読書感想文(56)井伏鱒二『黒い雨』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回読んだのは、毎年この時期に必ず話題になる、あまりにも有名な作品です。
私は戦争について詳しくない自覚があり、それに後ろめたい気持ちがあります。
その戦争を実際に経験した人達はどんどん高齢になっており、当然いつかは一人残らず永い眠りにつくことでしょう。
しかしその事実を風化させてはならないと思います。そのために私自身もきちんと学んで、後世に伝えなければならないと思っています。
この作品はその第一歩となりました。

感想

この作品は終戦の数年後を基軸とし、日記を清書する(或いは読む)という形で終戦までの10日間を回想します。
終戦数年後の生活はそれなりに穏やかであり、劇的な展開が続くということもありません(少なくとも前半は)。
そして日記で綴られる過去も、日記ゆえかそれほど劇的な描かれ方はしていないように感じます。
しかしそのように日常的な描かれ方をすることによって、よりその痛ましさが伝わってきます。

日記で綴られる過去、原爆投下後の数日間の描写には死体或いは重症者が常時といってよいほど頻繁に現れます。
そして日記を清書している時間軸では、被爆者の日常、被爆者ゆえの辛い現実、終戦後にも尚も続く、或いは終戦後しばらく経ってから突然訪れる不幸が描かれます。

これまで読んだ戦争文学として、例えば坂口安吾の「白痴」などは庶民が戦時下で必死に生きる様子が、これでもかという必死さを伴って描かれていました。
しかし一方で『黒い雨』は、勿論必死に生きているのではありますが、ドラマティックさを抜きにして、自然な人の営みがリアルに描かれているからこそ、その痛ましさがひしひしと伝わってきます。

例えば次のような場面があります。

 堤防の上の道のまんなかに、一人の女が横に伸びて死んでいるのが遠くから見えた。先に立って歩いていた矢須子が「おじさん、おじさん」と後戻りして泣きだした。近づいて見ると、三歳くらいの女の児が、死体のワンピースの胸を開いて乳房をいじっている。僕らが近寄るので、両の乳をしっかり握り、僕らの方を見て不安そうな顔つきをした。
 どうしてやるすべもないではないか。そう思うよりほかに手がなかった。とにかく女の児を驚かさないように、僕は死体の足の方をそっと越え、すたすたと十メートルほど下って行った。

実際、こういうこともあったのでしょう。あまりにも淡々と書かれているようにも思われますが、想像してみるとかなり胸が痛む光景です。日記だから淡々と書かれているのか、或いはそれすら淡々と書いてしまうほど多くの悲惨な出来事が積み重なっていたからなのか。
他にも息子を見捨てた父の話などもありました。

この部分を読んだ時、私はふと「火垂るの墓」 を思い出しました。意地悪な親戚なおばさんがいたように思います。しかし昔父が「このおばさんは意地悪に描かれているけど、当時はこれが当たり前だったんだろう」というようなことを言っていました。つまり、親戚の子ども、しかも労働力として役に立たない人の為に必要以上の贅沢なんてさせられない、ということだと思います。それも一理あるのだろうと私は思っています。

一方、この作品を読むと、近所の人も含めて良い人が多いなと思いました。お見舞いに何かを贈ったり、献身的な看護であったり。戦争というのが自己犠牲を強いていたという側面はあるのかもしれませんが、私はこの自己だけを優先しない在り方に何か光を感じました。

最近色んなところで幸福の追求に関する話を聞きます。それも一つの立場ではあると思うのですが、自己利益ばかりに囚われてしまうのもなんだか悲しいような気がするなぁと最近思っていました。
勿論、戦時中のように助け合わなければ生きていけない極限の環境になれば良いとは思っていませんが、何か現代人が学べる心の在り方のようなものがあるのではないか、と思いました。

最後に、解説「『黒い雨』について」にあった作品評の一部を引用します。

この小説は勿論痛烈な戦争呪詛である。然し面と向って反戦を喚き立てるのではなく、黙々と戦争に「協力」しながらその犠牲になっている民衆に対する無言のいたわりから出来ている。だからそこに真実の戦争への抵抗が生れるのだ。

ここまでできる限り自分の言葉で綴ろうと努めてきましたが、この感想の前半部については大変端的にまとめられております。
これは最近読んだ短歌の本に書かれていた「写生」に通ずるところなのかなとも思いました。

おわりに

この有名な作品はできるだけ多くの人に読んでほしいなと思います。
歴史とリンクしているため、恐らく1000年後の文学史にも残るであろうと思います。西暦1945年、第二次世界大戦が終結し、その悲惨な結末を描いた作品として。
そして残していくのは今生きている我々なのだという自覚も必要だと思います。
まず自分が学び、それを伝えることが大切だと思います。
このような点からも、やはり文学というのはもっと身近にあるべきものなのではないかと思いますが、これはまた別の話になるのでいつか機会があればnoteに書きます。

というわけで、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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