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初めての共通テストの英語:リーディング

こんにちは。札幌で英語講師をしているアラと言います。

ついに共通テストが実施されましたね。今回はその共通テストの英語について思ったことを書こうと思います。まずはリーディングについて。

センターより難しくなった

実際に解いてみてまず感じたのは、解くのが面倒臭い!ということでした。英文は、センター試験よりも自然な感じがしましたし、単語も言われていたほど難しいものは出てこなかったので、読むこと自体は楽にできるものでした。しかし、設問に答える段となると、読んだ記憶を頼りに解くことができないものばかりでした。細かく具体的なところを聞いてくる設問が多く、改めて本文を確認しにいかないと正解に辿りつかないのです。この、本文と選択肢の行ったり来たりが本当に面倒に感じました。もちろん時間もかかります。ですので、英語は共通テストになって難化した、と言ってよいでしょう。

とはいえ個人的には、センター試験よりも良いテストになったと思います。なんとなく読んでなんとなく答える、というアプローチが一切通じなくなっているからです。がんばって勉強した人が報われやすくなったかもしれません。

「なんとなく」じゃムリ!

数学だったら「なんとなく」なんて言葉の出番はないはずですが、英語ではどうも「流れをつかめ」だの「大意を把握しろ」だの、非常に曖昧で、厳密さを軽視する空気が許されてしまうところがあります。この空気は若者が真剣に勉強することを妨げていると思います。「英語は楽に、かっこよく、お洒落にやるべきなのに、受験の英語ときたら暗記ばっかりで……」なんて印象論に振り回される子がたくさんいるのです。

今後の共通テストが今回の水準で実施されていくなら、中高生もそれに合わせて「なんとなく」を超えた取り組みをしてくれると思います。長文の量がかなり増えましたから、センター時代よりもやるべきことが当然増えてますし。

どう対策すればいいのか

では、今後どんな取り組み、対策が必要になるでしょうか。まず、読まなくてはいけない英文の量が多いので、どうしても読むスピードが気になるでしょうが、そこはグッとこらえて精読をちゃんとやりましょう。正確に読めなければいくらスピードがあっても意味がありません。そして精読は、一度読み方がわかってしまえばそれ以降上手にできるようになるものではありません。上達には日々のトレーニングが絶対に欠かせないものです。重要な表現を効率よく身につけるのが良いのですが、文というのは無限のパターンがあるので、これができそうでできないのです。何が重要な表現なのかを絞り込むとこは容易ではありません。なので、手当たり次第読む、という段階が絶対に必要だと思います。とにかく大量のパターンに出くわして、調べて、考えて、意味を掴んでいくしかないのです。

とはいえ、高校一年生、二年生がいきなり受験レベルの英文の精読ができるのかというと、難しい人も多いでしょう。そういう人は、単語帳で語彙力を強化しながら、文法のおさらいを短期間でやってしまいましょう。文法は基本だけでよいと思います。応用的なところは精読の中で学ぶべきです。そもそも文法事項の多くは、文脈と結びついているものなので、短い一文であれこれ文法を考えてもあまり意味はないのです。共通テストでは晴れて文法問題がなくなりましたので、志望校に特化した対策を始める時期までは、とにかく基本的な文法知識を駆使して精読を頑張りましょう。

注意点としては、長文問題を解いて満足してはいけない、ということです。問題を解くとどうしても一段落した感じになってしまうので、「読む」ことに集中する時と、「解く」ことに集中する時を分けた方が良いかもしれません。解きっぱなしは厳禁です。

今後の影響(学校の定期テスト)

さて、ここからは雑感です。今回実施された共通テストの今後の影響を考えてみました。

一つは、学校の定期テストのあり方が問われるかも、ということです。以前から学校の英語の定期テストはあまりやる意味が感じれらない、と言われてきましたし、受験を控えている生徒たちも口を揃えて「意味がない」と言います。なぜかというと、教科書の長文を2つも3つも丸暗記しなくては解けなかったり間に合わなかったりするテストだからです。英文を読んでいると絶対に間に合わないので全文を暗記しておかなくてはいけないんですから、そりゃ生徒だって意味がないと感じてしまうでしょう。しかも時間を取られます。このために受験勉強をストップしていたら、これからの共通テストの対策が十分できなくなってくるかもしれません。ですので、方針を変える学校も出てくるのではないでしょうか。

今後の影響(5文型)

次に、学校の英文法の見直しの機運もでてくるのでは?とも思いました。特に5文型はもう何十年もさんざん批判されてきていて、公立高校入試でももはや出題されませんし、大学入試でも余程偏屈な私立大でしか出ません。にもかかわらず、受験業界では根を張っていて、時には「5文型が英語の基本」とまで言われてしまうことさえあります。管見ですが、この5文型が「なんとなく読み」を助長していると思います。共通テスト対策に必要な量と質を確保しようとしたら、5文型の扱いも変わってくるかもしれません。

5文型は、宮脇正孝さんの『5文型の源流を辿る』という論文によると、19世紀後半のアメリカで提案された学説の一つであるそうです。その後、1917年に細江逸記の『英文法汎論』でその考え方が採用されたのが我が国で5文型が流通する始まりだとか。大正時代です。大正時代の考え方を修正もせずにカリキュラムに入れているのは、他の科目では考えにくいことです。

何より、英語は5つの文型だけで説明ができるわけではありません。参考書の中には「5文型は日本人に合っている」というようなことが書かれていることもありますが、大変乱暴な話だと思います。日本人に合っているということは、当然日本語に対応した考え方である、ということになるはずです。日本語に5文型に相当するような考え方があるでしょうか。アメリカ人の学者が英語を分析する手段として提案した考え方がたまたま日本語にも適応できるというのは、ちょっとありそうにない話です。

ともあれ、今後は5文型によらない参考書も多くでてくるといいなあ、と思っています。

良いテストだった。そしてみんながんばった。

最後にさらに雑駁な感想を。いやー、大学入試センター、がんばったなあ、と思いました。英語の外部試験導入が見送られ、さらに記述問題の導入も見送られたドタバタの中で、「英文を正確に読めているかどうか」を見るためのテストをしっかりと作ってきたわけです(これから2回目もありますし)。今回のリーディングの問題は、あまり文句が出ないんじゃないかと思っています。測りたい能力を絞り込んでいるように感じたからです。僕は今まで、センター試験の英語はまあまあよくできていると思っていましたが、今回の問題をみると、やっぱセンターよくなかった、と掌を返しちゃいました。センターは、発音・アクセント問題を筆頭に、何の能力を測ろうとしているのかよくわからないものが多すぎたと思います。今回の共通テストでは、正確な読解と丁寧な照らし合わせができるかどうか、この2点が問われているのが明らかでした。そのどちらの能力も、若い人に身につけて欲しいとこの国の大人が望んでいるものです。「いい加減にやるな(オレのようになっちゃうぞ)」と大人はみんな思ってるんですよ、若人諸君。「文意を掴む」という、テストではおそらく測ることのできない基準から入試が離脱していくのは、本当に良いことだと思います。英語だって厳密さが大事なんだ、とはっきりすれば、受験生ももやもやが減るんじゃないでしょうか。

直前までバタバタした共通テストでしたが、製作者、試験官、会場運営担当者、受験生のみなさん、本当にお疲れ様でした。

次回はリスニングについて書こうと思います。

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