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自由エネルギー原理の一部に対する技術的批判

本記事は一般的な学術的論文解説とは異なり、専門的な説明は割愛しながら研究の起点やモチベーション、過程で感じたことを綴る。

金井:この研究のモチベーションはライフワークの意識研究にある。生物や物理的なシステムが外界のモデルを持っているかをどうやったら数式的に定式化できるかという興味が起点になっている。脳だったら外の世界のモデルを持ってるが、定式化することで細胞とかアメーバなどがそいうものを持ってるかどうかを議論できるようになる。

Fristonの自由エネルギー原理に関する論文の中にヒントになるものを見つけた。彼のLife as we know it.という論文は「生命のように自分を保存するメカニズムを持つシステムでは、内部が外界世界のモデルとして機能し自由エネルギーを下げる」と主張していた。生命がモデルを持つとはどういうことかをすでに数学的に定式化していたようなので、この意味を正確に理解するところから始めようと考えた。

しかしよく読んでみると「生命であれば外の世界のモデルを作って認識している」という主張に厳密な説明はなされていなかった。そこで詳細に調べてみたのが本研究である。

専門的なところは割愛するが、彼の論文の中で曖昧に書いてあるものを一つ一つ数式的に解釈して明らかにしていく作業が続いた。進めていくとその証明には穴があり、そこに反例を作ることで現時点では成り立たないという説明を本論文で展開した。

今回、複雑なFristonの論文に数学的な説明を与えることで紐解くことができた。非常に多作で難解なFristonの論文を批判的に検証できる人は限られているように思う。彼の論文を細かいところまで詰められたことは、Fristonの歩んだ思考の獣道を人が歩けるように舗装していった感覚に近い。現に、本論文でようやく理解することができたという声も上がっており、今後彼の議論に参加する人がさらにでてくるのではと考えている。

本論文の主張の一方で、この原理を真っ向に否定しようとは思っていない。
主張自体はとても興味深く重要であるからこそ、きちんと定義して引き続きこの理論に向き合っていきたい。

(金井良太 )