5×20 嵐Anniversary Tour andmore の申し込みについての考察
昨日、今回の嵐のアニバーサリーツアーのandmore、申し込みの詳細がジャニーズネットに上がりました。
代表者も同行者もFC限定で、一人の人が代表者として1回、同行者として1回申し込めるようになっていました!!
これはつまり「一人2名義制」だと思っていいのかな?
これを知って思ったのが、
「ファンが分身術使うのを認めてくれてるのかな?」
っていうこと(笑)
毎日のように高校の友人たちとあれこれについて議論したり、どうでもいいネタを呟いているツイッターが小さくなったようなLINEグループでそのことについて呟いてみました。
「嵐がファンクラブ全員参加できるようなコンサートを32回行うことにどんな仕組みになるのかと学問的な意味で興味があった。」
と呟くと(打ち出してみて改めて会話というよりも呟きでしかないことに気づくが。)
「カエサルのものはカエサルに。
ファンのものはファンに。」
と賢い友人からご指摘が有りまして。
そういうことか。
「嵐のものは嵐に」
って言った方がいいのかもしれないけど。
嵐はファンのものなのか、ファンは嵐のものなのか。集合の論理を使えばおそらく嵐の中にメンバーとファンがいるので。
なるほど。これは倫理学的思考だな、と。
そしてその全員が行けるようにするということは
「分配的正義」の考えも入っているよな、という結論も出ました。
普通の嵐のコンサートでは多名義を駆使すれば、全ステ、多ステできる。
しかしながら名義が少なければ少ないほどそもそも行けない確率が増えていく。
貧困層=名義が少ない(一つ)
富裕層=多名義
とするならば、今回の申し込み方法は貧困層にまで分配できるような仕組みになっているわけですね!!
なるほどぉ。この仕組みは経済学だな、と。この考え方は今の資本主義においては破綻しているんですけどね。
嵐の資本主義では成りたちうる思考ですね。
と思っていると、もっとそういうことに関する興味が湧いてきて、
呟きが加速して(もちろん私の)、
それが
ファンが分身術を使えることを認められているので今現在の嵐のファンクラブ会員数240万人という数字を掲げた今回のアニバーサリーツアーで今回の150万人ほど動員するツアーで果たしてどれほどの倍率になるのか、っていう問題です。
これはもう、ファンが定義不能語になっている、というわけです。
ファンという言語そのものの定義というよりは、
物質的なファンとしての定義が不可能になっているんですね!!!
そういう訳で嵐の今回のandmoreの申し込みの詳細について深く理解できたつもりになった私でした。
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