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猿山の群れを守った「ポル」~愛知犬山から

 今年もまた、12月8日がやってきました。1941年に日本が米国・ハワイ真珠湾を攻撃した日米開戦の日にあたります。ホノルルの現地紙(現地12月7日)の復刻紙が手元にありますが、当時の混乱が報じられています。
 これは歴史ですが、実際に現場に居合わせたということなら、1981年の〝猿山の開戦〟が記憶に残っています。愛知県犬山市の日本モンキーセンターの「野猿公苑」(当時)での出来事です。
 39年も前のことを思い出したきっかけは、11月14日に愛知西農業協同組合(JA愛知西)の青年部のみなさんが収穫したサツマイモ約300㎏=JA愛知西提供=をモンキーセンターに寄付したことでした。

 いま国内の動物園は経費削減で、飼料用の野菜や果物を買うのも大変です。モンキーセンターが「支猿活動」として飼料の寄付を求めていることを知ったそうです。
 青年部は耕作放棄地や遊休農地の解消を目的にして、サツマイモを栽培してきました。収穫したサツマイモを鬼まんじゅうに加工してJA感謝祭などで販売してきたのですが、今年はイベントが中止され、「支猿」に振り向けることになったのです。
 さて、猿山の開戦です。当時の紙面には「12月8日、猿山〝トラトラトラ〟」「はぐれ大ザル侵入」の見出しが躍っていました。トラトラトラは、真珠湾攻撃の暗号名で、映画の題名にもなっています。いつも大好きなサツマイモをもらえる猿たちでしたが、この平和をかき乱したのは、群れを飛び出して犬山にやってきた、はぐれザルでした。
 屋久島から来た猿たちは驚きました。相手は自分たちより大きなニホンザルです。次期ボス候補のリス(14歳)が果敢に山に駆け上がり、前ボスのポニ(21歳)も続きます。ボスのポル(19歳)といえば、焼き芋をかじっていました。「ポル、だらしないぞ!」という飼育員の声が聞こえたのか、ようやく後を追います。
 しばらくして、戻ってきたポルは、額や体にひっかき傷をつくっていました。ポルは翌年秋、20歳で死にました。ボス在任7年10か月の最後は、内外から政権を脅かされていました。
 久々にモンキーセンターに話を伺うと、「いまはボスとは言いません」と担当者が教えてくれました。「αオス(アルファオス)」が正式だそうです。当時はヤクニホンザルと記事にしていましたが、これも「ヤクシマザル」とのこと。
 変わらないものもあります。猿たちが焚き火を囲む風物詩です。60年以上続き、今年も12月21日の冬至の日から始まります。
 「猿が火を怖がらずに集まってくるのは、焚き火のあとの焼き芋にありつけるから」。当時の筆者の考えも変わっていません。
(2020年12月7日)

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