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「見返す」って空虚?

初めての方ははじめまして
そうじゃない方はこんにちは
あらたです🥰

今回は批判というか反論お待ちしていますなnoteで、自分がここ最近考えたことについての考えを垂れ流します 

「いやいや、それは違うだろ」
「え、そんな考え方してるんや」

とか思われそうですが、人の考え方は人口の数だけ違ってなんぼなので、もしあなたと僕の考えと違っても幼稚で稚拙な言葉で中傷するのではなく、あなたなりの考えを教えてください🙇‍♀️

それに対してどちらが正しいとか正しくないとかつけるつもりはありません。 
考えはあればあるだけ面白いです

そして僕もまだまだ未熟者なので、その人の価値観として受け取ります

とまあ前書きはこの辺にして本題に入ります
本日も最後まで読んでくださいますと幸いです😊



「見返す」って空虚?


早速タイトルにした事象についての自分の考えをつらつらと。
突然ですが、皆さんの活動の原動力はなんですか?

色々な回答があるかと思いますが、その中に「誰かを見返すため」という理由があると思います
人の数だけ価値観があるので、どんな考えがあってもいいと思うのですが、僕個人としては「見返す」ということに対して空虚さを感じることがあります

「見返す」が原動力の人に僕はだいたい「誰を見返したいのか」を尋ねます 
すると、大抵憎い相手もしくは過去の情けない時の自分という2パターンの返答が来ることが多いです

僕が空虚だと感じるのは、これの憎い相手に対する「見返したい」という思いが原動力の時です

とはいえ、誰かを見返すことはモチベーションとしては着火剤として非常にいいものだと思っていて、どんな動機よりも「見返す」という思いを持っている人と話した方が、より強い思いを持っていると思います  

だから悪いものでは無いけど、僕が思うのは「見返したい」と憎む相手は、あなたが「見返せる!」と思った状態の時には、あなたの事をなんとも思っていんじゃないかということ

そしてもしなにか思っていても、くるっと手のひら返しをされたり、その凄さに逆にあやかろうとしてきたりってあると思うんです

僕の話にもなるんですが、
「数年後絶対この選択後悔するよ」とか「あなたを見返してすごい人になるから」
と言われたことがありますが、
「はぁ。そうですか。頑張ってね」
くらいにしか思いません

僕は興味ない人には本当に興味がないので、その人が今どうしてるかもあまり気にならないくらいです
まぁどっかで頑張ってるんだろうなって感じ。

それって見返せてますか?
納得いってますかね?

僕はそこに空虚さを感じています
そのため誰かを見返すことが原動力な人は、もうちょいほかの動機も一緒に考えてみていいんじゃないかなと思います

一方で、過去の自分を見返すことが動機な場合は、過去の自分を超えるということなので、それを実感できた時に成長や達成感を強く感じてその先も頑張ろうと思えるんじゃないかなって感じます


謙虚すぎてもダメ、自信過剰すぎてもダメ


この前高校生のこと話していて感じた中でふと思ったことを。
僕はこれについて考えると、日本人の難しさを感じます

自己肯定感が低かったり、自分に自信があまり無い人だったり、謙虚な人って皆さん自信がそうだったり、周りの人にそういう人いませんか?
かくいう僕も外面では自信ありげに見せてるけど、豆腐メンタルなのでげき弱人間です

そういう人に対して皆さんはどう思いますか?なんて声をかけますか?
大抵の人は「もっと自信持ちなよ!」
と声をかけるんじゃ無いかなと思います

僕も「あなたにはもっといいところがある」とか「そんなことはない」という声をかけるんじゃないかなと思います
人って暖かいですね

一方で、めっちゃ自信アリアリで自己肯定感が高めの人に対してはどうでしょう?
皆さんはその人たちをどう思いますか?

「自信持ちなよ!」って声をかけた人たちが自信を持って生きてくれるならこんな素敵なことはありませんよね?
でも実際自己肯定感高めな人ってなぜか嫌がれることが多いですよね
「道を開けろ」って宣戦布告した某You Tuber に批判が殺到したことがありましたし

自信もちなよって言って、いざその人が変わりましたとなったら
「あいつ自信過剰じゃね」
「なんか偉そうよな」
って言い始めます

僕の場合、自信を持ったりビッグマウスすることに嫌悪は感じませんが、口だけだったり結果が伴ってないなと思うと、「そういう感じね」となります

人間って難しいですね〜
結局人間は自分より弱い人間にアドバイスして優越感に浸ったり、強い自信をもちあわせて弱い人間を見下したりすることに快感を覚えるのではないでしょうか

つまるところ自分より凄かったり強いやつは嫌なんじゃないかってことです
やはり内心1番大事なのはみんなその人自身な訳ですから。

いつも腰を低く保って色んな人から学ばさせてもらってる、教えて貰ってるというスタンスでいるのが世の中では上手く立ち回れるんだなって近年ようやく気づきました


フランス語とジェンダー社会


これは最近ふと思ったことを。
このnoteをいつも読んでくださっている方々なら、周知の事実とは思いますがフランス語って基本的に男性名詞と女性名詞に分けられますよね

ラテン語から派生した言語に見られる特徴なので、
「フランス語以外にも名詞を分ける言語はある!」
という声が来そうですが(実際イタリア語とかがそうでヨーロッパに多い)、このnoteの小さな1セクションでは収まりがきかなくなるので、今回はあえてフランス語に絞って書きます

名詞が男性名詞と女性名詞に別れるって話でしたが、冠詞も別れるんでしたよね

だから日本人は男性はJaponais(ジャポネ)、女性はJaponaise(ジャポネーゼ)みたいな感じになって、それに伴って形容詞も変化するはずです

去年友達になったフランス人から教えてもらったのはここまでだし、僕はフランス語を習ったことがなく文法なんて知ったこっちゃないのでレッスン的な話はここまでに

本題に入ると、これからのジェンダーレスの時にこういった男性名詞と女性名詞が別れている言語は、時代合わないからジェンダーレスに話せと一部の人から言われているそうです

でも僕は無理ゲーすぎんか?と思ってます

だって今まで数千年そのままで話してきてるし習ってきたはずなので、ジェンダーレスな言語で話せって言われたら、フランスの人は何も話せなくなっちゃうんじゃないかなって

実際文法が複雑に絡み合ってるらしいので、当の本人たちからしても無理だよって言ってます

だから言語の形自体はそのままで、その人の呼ばれたい方の名詞で呼べばいいんじゃないかと思うのは僕が安直すぎますか?

ジェンダーレスに向かっている世界な訳なので、そういった自己開示はどんどんしていくべきだし、自己開示に対して世間はとやかく言うことはないと思います
(もしとやかく言う人がいたらその人はナンセンスですね)

時代の変化に合わせて僕たちは色々なものを変化させてきました
今のこの時代は今後の歴史において、大きなターニングポイントとなる変革の時代と言えそうですね

このことに対する皆さんの意見もぜひ聞きたいです

だいぶ長く書きました
割と思ってることはかけたかなと思うので本日はこの辺で
多分またこういった感じのを書きます

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