読書感想文(145)凪良ゆう『流浪の月』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

新年度一冊目は凪良ゆう『流浪の月』です。新年度一冊目と言いつつ、実は読み始めたのは三月末です。
読んだきっかけは一つに定めかねるのですが、最後の一押しは読書会で紹介されたことです。
本屋大賞受賞&映画化&文庫化したので、知っている方・既に読んだ方も多いのではないでしょうか。
色んな方が既に感想を書いていると思いますが、いつも通り自分の思ったままに文章を綴っていこうと思います。

感想

とても重たい内容でした。でも読んでよかったなと思います。
どこから感想を書いていったら良いかわからないので、いつも通り引用しつつ考えたことを書いていきます。

ぽつんとつむじを叩かれた。鉛色に塞がれた空から透明の滴が降ってくる。全身がしっとり湿っていく。傘はない。早く帰らなくちゃ。でも雨はぬるくて、優しい手みたいに感じて悲しくなった。なんでわたしは雨なんかに癒やされてるんだ。今すぐ甘いものがほしい。優しいものがほしい。でないと、もうこらえきれないかもしれない。

P35

辛い時、雨に癒やされるのは共感できるなぁと思いました。さらさらと身体を濡らしていく雨もあれば、風に勢いに乗って身体を叩きつけてくる雨もあります。後者はもしかすると自棄になっているのかもしれません。
人は辛い時にどうして雨に癒やされるのでしょうか。感情を洗い流してくれるような気がするからでしょうか。雨を受け入れる寛大な心を持つことができるからでしょうか。
雨に降られた時の感情の動きで、自分の精神的な健康を確認できると私は思っています。
それはともかく、ここで主人公に共感したことで、より物語に没入することができました。他にもいくつか主人公と感性が合うところがあったので、この著者の他の作品も読んでみたいなと思いました。

「せっかく買ってもらったのに汚してごめんなさい」
「よごれたら洗濯すればいいだけだ」
 わたしは、文のこういうところが好きだ。
 文はわたしに、ちゃんとしろと言わない。学校の先生みたいに、みんなと一緒に一斉に同じことをできないわたしを困った目で見ない。きちんとしている文の隣で、わたしがごろごろと寝転がってアニメを観ていてもなにも言わず、ただきちんとし続ける。文自身がちゃんとしていることと、他の人がちゃんとしていないことは、文の中では別のことなのだ。
 ――人それぞれ、みんなちがっているなんて当たり前のことなのにな。

P54

ここはすごくいいなと思いました。
物を汚した時に怒ってしまうのは、片付けが面倒だからでしょうか。親も人間なので仕方がないのですが、私はできれば文のように冷静でいられる人になりたいです。
また、「学校の先生みたいに」という所が引っかかり、具体的に想像してみました。
例えば授業中にうるさい生徒がいれば、先生は注意しなければいけないでしょう。そうしなければ周りのクラスメイトに迷惑がかかるからです。しかし、注意される生徒は(自業自得ではあるものの)嫌な気分になるのではないでしょうか。皆の前で注意されて恥ずかしい、などなど。
これは矛盾しているので解決は難しいですが、例えばそういった元気な生徒も参加しやすい授業、つまりワイワイと盛り上がりながら進んでいく授業を作ることができれば良いのかなぁと思いました。

わたしはお母さんにとって、生きていくために必要なご飯にも、悲しみが紛れるお菓子にもなれなかった。それどころか、お母さんの大嫌いな『重いもの』になった。お母さんは重いものは持たなかった。お母さんは我慢しない人だった。

P67

これは子供にとって一番辛いことではないかと思います。作中では梨花ちゃんも同じようなことを考えています。
そういえば私も同じように考えたことがあったなぁと、ふと思い出しました。私の場合は決して親がいなくなったわけではなく、むしろ過保護・親バカ寄りの育てられ方をしたと思いますが、それでもそんな風に考えてしまう子もいるのだから、子育てって難しいんだろうなぁと思います。

文とわたしのスタイルは日ごとに混ざり合い、けれど中間にはならない。ちゃんとするときはちゃんとするし、怠けるときは怠けるという具合だ。甘さとしょっぱさのように、怠惰と勤勉は交互に行うのがよい。

P70

なるほど、この考え方もいいなぁと思いました。怠惰と勤勉を交互に行うのがよいのかどうかはわかりませんが、これも一意見として覚えておきたいです。
将来家庭を持った時、こんな風に生活スタイルを合わせていくことになるのかなぁ、なんて考えました。

神さまなんていないんだ。
わたしの願いは叶えてもらえないんだ。
わたしが大事にしているものは、全部、全部、残らず取り上げられるんだ。

P78

ここを読んだ時、自分の大事なものが頭を過ぎり、それがきちんとあることに深く感謝しました。
現実では大事にしているものが残らず取り上げられることは滅多にありません。しかし確かに存在します。最もわかりやすい例では地震や津波でしょうか。
今、大事なものが健在していることに感謝しました。

