【太夫、傾国の娼妓(やり手爺)ときて今世悪妃とは、これ如何に?】第59話〜牡丹宮筆頭女官side
「これで本当に全てか」
「は、はい、女官長。他の宮の筆頭女官にもつたえ、女官に周知するよう伝えました。その……私達には、お咎めありませんよね……」
主に仕えてまだ数年という新参者の女官が、媚びるような顔で問う。
「全て揃っているなら。けれど言い方には気をつけなさい。我らが主である玉翠皇貴妃にご迷惑がかかるのは、良しとしているようではないか…」
「そ、そんなつもりは……」
「下がりなさい」
苦々しい気持ちになる。やはり図星か。あの性悪貴妃、滴雫が責任の所在を皇貴妃にあるなどと戯れ言を口にしたからだ。いや、あの性悪の事。それを見越しての発言だったに違いない。
とにかく、この宮にあったディーシャの物らしき、全ての貴金属は全て回収した。そしてそれぞれの女官達には幾ばくかの金子も出させた。
しかし他の宮に流れてしまった物が、どこまで回収できたかはわからない。
主は後宮の管理を任された皇貴妃。立場上、他の宮の者が仕出かした事にまで責任を取らされるやもしれない。貴妃や嬪が、それを逆手に取ってくる可能性すらある。
一応、此度は陛下の目の前でディーシャが盗難について口にし、他の宮の貴妃の責任についても触れた。だからこそ腹立たしくも回収は順調のようだ。
しかし私のように心から主に忠誠を誓っている者達ばかりではない。専属女官に近い立場になる程傲慢な者も多い。
けれど一夜明け、あまりにも我が主を蔑ろにした他の宮の行いに驚いた。
皇貴妃から直々に、北の水仙宮の貴妃には関わるなと通達したはずだ。それを無視して西の蘭花宮を除く、貴妃と嬪が自らの宮の女官を送りつけたなどと。
それがあったからだろう。
今朝になって主から三週間後の吉日。陛下と共に貴妃と嬪の顔合わせを兼ねた沙龙を開く。そう伝えられた。陛下が昨日訪ねたのは、それを伝える為だったようだ。
交流のある他の宮の女官から、陛下が胥吏の出で立ちで水仙宮にいたと知らされた。定かではないが着衣を着崩した陛下に、艶めいて女の顔をしたディーシャが、しなだれかかっていたと。
あり得ない! あのような平凡な顔立ちの者などに! どの貴妃達とも見目が劣り、良くて嬪程度! その上、陛下より覇気を直接ぶつけられる程、怒りを買っていたというのに! 何より陛下は、我が主に一途なのだ!
噂は間違いなく嘘だ。私は確信している。
けれど後宮においては、そのような噂が出回る事こそが夫人や嬪の勢力関係に亀裂を生む。そのせいで、ディーシャの貴金属を回収するのにも問題が出るかもしれない。
全ての物が揃わねば、我が主の事だ。弁済すると口にしかねない。
それとも他の宮の者が罰せられるのか? それならば、私としては願ったりだが。
念の為、水仙宮の貴妃は新参者でありながら、問題のある宮の主に責任を問う。そのような立場を弁えぬ性悪だと伝えておいた。
本来なら自分付きになるはずだった女官を、職務怠慢という建前を掲げて後宮から一日で追い出したのだ。周りも信憑性を感じるだろう。
一部の女官は、既に水仙宮の朽ちた門の前に返却したようだ。聞いた話では後宮らしい、特別な菓子や酒を詫びとして紛れこませたらしい。
ディーシャがそれらを口にして醜態を曝せば、私の溜飲も下がる。更には命の危機に瀕すれば、早々に後宮から退場する。尚良しだ。
そういえば何故だろう? ディーシャは陛下の覇気をまともに受けた。なのに顔色一つ変えなかった。長年連れ添う我が主ですら、幾らか顔色を悪くしていたというのに。
『そろそろこの場にいる私を睨む女官達も理解しておくべきではない? 少なくとも先ほどの破落戸のようになれば、お前達自身が危なくなると何故想像できないのかしら? 特にお前は皇貴妃に長らく仕える、皇貴妃が信を置く女官では? 破落戸の時と違い、ここはもう私の宮なのよ?』
憎らしいが、田舎娘と侮ってはいけなかったのかもしれない。ディーシャは齢十四にして、性格が捻じ曲っただけの事はある悪女だった。
まさかこの私が両膝をついて謝罪を示さねばならなくなるとは。情けない姿を主に曝してしまった事が、心底悔やまれる。
しかしあの時は、そうせずにはいられなかった。ありきたりの顔に美しき恐怖を、どうしてか感じてしまった。
どちらにしても、これから私はあの貴妃と対峙する。そうでなくては、この牡丹宮に直接足を踏み入れる口実を与えてしまう。
手渡される書簡は素直に受け取り、主に間違いなく渡さねばならない。