なぜすぐに「陰キャ」「コミュ障」と名乗ってしまうのか?~偏屈サブカルバンドマンの後悔日誌⑫~
おはようございます。深夜のスタジオ、よい子はもうおねむのグルーヴ。あらいです。
今日は「『コミュ障』と『陰キャ(隠キャ)』となぜ手軽に言ってしまうか?」というテーマでお話ししようと思います。
あなたが僕と同世代、もしくは僕と同世代ぐらいの人を多くフォローしている人ならタイムラインにも毎日流れているだろうこの、「陰キャ」、「コミュ障」という単語。FF内でも探せば5人はプロフィールに書いてるんじゃないかって感じだと思います。
僕はあまりこの単語を使うことはなかったのですが、この言葉について話そうと思うきっかけがありました。
軽い自虐としての「オタク」
ABSラジオさんで放送されている、「タマリバ」という番組を皆様ご存じでしょうか。一言で言うと、地元の中高生の活動を取り上げながら今の10代カルチャーについて主に話していく番組です。(詳しくは公式サイトをチェック!)|
そしてこのタマリバさん、僕が高校時代にやっていたバンドの曲をエンディングテーマとして使っていただいたり、大学生になっても自分の活動をウォッチしてくれていたりと、ほんとにお世話になっている番組なんです。
放送と同時にリアルタイムでペリスコープを使ったライブ配信があり、秋田を離れた今でもたまにそちらを聞いています。(普段は聞けない曲間のパーソナリティお二人の話が聞けるところがすき)今週もエビ中「トレンディーガール」が流れているというツイートからライブ配信を聞いていました。
ちょっと脱線するんですが、エビ中の最新アルバム「MUSiC」が名盤過ぎて最新曲も追ってしまうほどになってしまいました。各種サービスでお聞きになれると思うので「明日はきっと70点」だけでも是非。(「イートザ大目玉」という最高のタイトルの曲も是非)
話を戻して、本編の配信が終わったあとで配信される、パーソナリティお二人がディレクターワタナベさんも交えて話す、ペリスコープ限定の「アフタマリバ」をきいていたら、
「オタクというのがなかなか言い出せないマイナスのイメージから周りにアピールできるものになった」という話をされていました。
以前この記事でオタクのイメージの変遷について取り扱ったりしていたので食い入るようにコメントなどしながら聞いていました。そしてさらに
「今は新たな自虐的な言葉として『陰キャ』と『コミュ障』がある」
「今はみんな言うしSNSとかに書いてるけど、今の子たちが俺たちの時代で言う『オタク』的文脈で使ってるのか気になる」という話に。
大分身に迫る話になってきたな~思っていたら
とおっしゃっていただいてしまったのでよし語ろうじゃないかというのが今回です。
ステレオタイプの有無
前置きが長くなってしまいました(タマリバさん、しっかり宣伝しておきましたよ!!)が、ここからは本題を。
まず、なぜこれぐらい言いやすい存在に二つの言葉がなっているかということを考えると、やはりその「言いやすさ」にあるんじゃないかなと思います。
その「言いやすさ」の正体を今日は2つの側面から探っていこうと思います。
まず1つめは、ステレオタイプがないということ
陰キャの対になる言葉として「陽キャ」、コミュ障の対になる言葉として「コミュ強」がありますが、そちら側には、みんなが共通して持っているステレオタイプ、陽キャ像、コミュ強像がある気がします。
なんとなくクラスの中心にいる感じで、各部活の”長“的な役割だったりクラスのまとめ役的なキラキラした実績を持ちながらも、それぞれ認め合う感じのグループに属していて...
SNSでは友達や恋人との映える写真を投稿していて、初対面の人ともあふれ出る自己肯定感で距離を詰めることができて、LINEの返信がまめで、BGMにはエドシーランか髭男を設定していて…
といった具合です。(後半は偏見です)
でも、対になる側のステレオタイプが明確にある分、陰キャとコミュ障は
まとめられているような気がします。
もちろん、休み時間は黙々と本を読んでいて、文化系の部活で、インドア趣味で、話しかけられるとしどろもどろで、眼鏡で、でもなにか触れちゃイケないこだわりを持っていて...
みたいな陰キャのステレオタイプがないとは言いませんが、SNSに陰キャ、コミュ障と書く人の多くはばっちりこれ、ではないですよね。
僕が言いたいのは
陰キャとコミュ障は
ってことなんです。
やっぱり人間自慢よりは自虐の方が発信しやすいですよね、まして人に聞かれるところ、見られるところとなるとますますそうだと思います。
逆に「陽キャ」とプロフに書いている人は滅多に見ません。
それはなぜか?というと
先ほども行ったとおりのステレオタイプに当てはまるSNSだったら書かずとも陽キャだからです。
言われなくてもわかるのが陽キャコミュ強、
教室の真ん中以外の場所全般から香るのが陰キャコミュ障ってことです。
プロフィールを埋めるには
もうひとつ、「言いやすい原因」としてあげられるのは、陰キャコミュ障には実績がいらないという点です。
例えばオタクやマニアでいるためには、「好き」を物量的に変換して積み上げる必要があるし、
何か得意なことを発信、プロフィールに書きたければそれなりの練習が必要、といった具合に、プロフィールに書けることには大体「実績」が必要です。
でも、陰キャやコミュ障にはそれがいりません。
先ほども行ったとおり教室の真ん中以外の場所全般に広く陰キャコミュ障と名乗る権利が与えられているのです。
でも、陰キャコミュ障という言葉の悲しいところは、逆説的に
というところにあります。
今の10代は、SNSの普及によって
「プロフィールをどう埋めるか」という問題
にしらず知らずのうちに対面することになっています。
自分の好きなモノ、誇れるモノで埋め尽くせるような人はその一方でごく少数です。
好きなものを名乗るにも、自分よりもっと好きなオタクがいる。
つながりを欲して始めたSNSには、すでに持ち前のコミュニケーション能力で世界を広げるコミュ強がいる。
いつもクラスの真ん中で楽しそうに笑うリア友の陽キャがいる。
こういう中でプロフィールを埋めていくのはやっぱり難しいです。
だからこそ「流行り」と「好き」をカジュアルに混同してしまう。
発信からの一時撤退
流行りのアーティストやYoutuber、みんなが見ているもので、とりあえず埋めておく。見てないわけじゃないから、少しは話せるし、そこから本当に好きな1-2個のものに話を繋げればいいや。と。
でもその焦りは、SNS時代の新しい「みんな持ってるものだから私も欲しい」という悩みでしか僕はないと思う。
大慌てでプロフィールを埋めて、隠キャコミュ障の文脈の上で呟くのは簡単だけど、それはタイムラインを流れていった後にも先にも、何も生まない。
ゆっくりと時間をかけて、ひいては発信から一時撤退して、プロフィールを埋めていくのは確かに難しい。
だからこそ、そうでない「持たざるもの」たる自分のプロフィールを、発信欲のスキマを埋めるのが、「陰キャ」「コミュ障」という言葉になってしまっているのではないでしょうか。
でも僕は、そうやってスキマを埋めるようにしたツイートや発信が1年後、タイムラインの果てで見て死にたくなるような、カビだらけの沈殿となることを知っています。
だから時に僕たちは、いったん焦ってプロフィールを埋めること、発信することから撤退しなきゃいけないんだと思います。
ではまた。
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