見出し画像

子どもは神様からの授かりもの?

 ご訪問ありがとうございます。はじめまして、の方はこちら↓もどうぞ。

 学生の頃、アメリカに短期で留学したときにお世話になった家にはアジア系のお兄ちゃんと白人の妹さんがいました。アジア系のお兄ちゃんは養子としてその家に来た子どもで、白人の女の子はその家の両親の実子でした。
 当時私は、長年子どものいない夫婦が何らかの理由で実子を諦めて、それでも子どもが欲しい時に養子縁組をするのだとばかり思っていたので、そこのご両親が結婚してわりとすぐに養子縁組をした、と聞いた時は少なからず驚きました。

 そして、一緒に生活しているうちに何となくわかってきたことは、
『あぁ、文化が違うんだ』
ということでした。
 欧米では、子どもは「神様からの授かりもの」です。クリスチャンであろうとなかろうと、この考え方が潜在意識の中に組み込まれている。クリスチャンであろうとなかろうと、です。神様を信じるとか信じないとか、そんな考えは成長してから自分で選んだ選択ではあるけれど、「文化(ここではキリスト教文化)」は知らない間に自分の心の奥底に根付いている。
「神様からの授かりもの」という考えが根底にあるから、だから、子どもは社会全体で育てていくのは当たり前。もっと言うと、誰が親になってもいい。
#肌の色だって気にしない

 日本はそうじゃないですよね。自分のお腹を痛めた子、血のつながっている子が「我が子」です。良い悪いではなく、そういう考え方の「文化」です。だから「里親」や「養子縁組」の文化は育ちにくい。里親であることや養子であることを隠そうとする人が大半だと聞きます。



 以前、「Netflix『ラブ オン スペクトラム』視聴しました」という記事の中で、ASD専用のマッチングアプリがあったり、障害者用の婚活パーティがあることに驚いた事を書きました。
こちら↓

 根底にあるのはやっぱり「子どもは神様からの授かりもの」という意識かな、と思うのです。障害があろうとなかろうと、神様が地上に授けてくださった大事な命。ならばその子の親に任せっきりにするのではなく、社会全体で協力しあって育てていけばいい、そんな考え方があるような気がします。
#それだけではないかもしれないけれど
 だから、障害を持つ子の親も必要以上に自分を責めないし、その子を隠そうとすることもない。
 加えて個人主義の国では、自分は自分、他人は他人、と割り切り、他人のあれやこれやを日本ほど気にしない、ということもあるでしょう。

 そして思うこと。障害のある子を育てる時、悲しいこと、悔しいこと、切ないことは、周囲の無知や無理解からくる偏見、差別、侮蔑、はたまた奇異なものを見るような視線であったり、必要以上に怖がられてしまうことだったり、が大きな割合を占めているのではないでしょうか?そのためか、隠す、まではいかなくても、オープンにするのをためらう親御さんも沢山見てきました。

 以前も書きましたが、発達障害に関しては原因は解明されていないし、誰のせいでもありません。当然親御さんのせいではない。
 子どもはイコール未来です。それならば未来のために、なかなかに難しい発達障害児子育てを、社会全体で支えていこうと言う気運がもっともっと盛り上がればいいのに。

 私はキリスト教徒ではないけれど『子どもは神様からの授かりもの』という考え方には大賛成です。
 そんな話もまた今度。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?