音楽の迷子

大学の単位を取り終えた僕は、南米への旅の計画を立てたり、お世話になった人に会いに行ったりとのらりくらりと生きていた。

「台湾で通訳しながら店のお手伝いしてくれないか?」というお誘いをいただいたのはそんな時だった。以前インターンでお世話になった地元の農家さんが台湾の高雄という街の一流デパートの北海道物産展で出店することになったのだが、同じ時期にマレーシアへの出張も控えていて人手が足りないとのことだった。二つ返事で行きますと伝え、本当に台湾まで来てしまった。

たくさんのご縁もあり、昼間は高雄の大きなデパートで北海道のポップコーンやカレーを売り、夜は催事の店長さんや通訳兼接客の地元の学生さんたちと飲み歩く生活が始まった。夜な夜な屋台を徘徊し、餃子や小籠包はもちろん、イカの丸焼きや巻貝、にくまんや臭豆腐など、手当たり次第食いまくりながら台湾ビール片手に飲み歩いた。

1週間ほど経った頃、一人でどっか行ってみようかと思いたち、ホテルから1時間ほど歩いた所にあるアイリッシュパブに行ってみることにした。出身は十勝で、大学は別府と、都会に縁のない自分にとって、都会に訪れることはいつもちょっとしたイベントである。食べたいものや聴きたい音楽を堪能せずにはいられない。ということで都会に赴く際は田舎では出会えないアイリッシュパブとメキシカン料理を味わえる場所を事前に調べることにしている。ワーホリ時代にアイルランドで親しんだアイルランド音楽と、アリゾナ留学時代に出会ったメキシコ料理が忘れられないのだ。旅をしても下調べを全くしない自分だが、その二つだけは、その町に存在しているのか調べていく。変な話ではあるが、ブエノスアイレスでもウラジオストクでもアイリッシュパブとメキシカン料理は制覇してきた。

北海道物産展で出店している店長さんたちと飲んだあと、一人飲み直すため夜11時頃ホテルを出た。見知らぬ土地。昼間とはまた違う雰囲気の高雄の街を一人突き進む。途中道に迷いつつも1時間ほどでついにアイリッシュパブが見えて来た。おお盛り上がってるなぁとテンションを上げつつも、やはり、なんとも言えない気持ちになる。

アイルランドでワーホリを経験して以来、行く先々でアイリッシュパブに足を運んで来たが、地元のおじちゃんが楽器片手に集いセッションする古き良きパブは、世界中へ輸出される過程で酒を飲みながらどんちゃん騒ぎをするスポーツバーに形を変えてしまったものは多い。高雄のそれもその一つ出会った。残念な気持ちを拭きれぬまま少し迷った末中へは入らず、宿へ戻ることにした。同じ道を歩くのもしゃくなので一本中へ入って路地裏を歩く。1時を回ったその道は街灯もなく、真っ暗闇に包まれている。しばらく経った頃、不意に一つだけ灯のついた店が見える。近づくとうっすらとサイケなベース音が聴こえてくる。

Pink Floyd だ。

まさかこんな所で出会うとは。見知らぬ地の真っ暗な路地裏でかすかに聴こえてくるその音には、怪しさしかなかったが、アイリッシュパブに見放された今、懐かしくすらあった。ガラスのドアにはレコード屋と書かれている。Closeは20:00とあるから閉まっているのだろうが、恐る恐る覗くとやはりなんにんかが地べたに座って目を閉じている。

壁は一面レコード棚になっており、音楽を聴きながらレコードぺらぺら裏返したりしている人も見える。ほう台湾では若い人もレコードで音楽を聴くのか。レコード民の自分にとって嬉しい発見出会ったが、時間が時間である。明日にでもまた来ようかと歩き出したが後ろの方からドアが開く音がした。振り返るとおじさん手招きしている。白髪が似合う紳士な感じだ。一瞬戸惑ったが、アイリッシュパブに朝まで音楽を聴きに行こうとしていた人間に断る理由はない。

2階へ上がるように促される。上からは昔実家でよく流れていたエリッククラプトンが響いている。そこには見たこともないような大きさのレコードプレイヤーとスピーカーが並び、壁はレコードで埋め尽くされていた。壁のレコードを懸命にめくる者、ソファーで目を閉じる者、チーズをつまみながらワインを飲む者、、皆思い思いに音楽を楽しんでいた。10人も入ればいっぱいになるようなその部屋は音楽好きには天国のような場所だった。曲が終わると店のオーナーが近づいてきた。

「一枚選びな」

無限にあるレコードの山からRadioheadのCreepを見つけ、オーナーに差し出す。一瞬ニヤッとしたオーナーがレコードに針を落とし、皆で聴き入る。曲が終わると、だれかがまたレコードを1枚選び、皆で聴き入る。選ぶレコードがそのまま自己紹介だ。

かれこれ2時間ほど音楽に浸っていただろうか。そろそろ宿に戻らなければと立ち上がった時、1枚のレコードが目に入る。ストリートミュージシャンと貧しい移民女性の出会いを描いたアイルランド映画「ONCE」のサントラ。僕をアイルランドに行かせた音楽だ。自分の人生で一番大切な映画。こんなマイナーな映画を知っている人にいままで出会ったことがなかった事をオーナーに話すと、お前もか、目を輝かせて握手を求めてきた。「僕も音楽に迷子だったんだ君のように。でも君は、今夜ここを見つけた」たった一つの音楽が、人種、故郷、世代その全てを乗り越えた瞬間だった。

一本の上質な映画を見終えたような気分で、ビール片手にうっすら明るくなる朝靄のなか宿へ戻った。


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