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「ごめんなさい」なんて言わなくてもいい

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 「えっ!?ごめんなさいって言いませんでしたか?」
かなりの剣幕のお母さん。新米セラピストはタジタジです。
「、、、はい。別にごめんなさいは言ってもらいませんでした」
「でも、ごめんなさいって言いなさいって言えば、ちゃんと謝れる子なんです、、、本当に言いませんでしたか?」


 ことの発端は子どもがセッション中にセラピストに対して暴力をふるったこと。
 課題が思うように出来なくてイライラしてつい手が出てしまった、らしい。ただ、これはセラピストが悪い。
 厳しいことを言うようだけれど、手が出るほどイライラさせてしまったセラピストの力量不足、と私はとる。

 セッション中に起こったことはすべてセラピストが誘導した事の結果である、と私は先輩セラピストに指導を受けた。
 うまく行かないことはもちろんあって、押してみたり、引いてみたり、褒めてみたり、つきはなしてみたり。試行錯誤を繰り返しつつ、そこの見極めを誤ってしまい、手を出させてしまったり、泣かれてしまったり、は私にも経験がある。

 だからセッション終わりに、上記のような会話が漏れ聞こえてきた時、保護者の方に言いたかった。
「お子さんは悪くないですよ。そこまで無理させてしまったこちらの責任です」
新人セラピストには後から
「どんまい!」

 そして伝えた。子どもが暴力をふるってしまったことを保護者に言わなくても良いし、伝えるならば自分の力量不足を詑びるべき。そして、保護者の方が一番気にしている(ように見える)「ごめんなさい」はあえて言わせなかったことも説明しなくちゃいけないよと。 


 子どもが不適切な行動を起こしてしまった時、それが自分に向けられた暴力であったなら、その行為は無視するようにしています。
 他児に向けられたものならば(全力で止めるのが大前提として)、叩いた子ではなく叩かれた子に意識を向けます。手を出した子に関わって「ごめんなさい」を言わせることに全くメリットを感じないというのが理由。痛い思いをしてしまった子どもには全力で謝る。
「ごめん!止められなくて!痛かったよね、ホントにごめん!」

 なぜ、手が出た子に関わらないのか。それは、暴力をふるった事では状況は何も変化しないことをその子に伝えたいから。
 注目を浴びるわけでもなく、自分に構ってくれるわけでもなく、課題が失くなるわけでもなく、ただいつもどおりにセッションは進む、、、。
 とは言え、課題が難しくてイライラし始めたのなら一旦簡単な課題を提示して「出来た!」という達成感を味わってもらったり、沢山のヒントを出して最後だけ自分で出来るように仕向ければ良かったかな、と今回のケースでは思います。


 多分、
「ごめんなさいは?」
と詰め寄ったら素直に謝るのでしょう。でも、叩いた行為が失くなるわけでもないのです。
『後からごめんなさいを言えば何をしても許してもらえる』
と学んでしまうのはとても怖いことです。保護者の方も口先だけの謝罪を教えたいわけではないと思います。


 例えば、課題から逃げたくていたずらをする子がいます。いたずらは無視して黙ってその子を見つめます。そしてまた課題を再開する。すると時々ですが
「ごめんなさい」
と言ってきてくれることがある。その言葉に関しては
「うん、もうしないでね」
と淡々と返し、でも課題はかなり簡単なものに一旦戻します。それが出来た時に思いっきり笑顔で言います。
「やれば出来るじゃん!!すごい!!」


 多分大きな声で怒られるよりも、ごめんなさいを強要されるよりも、ただ黙って見つめられる方が居心地が悪いのだと思います。そして、その時出た自らの
「ごめんなさい」
は使い方として合っている気がします。
#ごめんなさい、は便利な言葉じゃないぞ

 子どもが暴力や不適切な行動をした時、その行為に振り回されないように、と気をつけます。
 後出しジャンケンのように、対症療法のように、不適切な行動の後に追いかけるようにこちらがなにかアクションをするのは、子どもに振り回されている、と考えるからです。一旦その不適切な行動は脇に置いておいて、改めて子どもと向き合う。「動じないぞ」と意思表示。



 叱る、という行為はとてもむずかしいものです。私自身、怒りにまかせて怒鳴ってしまうこともしょっちゅうでした。「叱る」ではなく「怒る」になってしまう。
#手も出ました
#ごめんなさいを強要したこともあります

 自分の子どもに冷静に対処することのなんと難しいこと!子どもが成長するにつれわかってきたことは
「何を言っても無駄なものは無駄」
というあられもない事実。
 社会で生きていく上で必要なルールやマナーさえ理解していれば、あとのことは多少眼をつぶることも覚えました。 
 お互い妥協点を探しながら、それでも時に譲れないところを伝えながら、家族を営んでいます。
 そんな話もまた今度。

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