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米澤穂信講演会レポート(11/12 @太刀洗町立図書館)

本記事は、平成28年11月12日に福岡県大刀洗町立図書館にて開催された「米澤穂信講演会」のレポートとなります。この講演会の内容は、雑誌『ミステリーズ!』に公式的にまとめられるそうです。そこで詳細な話はここでは控え、部分的な抜粋という形に留めさせていただきます。全容を知りたい方は『ミステリーズ!』の2017年2月号を購入しましょう。

しかし、出版社による公式レポートが雑誌に掲載されるからといって、会場でのアナウンスがなかった以上、僕のような一般愛読者が遠慮する必要は本来ありません。雑誌のために全貌の掲載を控えると謳うのも、下手すれば傲慢ともとられかねません。ではなぜ遠慮するのか。それは単純に、会場まで遠く足を運んだ利得を得たいが為です(笑)
本当に素晴らしい講演会だったので、その内容を易々と公開するのは少々気が引けるというのもあります。
しかしその感情を認めた上で、それでもなお、ブログにまとめたい内容を厳選してお伝えします。


「たった一言に小説家はどういう想いを込めているのだろうか。そういうことをお話ししたいと思います」

今回の講演会に際して、米澤先生が選んだテーマはそのようなものでした。
では、そのテーマに関して、僕が最も印象に残った『さよなら妖精』の英題にまつわるお話から少しばかり。


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そもそも今回の講演会が開催に運ばれるきっかけとなったのは、「太刀洗万智」という、開催地と同名の姓を持つキャラクターでした。このことに縁を感じた太刀洗町立図書館の館長様が、東京創元社にお手紙で講演のご依頼をされたということです。(グッジョブすぎる!!!!)

さて。米澤先生はまず、その太刀洗万智が登場する最初の小説として、創元推理文庫から刊行された『さよなら妖精』を挙げた上で

「この『さよなら妖精』が文庫になるとき、英語の題名がつきます。なぜ英語の題名が付くのかと申しますと……。創元推理文庫はもともと翻訳の本を紹介する文庫でした。なので、本を開くと題名があり、さらに開くと原題と著作権表示が書いてあるページがある。この形が日本人の小説の場合にも踏襲されるのです。そこで、日本人の小説にも英語の題名が必要となるのです。」


と創元推理文庫の伝統を語られました。
ちなみに、僕は創元SF文庫を読むのですが、蔵書を確認したところ、この伝統はSF文庫にも反映されているようです。

「いろいろと考えたのですが、『さよなら妖精』の文庫版にこういう英題を付けました。」


緊張を明言し、手を少しぷるぷると震わせながら、米澤先生はホワイトボードにこう書かれました。


「THE SEVENTH HOPE」

「これは、『さよなら妖精』という日本語タイトルと全然関係のない題名となります。単純に直訳するだけであれば、『BYEBYE FAIRY』でも良かった。では、なぜ少し違う英題をつけようと思ったのか――」



そのきっかけは北村薫の『六の宮の姫君』だったそうです。これはシリーズ物の四作目に当たります。その三作目までの英題はすべて直訳で付けられていましたが、四作目のみ『A GATEWAY TO LIFE』という違う英題が付けられたと米澤先生は言います。


「『生への門』もしくは『人生への扉』と訳されるかと思いますが、調べてみたところこれは『マタイによる福音書』から来ている……のかなと考えています。こういう英題が付いているのを見て、小説に対して英題という別のアプローチが拓くような気がしまして。そういうものを自分の小説にも付けたいと願ったことから、『BYEBYE FAIRY』ではなく『THE SEVENTH HOPE』という英題を付けたのです。」


僕は『古典部シリーズ』から米澤穂信に触れたのですが、『古典部シリーズ』にもこうした一捻りある英題が付けられています。これが米澤先生の味なのかな、と思っていたのですが、北村薫の手法が由来だったのですね。
続いてその情報を踏まえた上で、英題が『THE SEVENTH HOPE』となった経緯について米澤先生は語ります。

「実はこの題名になる前に、もう一つ別の案がありました。それはこうです。『THE VANISHING OF THE SEVENTH HOPE』――これは『七番目の希望の消滅』という意味になります。『さよなら妖精』はユーゴスラヴィヤがテーマとなった小説なのですが、このユーゴスラヴィヤという国はもうなくなってしまったので、実は『THE VANISHING OF THE SEVENTH HOPE』とした方が小説の内容にはあっている。しかし私は最初の『THE VANISHING OF』を取ってしまった。」


それはなぜなのか?
その回答への初手として、米澤先生は御自身のキャラクター論を語りました。


私は登場人物たちに尊厳を持たせたいと思っています。小説を書くうえで登場人物というのは、あくまで作家が考えて、都合がいいように動いてもらう一つの手駒のようなものである。それは事実ではあるのですが、それでも登場人物たちには尊厳を認めてあげたいと思っている。精神論とか、情け深いとかそういう話ではなくてです。尊厳を与えると、登場人物を描くうえで『こういう場面では彼ならばこう言うはずだ』、あるいは、『こういう場面では彼女ならばこう言わないはずだ』というようなことが次第に見えてくるのです。これが小説を生かしていくと私は信じています。


