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原因と目的

「なんで国語ができないのか」「なんのために国語ができないのか」

一昔前のアドラー心理学の本を読んでたら目的について考えたくなりました。

原因については前回の記事でも触れましたが、①幼少期から活字に触れてこなかったこと、②国語教育を放棄してきたこと、③中学時代にコミュニケーションを避けてきたこと、④高校時代に流行り言葉を乱用していたことあたりが挙げられます。細々した原因はいくつでもありますが、大きくその4つとします。

次に国語ができなかった目的について。「なんのために国語ができなかったのか」という問いに対して違和感を覚えますが、①やればできるという可能性を残すために(国語を避けてきたということ)、また、②学校という社会で自分のポジションを確立するために(コミュニケーションをとっていたこと)、が目的だと思います。

アドラー心理学をきちんと理解している人がいたら私を否定して論破してください。特に、国語ができない目的が自分でもしっくりきていません。



やればできるという可能性を残すため、嫌いな担任の先生を思い出さないため、

やってたらできるというニュアンスが否定できないためアドラー心理学的な目的論とは少し離れている気がします。


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