「小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか現代の災い「インフォデミック」を考える」の表紙を読む

https://twitter.com/disk_kat/status/1621476942443868160?t=ya3x3TGFrWGS2x6X49emDg&s=19
クソみたいに馬鹿馬鹿しい本。いや馬鹿馬鹿しいよりも害悪とすら思う。問うべきファクト(事実)はいじめの有無ではなく、過去にビジネスいじめをしていたという事実。そしてそういった人物がオリンピックに相応しいかどうかだ。少なくとも過去にビジネスいじめで利を得た人間がそれを隠して(自ら公にしなかったのは事実だろう)国民的晴れの舞台、世界平和と人間を称える世界のイベントで利を得る事を問題視しない小山田圭吾本人に直接の問題意識が無かった事こそが責められた筈だ。確かに作家(アーティスト)本人がクズかどうか、作家個人の過ちと制作された作品に罪があるかどうか、世評でクズとされる作家を個人的に応援するかどうか。ミスをした作家に再起のチャンスを与えるかどうか。そういった「作家と作品」のアート論は存在する。

しかし小山田問題はそのアート論の文脈で世間から非難されたわけじゃないだろう。それをこの本の著者はアート論として「問題を矮小化」する行為に対する自覚のなさは心底クソだと思う。

なんだビジネスいじめなら人は傷つかないとでも思ったか。クソみたいな擁護で人は傷つかないとでも思ったか。

小山田はオリンピックの話が来たときに断らなかった時点でアウトだ。その後の騒動はビジネスいじめをしていた者の結果としては至極当然だろう。

僕はアイアンマンのロバート・ダウニー・jrもイギリスオリンピック閉会式に出たエリック・アイドルも好きだが、それは過去と現在が繋がっているからだ。作家の人生や活動に明覚な一貫したメッセージがあるからだ。

それと小山田問題を同一視し、あげくインフォデミックという単純にネット炎上の問題としてすり替える本書の「表紙」には心底腹が立つ。嫌なものを見た。片岡大右Fuck you.ついでに小山田にもFuck you.




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