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1992年 商品も増えてきたよ 東京へ行商だ

ケーキが好きだ

このころ、駅前にケーキ屋さんがあったので、よく寄り道をしていました。私達はケーキが大好きでした。

「今日はこのパンプキンケーキにしようかな」「わたしはこのチーズケーキとショートケーキ……を重点的に見よう」「見た?」「見た」。ケーキを見るのは楽しいです。食べるともっと楽しいのはわかっているのですが、毎回食べられる程、お金はありません。見ているうち食べたい気持ちが抑えられなくなった時だけ食べる事にしていました。

商品をつくるのにはお金が必要です。でも商品が売れてお金が入ってくるのは1ヶ月以上先が普通です。それに商品が売れ出すと、今売ってる数よりも多くの商品をつくっていかなくちゃ、ということになります。

アランジ アロンゾの経営方針は、とにかく借金はしない、です。なんとなく借金はこわいような気がするからです。『借金地獄』『サラ金追い立て』。単純な私達はすぐイメージがそっちにいってしまいやみくもに借金がおそろしいのでした。

そういうわけで、ケーキをがまんしてとにかくケチケチ節約して、つくりたいものをつくる資金にまわしていたのでした。ケーキをがまんして。ケーキを。

無題 - 2021年2月2日 09.49.33

Tシャツくん導入

『Tシャツくん』を導入しました。シルクスクリーン印刷が手軽にできる、製版機と多色印刷機がセットになったものです。当時の『Tシャツくん』のパッケージを覚えている方はいないですか? なんとも暗い顔をしたスポーツ刈りの青年が2人黙ってこちらを見てるイラストが描かれていました。そのパッケージと13万円という値段に躊躇はしたものの思いきって購入。

買ってよかった。これによってアランジ アロンゾは飛躍的な発展を遂げるのです。というのはいいすぎですが、Tシャツや巾着などにイラストを自分達で印刷できるのは感動でした。

手軽に印刷とはいうものの、けっこうコツのいる作業です。1人が版をぐっと押さえ、1人がインクを載せてガガーッと印刷。何度も失敗して練習を重ねました。

『Tシャツくん』に関しては私達はかなりの実力者だと思います。もし、『世界Tシャツくん選手権』があったら『単色Tシャツスピード、ダブルス』の部では優勝していたかも知れません。実際、そんな大会を想定して厳しい作業に耐えて、技を磨いたのでした。ばかです。

無題 - 2021年2月2日 10.11.56 2

東京砂漠

『Tシャツくん』のおかげで商品アイテム数も増え、置いてくれるお店もすこしずつ増えて、気持ちの大きくなった私達は、「東京でも売れるかもしれない」と初の東京出張を試みました。

東京は人が多い。東京の人は冷たい。東京の空はスモッグだらけ。上京者の思うような事をひととおり思いました。

東京の雑貨屋さんにまるで詳しくない私達は、とにかく雑貨屋さんがありそうなところに行ってみようとしましたが、どこに雑貨屋さんがあるかも知りません。雑誌で調べろ。もっともです。

アランジ アロンゾは「キャラクターグッズ屋です」と言って回ってる訳ではありません。むしろ最初の頃は、「イラストがたまたまキャラクターみたいになってますが、雑貨屋なんです」と意地になってたぐらいです。

でも、東京のおしゃれな雑貨屋さんは「ああ、キャラクターものね」という感じで対応は冷たく、ああ、だめだ。特に雑誌によく載ってるようなところは、その店のカラーがあり、大阪のキャラクター屋さんなんて相手にしてくれません。足で探して、置いてくれそうなお店をみつけるしかありません。が、ほぼ全滅。と後は気後れがして言い出せなかったり。で、さんざんでした。しょんぼりです。

大阪、梅田ロフトのアクセサリー担当の方からの紹介で、ロフト本社のバイヤーの方と会う約束がありました。これから先もロフトとお取り引きさせて頂くには『取引先コード』とかいうものが必要で、バイヤーの承認がいるのです。池袋のサンシャインビル、高層ビルです。「高層ビルにびびってるようでは、私達も田舎者だなぁ」と田舎者を再確認しつつ、緊張のあまり何度かトイレを往復するというベタなことをやってのけ、エレベーターに乗ったのでした。

「本当にえらい人は服装や見かけで判断しない」。ピカピカオフィスに場違いなジーンズにTシャツ(さいとうのジーンズには穴があいていた)でもじもじと商品を見せると、そのバイヤーの人はいちいち、「かわいいわ」「すばらしいわ」「あなた達才能があるわ」とほめてくれるのでした。すごくすごくすごく嬉しかったのを覚えています。

『取引先コード』はもちろん大丈夫でした。そして、意外な提案。「子供向けグッズをつくらない?」。当時渋谷にキッズファーム『パオ』という子供用品のロフトのようなものがありました。そのバイヤーの人は今度そこに異動になるのだそうです。「はい、やってみます」。もちろんです。宿泊先のユースホステルに戻って「捨てる神あれば拾う神あり」とおばはんぽいことを言い合って喜びました。

何度か東京に行くうち、渋谷や池袋のロフト、ハンズの各売り場、それにいくつか雑貨屋さんにも置いてもらえるようになりました。「捨てる神あれば拾う神あり」です。

奈良のバス

この頃私達の両親は奈良に住んでいました。そこに行くには駅からバスに乗っていかなくてはいけません。父が前の年の秋から病気で倒れて入退院をくり返していました。奈良は冬とても寒いのでバス停でバスを待っていると凍えそうになります。




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