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母親の一泊旅行は家族にとっての防災訓練

おはようございます。
毎日編み物をしながら暮らしたいアランアミです。

先週末は友人を訪ねて名古屋に一泊してきた。
その間、夫と子どもたちはお留守番。
私が一人で一泊旅行に出かけるのはこれで三回目で、回数を重ねるごとに私にとっても夫にとっても負担が減ってきているように思う。
子どもたちも慣れてきたようだ。

日中だけ、夜間の数時間だけの外出とは違って母親が一泊旅行に出かけるのは家族にとっての防災訓練だと思っている。

留守番をする夫と子どもたち側だけではなく、母親である私も「一泊旅行に行くためにはどのような準備が必要か」を意識しながら生活するようになる。

もし自分が不測の事態で動けなくなってしまった場合に家族の生活が回るようにするためにはどうすればいいのか。
日頃の準備は実際にきちんと機能するのか試す機会が「母親の一泊旅行」だと思う。

一泊旅行するための準備

・家の中の物がどこにあるのか家族と共有する
母親が不在でなくても「あれはどこ?」「これはどこ?」と聞かれないように片付けをしている。子どもの保険証とかキッチンで使うものとか。
子どもたちにも自分たちが使うものの場所はなるべく把握してもらっている。
今回は「娘のパスモ」と「寝室のエアコンのリモコン」が見つからなかったようだ。
パスモはもう少し分かりやすいところに置き直そう。
寝室のエアコンは今シーズンはまだ使っていなかったのでリモコンを出していなかった。収納していたかごの中に物が多すぎて見つけられなかったらしい。整理しよ。

・日頃から子どもたちの話を夫と共有する
学校や園での様子、食事で気になっている部分、好きな遊び、習い事やお友達の話。
まあ、子どもに関するエピソードはほとんど夫と共有している。

・子どもの前で夫に対するネガティブ発言をしない
父子関係が良好な方が母親の不在に対する不満が出ないと思う。
なぜなら私自身が子どものころ「お母さんじゃないと嫌」だったから。祖母との関係が不仲な中での留守番は本当に嫌だった。父親は存在が希薄だったので接し方がわからなかった。結果、母親に求めるものが重かったと思う。
子どものころの話だけれど。

ざっくりまとめると母親が一泊旅行にでる準備は
・母親だけが知っていることを減らす
・家庭内での信頼関係を構築する

に集約されると思う。

ふりかえり

一回目(娘:年少、息子:一歳)

後輩の結婚式があって、どうせなら二次会まで出たいと泊まりで出かけた。
翌日のお昼には帰ってきたので時間としては短いけれど、幼稚園に入ったばかりの娘と授乳期間を終えたばかりの息子を託しての外泊は冒険だった。
しかも息子が中耳炎を拗らせて鼓膜を切開、そのために耳鼻科に通院しなければいけないというオプションまでつけて家を後にした。

初めてだったし、子どもたちも小さかったのであれこれ諸注意を伝え、食事の用意もして出かけたような。
夫と振り返って、よくあの時代に行けたよねぇとお互いの健闘を讃える。

二回目(娘:小2、息子:年中)

友人に会いに岡山へ。
「何か用意しておいて欲しいものある?」と家族に聞いてから出かけた気がする。
夫が子どもたちを映画に連れて行ってくれる。
翌日の夕方に帰宅。
そして月曜日、息子が盛大にごねて登園拒否。不在に対する不満をぶつけられた。
なんだろう。
準備はそこまで手間ではなかったけれど、帰ってからの立て直しに少々手こずった感じ。

三回目(娘:小3、息子:年長)

前回と同じ友人を訪ねて転勤先の名古屋へ。
夫にほぼ丸投げで出てきた。
・娘の習い事の送迎
・洗濯物でお願いしたいこと2点
連絡事項はそれだけ。
ちなみに夫は料理はしないので、食事は外食かインスタント。
子どもたちは大喜び。
今年は猫カフェにも連れて行ってもらい父の株は上がるばかり。
子どもたちが寝てから帰宅。
翌日も滞りなく子どもたちは登園・登校。

準備も立て直しもほとんど必要なかった。
今まで泊まりまで行かなくても一人時間をもらうと出かける準備や帰宅後の子どものメンタルケアで前後が面倒なんだよなと思っていた。
それがなくなって感動している。


防災訓練は繰り返し行ってこそ意味がある

一度行って上手くいかない部分は次回の訓練で改善する。
日頃から訓練で慣れておけば、非常事態でも行動できる。

そういう意味で母親の一泊旅行は家族の防災訓練だと思う。

留守番組も日常と違う生活を送るから苦労はあるだろうけれど、任せて離れる母親だって「口を出さない」という強い意志が必要だ。

母親不在でも家庭が回せることへのこだわり

子どもが生まれたときから、絶対に「お母さんじゃないと嫌」という家庭にしたくないと思いながら過ごしてきた。

それは自分の原体験があるから。
私は「お母さんじゃないと嫌だ」と思いながら幼少期を過ごしていた。
父でもなく、同居の祖母でもなく、母が良かった。
それは多分、長い時間を一緒に過ごさなければいけなかった祖母との関係性が悪かったから。
この状況って私も辛かったけれど、母の負担もかなりのものだったと思う。

それゆえ子ども達の依存先を増やしたかった。

最近よく聞く“自立とは依存先を増やすこと”という考え方が私は好き。

お母さんでもいい。
父でもいい。
じいじやばあばでもいい。

そんな家庭環境を整えたい。

余談ですが、うちの子どもたちは私のことは「お母さん」夫のことは「父(ちち)」と呼ぶ。

娘が小さい頃に「お母さん」と呼べずに「たーたん」と呼んでいた。
「お父さん」という言葉もなかなか出てこなかった。
その様子をみた義母が「ちち、で良いんじゃない?」と言ったことがきっかけで私の夫は父になった。

SPY×FAMILYが流行ったときに娘は「アーニャみたいだね」とクラスメイトに言われることが多かったらしい。
昔からそう呼んでいて、アーニャの真似をしているわけではないと説明するのが面倒なときは最初から友だちの前では「パパ」呼びすることがあったとか。


年に一度くらいはこうやって一人で旅行に行きたい。

でも今度は子どもたちが一緒でも楽しそうだな。


ではでは、良い一日を〜

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