読書感想文(63)フランソワーズ・サガン作、河野万里子訳『悲しみよ こんにちは』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回読んだのはフランソワーズ・サガンのデビュー作です。
私は先日田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』を読んで、初めてフランソワーズ・サガンを知りました。
ジョゼが出てくるのはまた別の作品なのですが、書店でこの作品を手に取ったのはなんとなくタイトルに惹かれたからだと思います。

そして今読もうと思ったのは、知人が夏っぽい小説として紹介していたからです。
そういえば積ん読になっていたなぁと思い出し、今が読み時かなと思って読みました。

感想

面白かったです。
舞台は南フランス。それだけでもう夏っぽいイメージがあるのは、最近ゴッホやゴーガンの絵を観たからでしょうか。
確かに夏らしい小説で、読み終えて気分は夏になりました。海で泳ぎたいです。

ただ、夏っぽいというだけでなく、人生観や恋愛観についても考えさせられました。
特に恋愛については、「夏」 「ヴァカンス」といった言葉と並べると、なんとなく共通のイメージが湧くのではないかと思いますが、まさに「ひと夏の恋」のような奔放な性格をしている少女が主人公です。
同様に奔放な性格をしている主人公の父と、その真逆である女性アンヌ、それからこれまた別の性格の若い女性エルザ。
それぞれの感覚を持った登場人物達が上手く描かれていて面白かったです。

私は現実では奔放な恋のようなものに無縁ですが、なんとなく小説で惹かれるのはどうしてなのかなぁと思っています。
江國香織『東京タワー』では、詩史さんと透の恋愛がなんとなく素敵に思われました。不倫なのに、なぜでしょう。

「あなたは愛というものを、少し単純に考えすぎているわ。それは、刹那的な高ぶりがいくつとつながっているだけのものではないの……」
 わたしの恋愛はぜんぶそうだった、とわたしは思った。突然の胸の高ぶり――目の前にある顔で、しぐさで、キスで……。花開く一瞬一瞬、でもそれぞれには、なんの一貫性もなくて。それがわたしの思い出のすべてだ。

どちらの方が自分にとってより良い恋愛観か、ということを考えるのも面白いですが、より複雑に捉えている人がいるという時点で恋愛は複雑なものです。
恋愛は一人でするものではないからです。単純な恋愛観を自分が選択したところで、それは複雑なもののうちの一部を選んだに過ぎないのです。

恋愛観については、私は(恐らく世間一般的にも)アンヌに近いように思われますが、もっと抽象化するとどちらが良いとも言えないように思われます。
アンヌは堅実な道、主人公やその父は冒険的な道を好みます。これはどちらが良いとは言えないでしょうが、お互いがお互いの価値観を良くないと思っていることでしょう。
自分の価値観と対立する価値観を、人は敵視してしまいがちです。そしてアンヌと主人公のように年齢或いは親子といった上下関係があると、上の立場の人が下の立場の人を矯正しようとしてしまいがちです。
ここまで来ると、やはりアンヌの方が良いとは言えないのではないでしょうか。もちろん、アンヌは主人公の為を思っている部分もあるので、それが悪だというわけではありません。しかし主人公のように、それを疎ましく思うこともよくあると思います。
難しい書き方をしてしまいましたが、要はありがた迷惑、お節介とかそういうものに近いです。

しっかりしなくては。父を、父とわたしの昔の生活を、なんとしても取り戻さなくては。過ぎたばかりの、支離滅裂で浮かれたこの二年の時間が突然、どれほど魅力的に輝いて見えたことだろう。ついこのあいだ、あんなにあっさり自分で否定した二年間が……。考える自由、正しくないことも考える自由、ほとんど考えない自由、自分自身で人生を選ぶ自由、自分を選ぶ自由。〈自分である自由〉とはまだ言えない。わたしはこれからどんな形にでもなっていく素材にすぎないから。でも型にはめられるのはお断りという素材なのだ。

これは特に若い人に響くところではないかと思います。同時に、若いなぁとも思いました。
けれど、この若さは大人に鳴るにつれて消えていってしまう大切な何かなのではないかと思います。
何かが何なのかは上手く言えませんが、こう、大人は子どもを型にはめようとしがちなんですよね。
自分が子どもの頃は嫌だったのに、大人になると同じことをしてしまいます。自分がされて嫌なことは他人にしてはいけないと、子どもの頃に言われませんでしたか?子どもに言っていませんか?
もちろん、人生経験が比較的豊富な大人だからこそわかることもあります。けれども子どもはその前提をわかっているでしょうか。子どもの頃にわかっていたでしょうか。
私はこの作品を読んで、若い若いと思いつつ、その若さを大切にしなければならないなと思いました。
ちなみに余談ですが、子どもから大人に立場が変わった途端に自分の都合の良いように意見を変えるという話は、先日読んだ星新一『ボッコちゃん』にもありました。これを小学生の時に読んでいたことも、私の考え方に強く影響しているように思います。

「解説」によると、この作品の翻訳本が出版された当時、日本では読書が趣味の人はほとんどサガンの作品を読んでいたそうです。しかしサガンはいわゆる文学作品的なものとは認められておらず、作者曰く少女漫画のような位置付けだったそうです(私は少女漫画も結構好きで読んでいました笑)。
にもかかわらず、読書家はみんなサガンを読んでいたという矛盾です笑。
これは私が持った「若い」という感想に近いところを多くの人も感じたのかなと思います。そしてそれでも読んでしまうのは、そこに懐かしさ或いは失われた若さに対する憧憬のようなものがあったのではないでしょうか。
少女漫画を読んで「メルヘンチックすぎる!」と思いながら、密かに憧れてしまう、そんな気持ちだったのではないでしょうか。
大人もまた、「大人」という型にはめられてしまいがちなのです。でもたまには、「大人」のヴェールを脱ぎ捨てて、童心に帰るのも良いのではありませんか?
そしてそれはまた恋愛の話に戻しても同じではないでしょうか?
浮気や不倫をしよう!というわけではありません。一度は好きになった相手に、今更好きだと思い直すのは変なことでしょうか?それもまた、恋の在り方によるかもしれませんが笑。
またまた余談ですが、もし「でも相手が変わってしまった」と思った人がいたら、『7つの習慣』 という超有名な本を読んでみてください(漫画版もあります)。第一の習慣「主体性を持つ」という考え方が、問題を解決するかもしれません。

追記:0828

この作品の結末については、まだ整理できていません。
この結末が意味するところなども、次に読む時には考えてみたいです。

おわりに

思っていたより感想が長くなってしまいました。
本文は180ページ弱だったと思うので、割と短いです。
その中でこれだけ色々と思うことがあったので、読んでよかったなと思います。
今年中にもできれば再読したいですし、毎年この季節に読むのも良いなと思います。
読みやすくて面白いので、気になる方は是非ご一読ください!

というわけで、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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