では、それが『VANISHING』を取り除くうえでどういうことを意味してくるのか。


「『七番目の希望(ここではユーゴスラヴィヤという一つの国の結成を意味します)』は、『さよなら妖精』という小説の中で、マーヤという少女が一生をかけて追い続けた夢のことを指しています。その夢はユーゴスラヴィヤの崩壊により叶わなくなってしまうのですが、(その無念に対して)タイトルで『彼女の夢はいっさいが叶わなかった、消滅してしまったのだ』と書くこと、それは追い打ちだと考えました。」
「小説の中で登場人物に尊厳を認めるとしても、小説というのはその中で色々なことが起きます。辛いことも、悲しいことも起きる。そういった出来事は小説のためにはやむを得ないと思って書いている。なのにも関わらず、英題でまで『VANISHING』を付けて彼女の夢が叶わなかったことに対して追い打ちをかけなくてもよいのではないか。それは彼女の尊厳を侮辱する行為なのではないか。そう考えて、『THE VANISHING OF』を取った。そういう経緯があります。」


このお話を聞いて、少しだけ涙が浮かびました。

前述の通り、僕が米澤先生の著作に触れたのは『古典部シリーズ』が最初ですが、最も好きなシリーズは『さよなら妖精』から始まる、太刀洗万智の登場する小説群なのです。

この太刀洗万智という人物は、勇気があり、頭が大変切れるのですが、その刃を秘める性質があります。少し恥ずかしがり屋で、情けが深いのだけれど、それを表に出さないために誤解されやすい。ジャーナリストとして社会に出た後も、信条に従い誇りある仕事を果たしながら、その信条を恥ずかしがって口にしない。そういう女性です。

彼女がジャーナリストになった理由の一つに、マーヤへの想いがありました。マーヤは若いながらも、ユーゴスラヴィヤという一つの幼い国の未来のために政治家を目指していました。それはある種の希望であり、祈りでもあります(実際にユーゴスラヴィヤは崩壊してしまいます)。

一体どういうものが彼女の祈りを消失させたのか。一体どういう流れが彼女からすべてを奪ったのか。それに対する回答を得たい。そんな想いを胸に秘めながら、太刀洗万智は『王とサーカス』での経験をし『真実の10メートル手前』のようなジャーナリストになりました。

ファンとして、そんな太刀洗の信条が痛いほど好きだったので、『さよなら妖精』の英題が『THE SEVENTH HOPE』となっていることに疑問を感じませんでした。僕はこれを『七番目の祈り』と捉えており、その祈りの切れ端は、きっと太刀洗の中で未だ追究され続けているはず。だから、『THE VANISHING OF』が付く可能性など、考えもしていなかったのです。

しかし米澤先生が『さよなら妖精』を執筆された際、その後のシリーズの構想があったとは限りません。おそらくなかったと考える方が自然でしょう。

ならば、『七番目の希望(THE SEVENTH HOPE)』の行方に関しては『さよなら妖精』の中でケリが付けられるはず。
ケリを付けるのであれば、もし仮に僕が英題を付けろと言われれば『THE VANISHING OF(希望の消失)』を付けてしまっていたことでしょう。
なぜなら米澤先生が仰っていた通り、『さよなら妖精』に限って言えば、その方が小説の内容に合っているからです。

しかし米澤先生は登場人物に尊厳を持たせている。だからこそ、登場人物を気遣うことができる。その一言が登場人物の尊厳を冒してしまうかもしれない、そういう可能性を想像することができる。

僕は米澤先生の「想像力」に感動したのです。
人間としてその点に配慮できる想像力。気づきもしない感情は、小説にはできない。米澤先生は他の人よりもきっと多くのことに気がつきながら人生を生きている。
……この感覚を上手く伝えることは難しいですね(笑)

ファンの方に伝わるように書くならばこうでしょうか。
『古典部シリーズ』の短編に『連邦は晴れているか』というものがありますが、そのラストにて千反田が折木に対して抱いた感情。あれです。あれと同じようなものを米澤先生に対して抱きました。

いうなれば、
「米澤先生、それってとても、素晴らしいことです」

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以上が本記事で紹介できる範囲のレポートです。

講演会ではその後、『王とサーカス』『真実の10メートル手前』『花冠の日』の英題に込めた想いも披露されました。こちらについては『ミステリーズ!』にて参照していただければと思います。

また今回、米澤先生が少しだけ早口になってしまったため、質問コーナーが予定よりも長く設けられました。この質問コーナーにて『古典部シリーズ』への言及もいくつかされていたので、シリーズのファンの方はそれを目当てに『ミステリーズ!』を購入するのも良いかもしれません。

余った時間以上に多くの方が手を挙げていたため、僕は結局質問できませんでした。僕がしたかった質問については、別に記事を設けてそちらで書いてみたいと思います。自分なりに一つ回答を出せたので。

それでは、今回はこの辺で。

米澤穂信先生を始め、この素晴らしい講演会を企画してくださった太刀洗町立図書館のスタッフの皆様に感謝の念を抱きながら。

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読み方は「アラシサトル」。短編小説のように日記を書きます。カテゴリについてはマガジンの方を参照願います。

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