうするともう女ふたりは裾をばたばたさせて小部屋を掛けぬけて出て行った。――いったい妹はどうしてああすばやく着物が着られたのであろう――

P21,22,26

ここで妹が泣いているのはなぜなのか、わかりません。いち早く主人公の変身に気づいたのかと思いましたが、主人公は部屋の扉を開けていないので見られないはずです。窓から向いの家の窓の反射を通して見たとか、何かしら別の角度から見たのかもしれませんが、それらしき描写は見当たりませんでした。

話が変わります。
今回読む前には、虫の姿だが家族想いの主人公と、人間の姿だが主人公を疎む家族、と対比的に捉え、主人公が一方的に可哀想だという印象がありました。
しかし今回読み返してみると、むしろ主人公の方から自分本位な行動を起こし、それによって今まで最も味方だった妹からもどんどん疎まれるようになっていったのではないかと思いました。

妹は母親を安全なところへ連れて行き、それからグレーゴルを追いもどそうと考えたのだ。だが、追いもどせるものなら追いもどしてみるがいい。グレーゴルは自分の絵の上にへばりついたまま、絵を相手に渡そうとしなかった。

P70

そして、それどころか主人公の家族想いはそもそも独りよがりなのかもしれないとも思いました。妹の台詞の中に次のようなものがあります。

もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと

P101

確かに家族の事だけを考えるならそうかもしれません。ただ、そういえば外に出ていくチャンスがあったかというと、無かったような気もします。
また、独りよがりという点については、初めの頃に自分の身体ができるだけ隠れるように配慮した時には、お互いの事がわかっていたように思われます。
主人公はどんどん虫に近づいていくように描かれるので、どこかの時点から、妹ともすれ違いが起こっていったのかもしれません。どこからかははっきりとはわかりませんが、やはり箪笥を動かす辺りからかなぁと思いました。

もう一つ印象が変わったのが、不条理についてです。私はこの作品の不条理を考える時に、主人公・グレゴールのことだと考えていました。
しかし、次のような妹の台詞からもわかるように、この不条理は家族にとっても不条理であることは明らかです。

「これはお父さんとお母さんを殺しちゃうわ、そうですとも。あたしたちみたいに、こんな苦労をして仕事して行かなければならないっていうのに、いったいどうして家の中のこんな永久の苦しみに辛抱できて。あたしだってもうそんなに辛抱できないわ」

P100

だからといって主人公を見捨てるのはやはり可哀想にも思えるのですが、妹の言い分にも同情します。

しかし私はこの辺りで、主人公が再び人間の心を取り戻したように感じられました。というのも、主人公は折よく翌日に死ぬからです。死因は以前父が投げたリンゴであるように捉えられますが、そこからしばらく生きながらえた主人公がタイミング良く死んでしまったのは、自ら死を受け入れたように感じました。リンゴの傷を負いつつ生きながらえるほどの生命力の強さは、最初期にも記されています。
有名な作品で例を挙げると、中島敦『山月記』の李徴のようなものです。李徴は袁傪に別れを告げる前に、家族の事を頼みます。そしてその時、自分の為に自分の詩を伝える事よりも先に、家族の事を考えるべきだったのだ、そんなだから虎になってしまったのだと気づきます。しかし李徴はもう後戻りできず、自分の運命を受け入れて去ります。
同じように考えると、どんどん虫に近づいていってしまった主人公が、この妹の台詞によって人間の心を取り戻し、或いは自分が間違っていたのだと思い、自分にできる最善策を考えた結果が自死であった、と考えられます。

自分が為すべき最善策が自分の死である時、それを選ぶには覚悟が要ります。
いや、でも今回の場合はむしろ消えかかっていた命の灯火をそっと消したような印象があります。生きたいと思う虫の心によってリンゴの傷を負いつつもなんとか命を引き延ばしていた、しかし最後に人間の心で家族の為を想い、命をそのまま絶やした、そんなイメージです。
少し妄想が過ぎるかもしれませんが、今回私はそんなふうに感じました。

おわりに

思っていたよりも長い感想文になってしまいました。
でも二回目らしい読み方ができたんじゃないかなと思うので、その点は満足です。
この作品は短いのでまたいつか読むことになるだろうと思います。その時はまたこのnoteを読み返し、より深い読みができたらいいなと思います。

また、この本は今年(今月)15冊目です。今月は15冊読むことを目標にしていたので、ギリギリ達成できて嬉しいです。
2月も15冊読めたらいいなと思っていますが、いつも通り楽しむことを第一にして読書を続けていきたいと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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