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ピカソの絵から得る、今を生きるためのヒント

みなさんご存知、西洋絵画の巨匠 パブロ・ピカソ。

ピカソって、一見幼稚園児が描いたようなはちゃめちゃな絵で有名ですよね。

なぜそんな絵を描くピカソが長きにわたって、絵画の巨匠とされているのか。

その秘密を書こうと思います。

ピカソの絵は、今を生きる上で非常に大事なことを教えてくれます。

そしてそれは、今後の社会を生きるヒントになると思うんです。

最後まで読んでもらえたらうれしいです。

ピカソは、実は類稀なる画力の持ち主

はちゃめちゃな絵で決して上手とは言えないような、ピカソの絵。

実物とはかけ離れた絵で、線も少なく素人でも真似すればかけるんじゃない?思ってしまいそうですよね。

でも、実はピカソってめちゃくちゃ絵が上手で、写真のような画角もおてのものなほどの画力の持ち主なんです。

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(化学と慈愛 1897年)

こちらは、ピカソが16歳のときに描いた絵です。
もうすでに巨匠たる雰囲気を感じさせる素晴らしい絵ですね。

でも、わたしたちが知っているピカソの絵とはかなりかけ離れています。

こんな絵も描けるんだと、びっくりしてしまいます。

では、なぜピカソはこれほどの画力を持ちながらも、はちゃめちゃな絵を描いたのか。

ピカソが表現したかったもの

ピカソが、絵を通して表現したかったこと。

それは、現実をそのまま再現するうまさではなく、物事の"本質"です。

わたしたちは普段、モノを1つの視点からしか見ることができません。

例えばサイコロのある面を見ているときは、その反対側を見ることはできませんよね。(何が書いてあるかは知っているけれど)

では、その1点から見えているものが、そのモノのすべてかと言われるときっと不十分です。

これは、ヒトに対しても同じことがいえると思います。

あるときそのヒトの、優しい1面を見れたからと言って必ずしもその人が「優しい人」とは限りません。

優しくエスコートしてくれる男性を優しいなと思ったとしても、その人が隠れて子猫を蹴っ飛ばしていたら、、
その人は果たして本当に「優しい人」でしょうか?

海だってそう。
波が荒れている一面があったとしても、ときには穏やかなさざ波のときもある。

表ばかり見えても、そのヒト、モノの全てを知ったことにはならないと思うのです。

全ての物事は、多面的であるから。

ピカソが表現したかったことは、まさにこれだったのではないでしょうか。

全ての面を同時に書くことで、見る側の視点を超えたヒトやモノの本質に迫ろうとした。

目に見える現実をただ模写するのではなく、ある意味では、「より純粋な絵画」を目指した。

ちなみに、この「人や自然の立体的な風景を全て複数の視点から見た幾何学的な形で捉え、平面にそのまま表す様式」のことをキュビスムと言います。

ピカソは、このそれまでの絵の価値観を破壊し、新たな絵画様式を確立したこと、そしてその理念が評価されたことから長きにわたり絵画の巨匠とされているのです。

そう思うと、かの有名な「ゲルニカ」や「泣く女」も、不思議な絵だなあ…ではなく、見方が少し変わって感想をいだきませんか?

芸術なんてセンスのある人にしかわからないと思って諦めていた、さらにその奥が見えてきます。

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(泣く女 1937年)

「本質を見る」から学ぶこれからの生き方

ピカソが、あれほど上手だった画力を、表現する方へシフトさせた背景には、実は「写真」の誕生が関係しています。

写真が生まれる前は、見えたことをそのまま保存する方法として絵が役に立ちました。

だからこそ、写真のように目に見えるものを忠実に描くことが求められていたのです。

でも写真が誕生したのち、真実を表す力では写真には全く叶わないことをピカソは悟ったのだと思います。

絵では、写真には勝てない。
そうすると、画家の存在価値は無くなってしまう。

そのときにピカソが出した答えが、写真には表現できないその対象の本質を絵に収めることだったのです。

でもこれって、今の時代にも似たことが言えると思いませんか?

今の時代、さまざまなモノやサービスのクオリティが上がってきて、その良さは飽和してきています。

その上で、これからの時代を生きる上で大事なこと。

それは、ものごとの本質を捉えて自分ができることに落とし込むことだと思うんです。

ピカソは、人々が求めている”本質”を捉えたからこそ、絵で物事の本質を表現しました。

つまり、本質を見ることができれば、他者との差別化を図る一助になるのではないか?

新たなサービスを生み出すとか、そんな難しいことではありません。
(そんなクリエイティブなこと、なかなかきびしいです。笑)

しかし、本質が見えることは、強力な武器となって必ず自分を強くしてくれます。

逆にいうと、本質を見えていないことは丸腰で戦場にいくようなものです。


さらには、常に「本質」は何かを問うことは、深くいろいろなことが見えてきて、より充実した生き方につながるのではないかと思います。

ピカソの絵は、「本質を見ろ」という訴えがビシビシ伝わってくる、そんな絵だったんですね。

自分の今やっていることの本質は何か。
本質を捉えたことができているのか。

常に自分に問いかけながら、生きたいです。

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