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第5章 気候風土生かす地場産業♪「信濃の国」の文化と経済(note5)

~目次~
第1章 県歌「信濃の国」秘話
第2章 文化圏と美術館
第3章 2022年の大遭遇~伝統の祭り
第4章 個性的な企業群
第5章 地場産業★
第6章 食と農
第7章 人国記~「信濃の国」では
第8章 教育県とは
第9章 長野県人会の活動
最終章 あとがきにかえて~名古屋と長野県との一体感

■歌のなかで
 県歌「信濃の国」4番には、園原(阿智村)や寝覚の床(上松町)、筑摩(つかま)の湯(松本市)などが登場し、山紫水明の信州を歌い上げています。観光は信州の大きな産業に育っていますが、観光は別の機会に譲り、ここでは信州人の気質を物語る地場のものづくりの話をします。
■酒蔵数はトップクラス
 味噌や醤油の醸造品が有名です。ここでは造り酒屋について紹介します。
 国税庁清酒製造業の概況(2018年調査分)によると、酒蔵数日本一は新潟で89蔵、次いで長野県が2位で75蔵でした。
 全国でも知られている銘柄は諏訪の「真澄」(宮坂酒造)、木曽の「七笑」(七笑酒造)でしょうか。名古屋長野県人会の法人会員には、木曽の「中乗さん」(中善酒造)があります。県人会の懇親会には喜久水酒造の社長も参加されています。
 諏訪市には「諏訪五蔵」といって、歩いて行ける場所に五つの酒蔵があります。「舞姫」「麗人」「本金」「横笛」「真澄」です。毎年「諏訪五蔵めぐり」があり、私も2018年9月に参加したことがあります。グラスが入った酒袋を買って、試飲して歩きます。いまは「ごくらくセット」といっているようです。
■水引は全国シェア7割 
 飯田市は水引工芸で知られています。飯田水引協同組合によると、飯田地方では昔から豊富な水と乾燥した気候を生かして和紙が生産されてきましたが、寛文12年(1672年)に飯田藩主が商品価値の高い元結製造を奨励。元禄時代(1688~1703年)から、桜井文七が飯田元結の改良に努め、文七元結というブランドにして評価を高めてきたそうです。落語「文七元結」にもなっています。
 明治の断髪令で元結の需要が激減した以降は、光沢のある丈夫な水引を創り出し、お祝いの熨斗や工芸品などの水引細工として発展。1998年の長野冬季オリンピック・パラリンピックでは、入賞者に飯田水引で組んだ月桂樹冠が授与されました。大会関係者や報道関係者には水引細工の記念品が贈られています。
■こうや豆腐はほぼ独占   
 食品では凍み豆腐(しみどうふ)大手の旭松食品(東京証券取引所市場第2部)があります。信州では寒いことを「しみる」といいますが、この風土で育ったのが豆腐を凍らせてつくる高野豆腐です。旭松食品の「こうや豆腐年代記」では、昭和30年代から長野県が特産化に乗り出し、いま全国シェアの98%を占めているそうです。

 1958年10月には南極観測船「宗谷」に旭松食品のこうや豆腐が積み込まれ、越冬隊員の栄養源として役立ったとあります。(写真は旭松食品提供)
 信州は寒暖の差が激しいところです。冬の厳しい寒さや乾燥した気候を生かした地場産業が今も生きています。
(2021年7月14日)
 このリポートは、長野県の文化や経済について人からたずねられたときに、関心を持ってもらえるようにと、個人的にまとめたものです。タイトルにある「信濃の国」は、1900年に発表された県民の唱歌で、のちに県歌に制定されました。多くの長野県民によって今も歌い継がれています。この歌詞を話の軸にして、信州の文化と経済を考えてみようと思います。少しでもご参考になれば幸いです。

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