科学バカにならないために考えられる選択肢のひとつ

はじめに

 2018年6月某日に桐朋学園大学院大学の石島先生(職名:教授)とのお話をさせていただく機会を学校の教授から与えていただきました。その内容の整理とお話の備忘録になります。

科学バカとはなにか

 まず始めに、これは決して真面目に学問に取り組んでいる人を罵倒する言葉ではありません。私の個人的な意見になりますが、バカと言われるものにはそれに真剣に取り組む姿勢に対する尊敬も含まれると考えています。
 一つの学問に対する姿勢には様々な角度があります。またそれに対して圧倒的な熱量を注ぎ時代を前に進める素晴らしい科学者、研究者が世の中にはたくさんいます。しかしながらバカと呼ばれる人は圧倒的な熱量を注ぐ一方で非常に狭い視野に陥っている可能性が非常に高いと言えます。果たして今研究しているものは倫理の観点から考えた上で研究を推し進め成果を出して良いものなのか、研究が最優先となりその結果社会に与える悪影響が凄まじいものにはならないものかどうか、それはどの学問でも等しく言える可能性があります。
 常に一つの視点から物事を見ることは科学バカに陥る危険な行動の一つだと考えられます。

文理融合型(分野横断)による新しい視点の開拓

 石島先生とのお話の中で非常に印象的な内容の一つに分野横断的な考え方を考え直す、という点です。今から記述する内容はものすごく当たり前のことであり、実は全ての人がわかっていることです。ですが改めて着目し考え直してみると面白い内容だと感じたので書いていきます。
 理系の人であれば全ての人が親しんでいるフーリエ変換というものがあります。これはものすごく簡単に説明すると時間を基準に発生している音の情報を周波数を基準に表し直す変換なのですが、この変換を考えると実に見事に音楽と数学が結び付けられることがわかります。コンピュータが音楽を表現出来る理由はこのフーリエ変換(これをコンピュータが都合の良い方法で計算することを高速フーリエ変換と名付けています。)が存在しているおかげです。
 この変換方法に関する話を延々と書いていくことも楽しいことだとは思いますが、お話のメインは分野横断についてです。ここで分かることはこの単純な横断の中には数学と音楽が結びついているという事実です。またご存知のように工学は数学と非常に強い結びつきを持っていることにより音楽-数学-工学が分野を跨いでつながる事実が確認できたと思います。中には「そんな簡単な話ではない!」と考えられる人もいるかも知れません。しかしまた別の観点、次は倫理という分野から分野横断をしていく例を考えてみましょう。

分野をまたぐ倫理観

 西洋にはEliteという言葉があります。日本的にエリートと解釈すると上流階級だったり何か学問的な優秀者を強く指す言葉だと思うのですが、西洋の観点から行くと少しニュアンスが変わるらしいです。西洋ではEliteは倫理観を確立した人、哲学に強く結びつきのある言葉らしいです。この西洋の定義をまず持った上でこれからの戯言を少しだけ聞いてください。
 まず工学を学ぶ人は少なくとも技術者倫理というお話をされると思います。音楽系の学び舎に入ったことはないため学びとして音楽倫理が確立されているかは定かではありませんが、教授として弟子にお話するときはやはり音楽家のための倫理というものを教えるそうです。ここで技術者のための倫理、音楽家のための倫理の内容について非常に通じるものがあるとわかりました。
 まず人々の豊かさを追求し幸せを追い求める必要があること、決して人を壊してはならないこと。ものすごく大きく雑に分類を行うとここに倫理観は両者とも行き着くことです。
 音楽で人を壊すと書くと違和感があるかも知れません。私はこのお話をするまで音楽における倫理はあまり意味がないものだと少し思っていました。しかしお話を聞くと納得できることが多かったためこれについても書かせていただきます。

「洗脳」に利用された音楽

 皆さんはドイツのワーグナーという作曲家をご存知でしょうか。音楽を少し聞いたことがある人ならば『ワルキューレの騎行』という曲をご存知でしょう、この作曲をした人物がワーグナーです。劇場版ガルパンを見ていた人ならば、黒森峰が作戦名の案を出していたときに西住まほ殿が発言した『ニュルンベルクのマイスタージンガー』作戦といえば少しは聞いたことがあるのではないでしょうか。これもあの作戦名の元ネタになった喜劇は作曲家・ワーグナーの手がけた作品のひとつです。
 さて、このワーグナーの手がけた作品は主に単調で力強い音楽が特徴と挙げられます。この特徴は実に人々の戦争に対する意欲を向上させ一種の洗脳状態にしていたとされることが既にわかっています。「たかが音楽を聞いただけで洗脳されるわけないだろっ!」と思う人も多数おられると思います。洗脳というと大袈裟ですのですこし考えるスケールを低くしましょう。例えば遊園地に流れる明るいパレード曲をイメージしてみてください。遊園地に遊びに行き大音量で流される明るい曲調のパレード曲、心は否応なく期待を高められワクワクし遊園地を遊ぶというモチベーションを最高潮まで高めるあの心理状況、あれは音楽により心を動かされていることに違いはありません。一種のマインドコントロールと言えるでしょう、逆に遊園地に入ったときに悲しみのバラードが大音量で響き渡っていたらどうでしょうか。遊園地に来たことをもしかしたら後悔し入場口で滝のような涙を溢れさせる人々を見ることが出来るかも知れません。
 この心理状態を考えるとドイツがワーグナーを用いて人々の心を奮い立たせ戦争に対するモチベーションを向上したことは少しは理解できるのではないでしょうか。そしてこの曲を利用した暁に多くの人々を壊してきたことも事実であります。音楽の倫理とはこのような音楽の使い方に抗うために生まれてきたものであります。

科学バカとはなにか

 分野横断に関する話を少しさせていただきましたが、そもそもの科学バカにならないためにはどうするべきなのかという話です。このお話を通じて分野横断可能なつながりを持つところを完全に無視し続けること、分野横断可能であるからと完全に横断した先に依存して今までやってきたことを全て無意味だと結論づけてしまうこと、どちらにせよ極端な結論を下さず少しは分かっておくことがバカにならないために必要な要素であると私は納得しました。
 バカになる可能性のある点で後者の例として一つ教えていただいたのはコンピュータを用いた作曲活動の残念な例です。先生が見てきた中で才能をもともと持っているにも関わらず横断した先で出会ったコンピュータを用いた作曲活動、ピアノを引けずとも理論を学ばずとも作曲ができる環境に出会った彼は今までやってきた音楽の理論を全て無駄と切り捨ててコンピュータを用いた作曲活動に入れ込んだそうです。これに良い悪いはありませんが、今までやってきたことを無駄と切り捨てることで作曲家として停滞してしまったことが見受けられたそうです。
 このような話もあるということより偏った考えは極端なバカを作る可能性が前例としてあることを少し覚えておく必要があるのかもしれません。

さいごに

 拙い文章でしたがここまで読んで頂いた方には感謝を申し上げます。科学バカにならないためという仰々しいタイトルをつけてしまいましたが、これは私自身が情報系の、理系の人間であるため自分への戒めとしてつけさせていただきました。
 またこの記事は私の個人的なお話をした上での備忘録ですので主観がありありと含まれていることにもご注意ください。だいたい書いてある内容の80%OFF程度で受け止めてもらえれば幸いです。

富山在住高専生 テクノロジーに関わること全般的に手広くつぶやいていきます。