見出し画像

虫のしらせ

直感は確かに子供の頃にはあった。20代始め頃もかろうじてあっただろう。それが社会人になり世間にもまれるようになって余計な分別だの空気を読むだの世間体だの煩わされなくてよいものに自ら囚われるようになってからとても弱くなってしまったと感じる。
ただ、まだかろうじてある、こんな自分でもご先祖様か神様かもっと尊いなにかが救おうとしてくれているのかと思った、いわゆる「虫のしらせ」を感じた事がある。

ある時、北海道旅行を思い立った。有休もすんなり取れ必要な物を買い足し、出発前日の夜に荷物のパッキングを行っていたのだがいつもの旅行前のそれとは気分が全く違っていた。
なぜか心がざわざわする。時間が経つほどに気が重くなって仕方がない。なぜだ。今まで旅行をする前の日は嬉しくて楽しくて仕方がなかったのに。おかげでパッキングは時間が経つばかりでなかなかはかどらず、しまいには家族に「行かない方がいいのかな」なんて言い出すほど私は自分の心情がまったく理解できず動揺していた。

不可解な重い気持ちを抱えたまま思い切って旅行すると、旅先ではトラブルもなく、どころか楽しい事ばかり_雄大な自然、美味しい食事、目新しい物、お洒落なホテル_で私の心も出発前の陰鬱な気が晴れ、いつしか心も浮き立ち旅を心から楽しんでいた。そんな時だった。旅行2日目か3日目、旭川に移動し、旭山動物園を満喫中の私のガラケーがけたたましく鳴った。旅行中には気を利かせて電話をかけてこない家族からの連絡に疑問に思いつつ出ると、家族が「そっちは大丈夫!? 今 どうなってる!? 」と切羽詰まった声で問うてくる。「へ? 今旭山動物園。雪の中をキリンが走ってるんだ、レアだよ 」暢気な声色に安心したのか、次は冷静な声で「早くホテルに帰った方がいい」「地震が」「TVを見て」などと言って来る。
今さっき地震があったと言われても自分がいるこの旭川では全く揺れを感じなかったし、園内に緊急放送も流れていない。動物たちにも異変はない。周りの人達の動物に夢中なおだやかな笑顔を見ていると周囲も全く気付いていない事は明らかだった。
疑問に感じつつも少し早めに動物園を出て駅に向かう。旭川から宿泊地である札幌駅の電車は通常運行しているし、乗車しても空いた車内は特に変わった様子もなく、電車移動中に「早く帰った方がいい」と何度か入る家族からのメールに大げさだと言うくらいにしか感じなかった。

何か大変な事が起こったと分かったのは札幌駅に着いてからである。
駅中に驚くほど大量の人が溢れていた。地震の為北海道のあちこちに向かう列車が運行停止し行き場がなくなった人々が札幌駅内を右往左往しているのだ。人の波に圧倒されながら早歩きで駅近の宿泊していたホテルに向かう。ホテルロビーに入った途端、ビジネスマンらしきスーツ姿の男性達がフロントに「どこもいっぱいだから泊めてくれないか」と頼んでいたがホテル側からすでに満席で、と断られていた。

彼らのやり取りを横目で見ながら心臓の音が早くなってくる。北海道が震源地ではないのになぜこれほど影響があるんだ。何かいつもの地震と違うんじゃないか。部屋に入り、コートを脱ぐ間も惜しく慌てながらTVのスイッチを入れ、その惨状を見て息を呑んだ。


その日は2011年3月17日。

東日本大震災が起こった日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?