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商店街の記憶 (彫刻家×はんこ屋さん)

商店街とソトの人が繋がった。こういう瞬間をもっとみたい。
ソトの人が商店街でコトを起こした、小さなソトコト。

昔、この商店街にはたくさんのお店があった。

そこにはたくさんの人の暮らしがあり活気もあった。
しかし、今はだんだんとお店も少なくなってきていて、例にも漏れず高齢化している。
あと5〜10年もするとこの商店街の景色はだいぶ変わると思う。
次の人がいない。そのくらいご近所さんは年配の方が多い。
ずっとここでこの日常を作ってきてくれた人はほんとうに尊い。
自分たちにはなにができるんだろうかってずっと頭の片隅にある。
このまちの記憶がずっと残るようなことができたらいい。
それは作為的なものではなく、できれば感覚的にアーカイブできる方がいいなと思ってる。
そして、それが形になった。

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出会い

去年の夏、たまたま荒島旅舎でお会いした彫刻家として活動している大学院生の蟻塚くん。
可愛らしい顔したこの彫刻家に、この商店街で何か表現してもらえないかとお願いした。
題材も表現方法も自由。無茶振りとはわかっていながら、商店街を歩いていろんな人に会ってもらい何かを感じ、それを彼の目を通して表現して欲しかった。

蟻塚くんが対象に決めたお店は「はんこ屋さん」。
このお店は昨年の台湾チームとのまち歩き以降なんども通ってるかなりお気に入りのお店。
荒島旅舎のはんこもここで作っていただいた。

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たしか今年の2月には90歳になった現役のはんこ職人、福島健治さん。
「いつでも明日辞めようって思ってるんやけど、また頼まれるから辞めさしてあたらんのや」って、この年齢になっても職人として必要とされている男前な人だ。
18歳からこの世界に入り、30歳を過ぎてからここにお店を構える。毎日ずっとこの場所ではんこを掘っている。

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手掘りのはんこ職人の数はどんどん減っているそうで、大野市にはもうここしかない。県内でもだいぶ少なくなっているそうだ。
伝統工芸でもない限り、昔ながらの生活に根ざした技術は簡単になくなってしまうんだと思う。おばあちゃんの知恵とか家庭の郷土料理が受け繋がれていかないように。あたりまえにそこにあったものは、時代の変化とともに簡素化され、ビジネス優先になり必要とされなくなる。

この商店街で今でも残るものには、その人そのものの価値があるように思う。だからこそ尊い。「守ってよ」とか「続けてよ」なんて無責任なことは、続けている人にはとても失礼な気がして軽々しく言えない。
自分たちにできることは、今日も続けていることを想い、感謝すること。
そして、できるだけそのお店、その人のお話をたくさん語っていくかということしかないんだと思う。

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この愛おしい福島さんの「はんこ屋さん」を、蟻塚くんは選んでくれた。その理由を聞くと、
「最初に訪れた時、普通はその人の顔を注目するんですが、ふと手を見た時、そのデカさ、いかつさが面白いと感じました。それに福島さんは見た目は柔らかい。でもその手をみると、福島さんの苦労とか、はんこ1本でやってきているところが伝わり、すごくかっこいいと思ったんです。手から感じた福島さんは、柔らかいけど、緊張感を持ち合わせている。それを形にしてみたいと思いました。」

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商店街の人の軌跡が作品に変わる

蟻塚くんは、まずは福島さんの手を型取った。(この手型は福島さんのいるはんこ屋さんにあるのでぜひ見に行ってみてください!)90年の人生で手の型をとられたのは初めてだと福島さんは嬉しそうだった。
「かたどった手を365度見回して、最初は手に見えるように作ろうとしたけど、光当てたりしてみてみると、これは手じゃ無い部分があったほうがかっこいいんじゃないかって思ったんです。手の甲からみた内側からの骨の隆起、血管の隆起が、山脈のように見えていて、こっちの方が表現の幅が出ると思いました。」

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福島さんの手は蟻塚くんの表現によって新しい形になった。
“かっこいい”。評論家でもアートの造詣が深いわけでもないので感想は単純だけど、いい。めちゃくちゃ、いい。
完成した作品を福島さんに見せた時は、すごく嬉そうにしてた。この瞬間がまた最高にいい。

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蟻塚くんに、福島さんとの印象的だったお話を聞いた。
「僕が彫刻やってるからかもしれないけど、はんこの話をしてる時に、彫ることについて話してたんです。その時に、『はんこっていうのは、彫ったものが字に見えないといけない。けど、実際彫る相手は石で、自然の物だから、彫っていくなかで、欠けたり、角が飛んだりする。結局それが面白かったりする、それでいいんだよ。』って言われた時に、職人とアーティスト(美術作家)ってもともと微妙にノリが違うんですけど、そういう軽さの感覚というか偶然を楽しむ心は、人が感じる美しさの本質であったりするんだな。って思いました。」

今回作品を作ってみて感じたことを聞くと
「すごい面白かったです。とりあえずなんか作ってくれってオーダーは初めてで、意外と自分はあってるなって思いました。自由にやらせれもらえるのは面白い。いい負荷になっていたと思います。作っていない時にもずっと福島さんのことを考えていましたし。
これは、次の自分の作品を作る態度にもなると思います。
アートって、これまでは美術館でみるものとして作ってきたけど、芸術作品をみることを目的としていない場所、そういう場所でのアートの役割は、月並みかもしれないけど、繋がりとか出会いを呼ぶんだなと。それが新しいアートの可能性かなって思いました。
作品を見に来るんじゃなく、その奥にいる人間を知りたいって思うような感覚です。」

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商店街とアートの関わりは、そこに人がいてこそだと思う。
人と人との感性が反応して新しい表現となって形に残る。
それは成果や正解を求めないものである方がずっといいんだと思う。
その人と対話をするように作品に触れ、そして、その人に会いに来たように作品をみる。
そして会いにいける商店街になっていく。

台湾チームのartqpaiのAJが言っていた、この商店街で荒島旅舎をすることの意味、役割が少しづつ見えてきた気がする。
台湾チームとは、この1階の箱にはいろんな商店街の形をアーカイブしようって話してたのを思い出した。そして、ようやく1つの箱が埋まった。
想いが少しずつ形になってきている。

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このホステルの1階はいろんな人が好き勝手に出会う場でありたい。
半ば強制的な関わりって、鬱陶しい時があるけど、
偶然出会ってしまった関わりはすごく自然で優しい。
一目惚れのように突然でそれこそ愛に溢れている。
思いもよらない新しい感性がどんどん入り、次の関わりが勝手に生まれていくのが理想的。無理がない状態。
そうやって、商店街との関わりも増え、いろんな感性が表現となって飛び散って徐々に重なりあうことで、グラデーションのように居心地のいい場所になるように、ゆっくりと続けていけたらいいなと思います。

蟻塚くん、新しい気づきをありがとう。感謝です。

みなさま、旅舎にお越しの際はぜひ作品をみてみてくださいね。

2021.3   荒島旅舎

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