そして、これは子供であればより辛いことだろうと思います。子供は経験が大人より少ない分、世界が狭いし持っているものも少ないです。だから比較的「全部」がなくなりやすいのだと思います。
大人なら一つ何かダメでも別の何かが残っていることが多いように思います。
子供の頃、大人って全然子供の考えを理解してくれないなぁと思っていましたが、こういう所にも原因があるのかもしれません。子供の立場を想像することを忘れずにいたいです。

夏の夜明けは早く、東の空には炎のような薔薇色が立ち上っている。けれど夜の領域にはうっすらと白い月がまだ残っている。
もうすぐ消える、まるでわたし自身のように感じた。
首をはねられる瞬間を待つように、わたしはじっと薄い月を見上げる。
なのに月はいつまでも残り続け、わたしの首も皮一枚でつながってしまった。

P144

タイトルに繋がる場面だと思います。
私は絶望を感じた時も、未知である未来に一縷の望みをかけて、生きることに執着しました。これは坂口安吾のエッセイをいくつか読んでいたおかげだと思います(「不良少年とキリスト」など)。
一方で、この作品の主人公は「わたしの首も皮一枚でつながってしまった」と考えています。そこに意思はなく、本物の絶望を感じます。それでも「良かった」と思ってしまうのは他人のエゴかもしれませんが、やはり主人公も後々は良かったと思っているのではないでしょうか。
聞いた話ですが、自殺未遂者の100%が死ななくて良かったと後に答えている、というデータがあるそうです。逆に、そう思える社会であるということは、意外と多くの人が他人の事を考えてくれるものなのだなぁと、嬉しくなりました。

ぬるい風が吹き込んで、人工の葡萄の香りが部屋に満ちていく。わたしもなんだかむせそうになった。葡萄としかいいようのない、でも葡萄ではないまがいものの匂い。愛情もそうなのかもしれない。世の中に『本物の愛』なんてどれくらいある? よく似ていて、でも少しちがうもののほうが多いんじゃない? みんなうっすら気づいていて、でもこれは本物じゃないからと捨てたりしない。本物なんてそうそう世の中に転がっていない。だから自分が手にしたものを愛と定めて、そこに殉じようと心を決める。それが結婚かもしれない。

P157

ここもかなり印象に残りました。
これまで考えてきた色々なことがまとめられているように思います。
そもそも愛というものは十人十色であるのですが、一人の中にも様々な愛があるのだろうと思います。その中で一つ定めて、結婚する、と考えるとしっくりきます。
一方で、過去の愛に重ねて新たな愛を育もうとする人もいると思います。否定はしませんが、それは新しい相手そのものを見ることができていないのではないかと思ってしまいます。今の所は他人事なので、深くは考えませんが。
また、本文の表現を借りると、そもそも本物の葡萄の匂いはどれほどの人が知っているのか、本物の葡萄にも色々な匂いがあるのではないか、人によって感じ方が違うのではないか、まがいもので良いと思ってしまうのが妥協なのだろうか、などといった考えも出てきます。
恋愛論は色々と考えることが多いですが、今回はこの辺りにしておこうと思います。

最後にもう一つ。
この本を読み終えてふと「心中」という言葉が頭を過ぎりました。
この二人は心中していてもおかしくなかった、むしろそっちの方が自然だったようにさえ感じます。
心中というと『曽根崎心中』など江戸時代の作品が思いつきますが、これも実際に起こった事件を元に作られたものです。そう考えると、作品の鑑賞をする際にもより現実味を持って迫ってくるのですが、そんなことを考えるまでもなく、心中というのは現代でも存在するものだと思いました。ただ、普段あまり関心を持っていないだけなのです。
さて、では何故二人は心中しなかったのか。もちろん明確な答えはありませんが、私は二人が一緒に過ごした二ヶ月間のおかげなのではないかと思いました。一時的であれ、絶望から解放された日々があったからこそ、心のどこかで次の解放に望みを持つことができたのではないか、と。
巻末解説では「命綱」を握り合っているという表現をしていましたが、いいなと思いました。またこれも巻末解説にもあったことですが、この作品では恋愛ではないことが強調されています。
私の中では、一緒に生きていくということが常に恋愛と結びついていたので、この視点も覚えておきたいです。恐らく世間体を気にした時に一番楽なのが恋愛と一緒に生きていくことを結びつけて結婚することなのだろうと思います。別に悪いことではないので上手くいけばそれで良いのですが、もしも上手くいかなかった時には参考にしたいです。

おわりに

書き終えてからざっと見直してみて、そういえば最も大きなテーマとも言える「事実と真実は異なる」ということに全然触れていないなと気づきました。
まあこの点は他の人が沢山書いていそうですし、とりあえずいいかなぁと思います。結構長くなってしまいましたし笑。

そういえば、3月は10冊読むことを目標にしていましたが、5冊しか読むことができませんでした。
4月も10冊を目標にするつもりでしたが、借金の分を足して15冊を目標にしたいと思います。結構きついと思いますが、頑張ろうと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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