読書感想文(229)辻村深月『傲慢と善良』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は久々に辻村深月さんの作品を読みました。
結構前から気になってはいたのですが、最近特にオススメ本としてよく見かけるので、とにかく読んでみることにしました。

感想

面白かったです。
が、テーマ的には登場人物達と結構考え方の違いがあったので色々と言いたくなりました。

まず初めに思ったことは、架と真実の不満は『7つの習慣』のいう「インサイドアウト」の考え方ができていれば、解消されるのではないか、ということです。
この本に限らず、現実においてもこの考え方で多くの愚痴は解消されると思っているのですが、まさにその典型でした。
ただ、ここで注意しなければならないと思ったのは、自分の方が視野が広いなどというような傲慢さを持ってはならないということです。私はまだ20代ですし、育ってきた環境も作中人物たちとは当然異なります。この立場の違いをわきまえておかなければ、デリカシーのない人間になってしまいます(というか既にデリカシーの無さはなんとかしなければならないと思っています)。
この点は、ブレイディみかこ『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読むとよくわかる「エンパシー」の考え方が重要なのだろうと思います。

さて、今回タイトルになっている「傲慢」と「善良」は、作中で現代の結婚が上手くいかない原因とされています(P134)。
この「傲慢」と「善良」が形を変えつつ、登場人物達の様々な部分から浮き上がってきます。

私は自分の「傲慢」と「善良」に結構自覚的なつもりなのですが、この作品の登場人物の考え方とは根本的に違いました。
まず先に、「善良」について。
例えば真実の「善良」は従順です。嘘をつかないのは親に対する反抗になるからです。この場合、私は嘘をつかないのは嘘をつくのがいけないことだ、と思うのが「善良」だと思います。
もう少し抽象化すれば、「善良」とは他人本位のものだと思います。「善良」は他人にとっての「善良」であるものであって、自分の為に「善良」であるものではありません。「善良」を保身の為に使ったりやステータスのように扱ったりするのは、本作の言葉を使えば「自己愛」です。このような「自己愛」による「善良」は、いざという時に結局自分の都合の良いように使われるのだと思っています。ある分には良い(やらない善よりやる偽善)のですが、信用はできないと思っています。
これは「善良」の対比としての「嘘」や「打算」も同じです。私は多分無意識のうちにも打算的な行動を取っていることがありますが、その打算は他人の為の打算であるべきだと思っています。
なので、本作における「善良」(全てを把握できていませんが、恐らく中心となる部分)は、私の考えと根本的に違うのです。私の中の「善良」は「打算」と対立しません。
「嘘」は上手く使える自信が無いのでそもそも自分に禁止を課していますが、世の中には上手に他人の為の嘘をつける人もいるのだろうと思っています。

次に「傲慢」について。
これも様々な形で描かれていたように思います。全然把握できていないのですが、自分や他人を評価する考え方が印象的でした。
この点、恋愛の考え方がそもそも根本的に違いました。
私は親友にも「理想が高い」と言われたことがあるのですが、私は決して明確に何か理想があったわけではありませんでした。
ただ、多くの人は、一生を共にするビジョンが見えなかったのです。その結果、私は恋愛にかなり高い価値を置いていたにも関わらず、長い間恋人がいませんでした。
これと対極的な考え方として、とりあえず付き合ってみる、という考え方もあると思います。しかし、私の場合は「将来どうなるかわからない」というよりも、「この人とは3年後くらいにしんどくなりそうだな」といったように、明確に別れるビジョンが見えてしまうのでした。
勿論、実際にやってみないとわからないこともあるので、この部分が見えていたというのは「傲慢」かもしれません。
しかし、自分が「この人とはそのうち別れるだろうな」と思っているのに付き合うというのは、相手に対して不誠実であると私は考えました。
実際に付き合ってみないとわからないことを試すとしても、せめて「もしかするとそのまま一生一緒にいられるかもしれない」と思える人と試したかったのです。
その為、私は長い間恋人がいなかったのですが、今は一生一緒にいたいなと思える人と交際できているので、自分は間違っていなかったのだと、今だからこそ思うことができます。
かつてはどうすれば恋愛が上手く行くのかそれなりに悩みましたし、今後もし別れることがあればこの感想文は黒歴史となりますが、まあそれはそれで良い記録となる気がします。
閑話休題。
これを作中では「傲慢」とします。つまり、自分に合っていない、ということです。この点は「自分に見合っていない」と相手を下に見る視点も書かれますが、一方で後半の真実視点のように単に「合わない」ということもあると思います。
恋人や夫婦の間で喧嘩が起こるのは、この「合わない」を勢いで乗り切ってしまうから、後で齟齬が生じるのだと私はずっと前から思っていました。合わないなら、そもそも何故付き合ったのか、結婚したのか。この理由は人によって様々だと思いますが、意地悪く言えば、例えば「単に趣味恋愛や虚栄恋愛を楽しみたかっただけ(スタンダール『恋愛論』参照)」、「相手の本質を見抜けなかっただけ」などが思いつきます。二つ目の方については、「そんなのできっこないよ」と思う人が多いと思いますが、そうやって見極めようとしないことが原因なのだと思います(これもインサイドアウトの話)。
ただ、私のこの考え方は、20代だからこその考え方なのだろうと思います。
架も真実も、そろそろ結婚しないといけないという焦りを感じていますが、私はまだこの感覚を持ったことがありません。仮に30前後で上手く結婚すれば、一生わからないままです。
けれども、この作品がこれだけ反響があるということは、共感している人がたくさんいるのだということだと思います。
そのことは、心に留めておかなければならないことだと思います。

長々と書いてしまいましたが、このような点で、私は登場人物達と考え方が結構違うなと思いました。
しかし、朝井リョウさんの巻末あとがきで「謙虚と自己愛の強さの両立」「不正解を避け続ける減点法の人生」というフレーズを読んで、まるで自分のことを言われているかのように感じました。
もしかすると、全然この物語を読めていないかもしれません。
それぞれの「傲慢」と「善良」を全てピックアップして分析してみたら、面白いかもしれないなと思いました。
明確にやることはないかもしれませんが、次に読む時には意識しようと思います。

おわりに

今回はかなり長くなってしまいました。
考えさせられるテーマがあると、どうしても長くなってしまいます。
まあ前回はかなり短かったので、平均的にちょうど良いということにしておきます。
色々と書くことがあるというのはそれだけ頭を使ったということでもあるので、良いことです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?