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好きを極めていたら日本代表選手になっていたお話🤾🏻前半戦

はい、こんにちは♪
今回はなぜ私が約10年間もハンドボールを続けて来れたかについて書こうと思います⚽️
長くなってしまいそうなので、前半後半に分けて書こうと思います!

始めたのは小5、きっかけは兄が中学の部活で始めた事がきっかけで、お兄ちゃんっ子だった私はすぐに興味を持ちました。

田舎の山奥なのに、なぜか近くにスポーツ少年団まであり、すぐに始める事になりました。

でも小3からミニバスもしていて、コーチもメンバーにも恵まれわりと楽しく、わりと良い成績でもありました。

同時に陸上もかじっていて、こちらも小、中併せても、県内1位🥇は何度か…w

実業団選手になってからも色んな人に個人種目の方が成功するよ。と幾度となく言われていました🤣
それはさておき🤗

小5からは3つの草鞋で並行してスポーツをしていて、ほぼ毎日のように動いていた記憶です。
毎日遊びに行く感覚で通っていたので、しんどい、行きたくないと思ったことはなかったかな〜
てか、他にやる事もなかったのかもしれません😆

子供の頃の無限の体力というものですね!
それもこれも、やりたいと言ったらなんでもさせてもらえた母にも大変感謝しています。

小6ぐらいかな、ミニバスの大好きなコーチが中学のコーチになる為ミニバスをやめてしまったので、それを機にミニバスは辞めて、中学校の部活に混ぜてもらっていました😂
今考えると不思議ですね、誰やこいつって思われてただろうな🥲

そんな日々を送っているうちに2つのスポーツを続ける上での障害が…
ご存知の方も多いと思いますがバスケは基本的に接触の少ないスポーツで、2歩しか歩けません。
ハンドは真逆。接触してなんぼ、ぶつかってなんぼのスポーツで、3歩まで歩けます。

その他は意外と似てる部分も多いのでやっていけていたのですが、この2つに関してはやっぱり癖やらが出てしまい障害になってしまいました。

そこで選択の時が。
ずっと続けて行きたかったのですが、所属を決める上で決めなければならず…🤦‍♀️
泣く泣くバスケを諦めました⛹️‍♀️
ハンドの方が性に合ってたんでしょうね。
生意気加減を存分に発揮出来るところがww

そこからはトントン拍子ですね。
うまくなりたい、シュート決めたい、負けたくないの一心でハンドに打ち込んでいました。
周りには男子はもちろん、高校生の人らも交えての練習が多かったのでいい刺激にもなりました🤾🏻

メンバーにも恵まれ県内で1番人数少ないんじゃないかな?っと思うほど人数は少なかったですが、県内では負けなしで中学は終えた記憶です。(定かではありませんが、負けた記憶はないのですw)

中学生時の選抜(JOC)にも中2の頃から呼んでもらえていたので、生意気なガキで敬語も知らない私でしたが、みなさん優しいく暖かく仲良くしてくださいました😂

ただ正直なところ、選抜に選ばれたい!っといった感じではなく、気づいたら呼ばれていて、他の学校の人とプレーできる!っといた好奇心の方が強かった記憶です。

選抜に行くのが普通で、選抜に入らないのは有り得ないとまで思っていた私はやっぱりこの頃も生意気ですね。

一応選考会というのがありましたが、1位チームから何人、2位チームから何人といった大人の事情も、少なからずあるのでは…中学生ながらに思っていました。
実力や頑張りでほんとに評価してたのかな?今でも疑問です。

そして、ここからですね。
色々と変わり出したのは!
そう、高校選択の時です!

岩手にはインターハイに行ってる不来方高校や、女子校である盛岡第二高校や白百合学園なんかがその当時強かったです。

どこにしようかなーなんて悩みながらもハンド続けるのか?とも悩んでました。
この頃にはすでに女子の集団がとても苦手で、正直もう嫌だなと思っていましたw
周りもこいつなんや。って思ってたと思います。わがままだし、口悪いし、性格厳しいし。
尖ってましたね、完全に。

中学時代の友達に会えば口を揃えて言われますが、うまくやってんの?っとw

そう、知ってる方も多いですがw
のちに再び同じチームになりますが、小、中一緒のチームのABちゃんとは仲良くなかったのです🤣

そりゃそーですよね。中学生離れした体格と肩の強さ、そして足速いし、ハンド上手だし。
羨ましい限りでしたね。

私なんて中学生時代は背も大きくないしカリカリだし、勝てるのは長距離ぐらいでしたね。

同じチームでいつも比較の対象とされていたのがすごく嫌で、高校は同じところに行きたくない。から始まりました。

【結局7年の歳月を経て実業団で再び同じチームになり、一緒にプレー出来たのも何かの縁だしいい思い出となりました。
少しは大人になってた(?)と、思っていた私ですが、実業団入ってからは普通に喧嘩もしました。でも、学生時代は喧嘩すらなかったので、逆に仲良くなれたかな!っと勝手に思ってます!!w

いつか岩手で講習会でも開いて招待してくれないかなーっと心の隅で思ってます😘】

そんなんで、ABちゃんが不来方高校に行くと噂で知り、そこの選択肢は消え、女子校もはなから選択肢になかったので、県内に私の行く高校がない状態に…。

どうしようかなーっと考えながら母と本屋さんでハンドボール雑誌を広げてみたら、インターハイ特集をしていて、その年の優勝が京都の洛北高校でした。

そこで、何を血迷ったか『私ここに行く。』と、即決。そこで止めない母もさすがだなぁと思います。

軽い気持ちで言ったのか、どうせなら1番強いところでやってみたいとの好奇心だったのか、今となっては覚えてもいませんが、そこから一気に事は進みました。

公立高校だし、スポーツ推薦なんやらもないので手続きが大変で😅
もちろん、普通に試験も受けに行かなきゃだったので京都まで行ったり。
たくさんの方のお力添えのおかげで入る事が出来ました。

こっからが壮絶な戦いになりますね!
ただの田舎で少しハンドが上手だったってだけで全国1位のチームに入るのですから。

この続きは後半戦にて描きたいと思います✍️
長くなりましたが最後までありがとうございました😊

では👋

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