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何でも出来る

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 ある男の子のお話。
 その子は障害を持つ自分の弟をとても可愛がっています。口ぐせのように言うのが
「〇〇(弟の名前)は何にも出来ないから(だからぼくがやってあげなきゃ)」
保育園の先生たちはその度に伝えます。
「〇〇くんは何でもできるよ(だから君は君の好きなことをしていいんだよ)」 
 この場合、その男の子に伝えてあげたいのは、障害があっても少しずつ出来ることは増えていくから大丈夫、っていうことと、きみの予定ややりたいことを弟のために犠牲にしなくても良いんだよ、という事。


 とは言え、かくいう私も保育園に娘二人を預けていた時、長女に言っていました。
「妹の面倒をみてあげてね」
だから、子どもそう言ってしまう親御さんのことを否定はしません。
 妹弟の面倒をみることはその子の自己有能感を育てます。『自分は役に立つ人間だ』と感じることは自己肯定感を育てるよりも実は難しかったりします。
 長女は自分が役に立ってる、自分がいなくっちゃ!と思うことでそれまで喧嘩ばっかりしていた保育園生活がかなり落ち着いた、という側面がありました。
 が、当然のことながら妹も成長します。いつからか可愛いだけだった妹に文句を言われ、うざがられ、取っ組み合いの喧嘩もして、二人の蜜月は終わりを迎えることになりましたが、それでも多分お姉ちゃんとしての自己有能感は今もわずかながら残っているようです。

 ただ、私も何気なく使っていた
「妹(弟)をよろしくね」
の言葉。兄弟姉妹に障害がある場合は少し配慮が必要なんだと思います。
「僕(私)がいなくっちゃ」
という感情はその子の行動や欲求を制限することにつながるのかもしれない、と療育の世界にいる今ならわかるからです。
 障害=(イコール)何も出来ない、ではありません。出来ることは少しずつ増えていく。ただ、その歩みはかなりゆっくりかも。大人はそのゆっくりさを長い目でみてあげられるけれど、子どもだったら、、、?多分、いつまでたっても「何も出来ない子」に映ってしまう。そしていつまでも
『僕(私)がなんとかしなくちゃいけない』
と思い続ける毎日になってしまう。そこに
『僕(私)が我慢しなくちゃ』
の気持ちも加わるとしたら、それはとても切ない。

 障害のある子の面倒をみることは素晴らしいことだし、それを否定はしないけれど、でも
「君もまだ子どもなんだよ」
「まだまだ君だって面倒をみてくれる大人の助けがいるはずなんだよ」
そして
「(障害がある姉妹兄弟でも)少しずつ出来ることは増えているし、君が心配しなくても何とかなるから大丈夫」
「自分の好きなことを気にしないでやっておいで」
と折りに触れ言ってあげたい。

 自分の未来や可能性に限界を感じるのはまだまだ先でいいはず。
#本当なら大人だって限界なんて感じなくてもいいはずだけどね
だから、自分もそして障害のある兄弟姉妹についても
「何でも出来る」「出来るようになる」
って思っててほしい。
#実際問題、無理なことは無理だけれど、でも未来は誰にもわからないのもまた事実


 今、コーチングやキャリアビジョン、メンタルトレーニングについても学んでいます。学ぶたびに思うのは、LDがきっかけで不登校になってしまった子どもたちのこと。自己肯定感や自己有能感を取り戻すお手伝いが出来たら。「何でも出来る」事を教えてあげたい。

 さて、いろんな方にビジョントレーニングのモニターとしてお手伝いをお願いしてます。独り立ちはもう少し先になりそうだけれど、実践を通して理論の裏付けがとれていくのはなんとも言えない達成感。音読の苦手な子を読書好きにさせられるか!?なんて挑戦も。
 書き出したら止まらなくなりそうですが、そんな話もまた今度。

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